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1年後に新しいオリンピックを

今日は、東京オリンピックの開会式のはずだった。

特別な祝祭の空気に包まれていたはずの一日は、コロナウィルスの世界的感染拡大によって、何もない普通の一日になった。

一旦は一年延期となったオリンピックだが、一年先にオリンピックを開催するべきかどうかについての世論はかなり厳しい。

先日NHKが行った世論調査では、
「さらに延期すべき」が35%
「中止すべき」が31%
「開催すべき」が26%
となっており、来年開催すべきではないとする意見があわせて66%にものぼった。

感染の収束までの時間を考えれば、一年後にオリパラを東京で開催出来る道は、相当に細くて困難な状況になってしまっている。

こういう状況だからこそ、オリンピック・パラリンピックを開催することの意義をあらためて考えたい。

1996年版のオリンピック憲章において、オリンピックの目的は以下と定義されている。
「オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html

最新の憲章では、少し表現があらためられているが、「若者を教育」し、「平和でより良い世界の構築に貢献する」という主旨は変わらない。
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2019.pdf

経済効果もインフラの整備も、本質的な目的ではない。

目的は、平和でより良い世界をつくることだ。


僕自身、リオ五輪や平昌五輪に行って、つくづく感じたことは、こうやって五輪を開催できるような平和な世界であるということはなんてすばらしいことだろうか、ということだった。

リオ五輪で、7人制ラグビーの会場となったデオドロスタジアムで見た光景は忘れられない。

午前と午後のチケットが別れていたので、一旦すべての観客が観客席の外に出される。
世界中から集まった色とりどりの服を来た人々が、それぞれの国旗を身体にまとって、芝生の上に座り、ビールを飲んでいる。
異なる国の人々が入り混じって、あいさつをかわし、談笑している。
踊っている人も、歌っている人もいる。お互いのスマホで写真をとりあっている。
昼下がりの穏やかな太陽が降り注ぐデオドロの光景は、本当に美しかった。

その時の様子を、当時ウェブで記事にしている。
https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/column/15/110300017/081800062/?ST=nxt_thmdm_electronic

子どもの頃に、五輪で多くの国の人と交流する体験をした子にとっては、世界は少し違って見えるだろう。
東京で多くの子ども達にそういう体験をして欲しい、と思った。

もちろん、来年、多くの外国人観光客を迎えることはもうできないだろう。
感染防止をはかりながら、密を徹底的に避ける大会にしなければいけない。

それでも、オリンピック・パラリンピックというイベントの目的に照らして、新しいかたちの大会を行うことはできるはずだ。

テクノロジーを駆使して、
・選手・スタッフ・観客の体調モニタリングと感染防止
・世界じゅうからリモート参加できる観戦体験
・世界のファンをつなげるオンラインコミュニケーション
などは今から準備できるはずだ。

感染防止と、オリンピズムの目的の実現を両立させることはできるはずだ。

今までの常識をいったん壊して、新しいオリンピックをつくり、開催したい。
今は反対している人の多くも、きっとやって良かったと思える大会がつくれるはずだ。

そのために、力を尽くしたい。

(写真は2016年のリオ五輪・デオドロスタジアムにて)

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