【絵本分析】 『アレクサンダとぜんまいねずみ』~概要編~
こんにちは!
ぎり女子大生と申します。
これから、
絵本『アレクサンダとぜんまいねずみ』を、
私なりに分析したいと思います。
今回はその概要編(?)です。
1. あらすじ
嫌われ者のねずみ、アレクサンダは、
ぜんまいねずみのウィリーに出会い、友達になる。
自分では動けないものの、みんなにかわいがられるウィリーを
羨ましく思っていたところ、アレクサンダは魔法のとかげの話を聞く。
自分をぜんまいねずみに変えてもらおうととかげを訪ねると、
とかげは、満月のときに紫の小石を持ってくるように言う。
しかし、どんなに探し回っても、紫の小石はなかった。
アレクサンダは疲れて家に帰ると、
古いおもちゃとともに捨てられているウィリーを見つける。
ウィリーを可哀想に思っていると、ふとそばに、
紫の小石 があるのが目に入る。
小石を抱き、とかげのもとへ走る。
満月だった。
アレクサンダはとかげに、
ウィリーを自分と同じようなねずみにしてほしい、と頼む。
大急ぎで家に戻ると、古いおもちゃの箱は空になっていた。
「おそかった」
壁の穴に戻りかけたその時、
中には本物のねずみに変わったウィリーがいた。
2匹は大喜びし、夜明けまで踊り続けた。
2. 作者 : レオ=レオニについて
この絵本の作者である レオ=レオニ は
1910年にオランダのアムステルダムに生まれ、
美術収集家の伯父の影響で幼い頃からキュビスムの作品や同時代の美術に囲まれて育つ。
ベルギー、アメリカ、イタリア、スイスと住居地を転々とし、
しばらくイタリアの政治活動にかかわっていたが、1939年、ファシスト政権誕生と人種差別法公布により、アメリカに亡命する。
1959年、ニューヨークで第一線のグラフィックデザイナーとして活躍していたころ、『Little Blue and Little Yellow』で絵本作家としてデビューする。
初めての作品制作のきっかけは、電車で退屈する孫たちをあやすことだった。
当時ディレクターをしていた雑誌から色紙を引き裂いて、
即興で物語を作成したのだ。
孫たちの喜ぶ反応を見て、自宅のスタジオに帰って画用紙を使い物語を再現した。
それを見た彼の友人(絵本の出版社の編集長)が出版を決めたのだった。
ここに、多くの作品がそうであったように、
大人ひとりで作り上げるのではなく、
読み聞かせたい子どもの存在がいて初めて作品が出来上がる
という児童文学作品の特徴をみることができる。
1962年、再びイタリアに戻り、40冊以上の絵本を発表する。
のちに「Alexander and the Wind-Up Mouse」を含めた
4作品でカルデコット賞を受賞し、
日本でも1977年からこのうちの3作が小学校の国語教科書教材として使用され、広く親しまれるようになった。
レオニの作品の多くを翻訳した谷川俊太郎は、
「翻訳にあたっては、原本のもつ視覚的な美しさを損なわぬことを、まず第一に心がけました。文章のレイアウトを、できるだけ原本どおりにするために、その内容の一部を省略せざるを得ない場合もありましたが、これは俳句的な凝縮された表現を好む日本人には、かえってふさわしいと考えます。」
「レオ=レオニの絵本の主人公たちは、いつもほんの少しずつ私たち自身なのだと言えるでしょうか。彼等のかしこさやおろかさには、どこか思いあたるふしがあって、そこに私たち が彼等に親近感を抱いてしまう理由があるようです。」
と語っている。
3. 『アレクサンダとぜんまいねずみ』の概要と評価
1969年にPantheon 社より出版された『Alexander and the Wind-Up Mouse』を原作とし、
1975年に谷川俊太郎の訳で『アレクサンダとぜんまいねずみ』が好学社から出版された。
この作品の新聞紙や千代紙、クラフトメーパー等が用いられたコラージュはアートとしても高く評価されている。
物語には、アニーの家の壁の小さな穴がアレクサンダの隠れ家であるという設定や食器や靴に対するサイズ感のリアリズムと、
魔法を使う虹色のとかげやねずみの擬人化というファンタジーが共存している。
ここまで読んでいただきありがとうございます!!
以上、「概要編」でした! 今回はここまでとします😄
次回はいよいよ、
「ねずみという存在」、「生き物とおもちゃの関係」、「出会いと友情」
の3点を分析していきます。
お楽しみに💓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?