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幕末五剣録

斬人斬馬剣(1929) - YouTube

↑ Youtubeに伊藤大輔の傾向映画『斬人斬馬剣』〔1929〕が!

この動画は「衛星劇場」の録画だろうか?

情報弱者なので、2002年にアマチュア映画作家が寄贈した9.5mmフィルム・3巻(家庭用映写機パテ・ベビーのためのダイジェスト版)の存在を知ったのは、ずいぶん後になってからで、フィルセン(現・国立映画アーカイブ)はもちろん、神保町シアターでも上映され、衛星劇場でも放映されたが、観る機会がなく、ていたらくにもほどがあるおれだったのだ。

ふと先日ツイッターで、さりげなくリンクを貼っている有志のツイートに気づき「マジで!」と導かれ、ようやく鑑賞がかなったところなのである。

発見、レストアの経緯などは以下。


デジタル復元の恩恵だろう、普通!に鑑賞でき、オリジナルの2割強のダイジェストにすぎないとはいえ、嗣子を助けるくだりやクライマックスの、グリフヰスまるだしのパラレル・モンタージュはものすごい迫力だし、以下の有名なタイトルにも感じ入る。


「貴様 何の為に俺を斬る!」

「飯の為だ!」

「飯は何で作るー!」

「飯は米で作る」

「その米は一体誰が作るのだー?」


こんな問答で、主人公・十時来三郎(月形龍之介)は刺客を百姓一揆の仲間に引き込むのだった。

『七人の侍』〔1954〕の「このめし、おろそかには食わぬぞ!」を連想させずにはおかない。

昭和46年の加藤泰との対談――「時代劇映画の誌と真実」(伊藤大輔/編・加藤泰)から伊藤大輔の発言。

「斬人斬馬剣」は農民一揆がバックになっているということだけが目新しいんですね。‥‥‥

農民一揆が立ち上がって、浪人の主人公がいや応なくその指導者になって、農民一揆が解決して、「お百姓が勝った」という話じゃないのですからね。お家騒動を解決したというめでたしめでたしというだけの結末なんで、それでなかったら検閲が通りゃしない……。

‥‥‥お家騒動に逃げたのですよ。
(88P)


表現の不自由!


ところでこの『斬人斬馬剣』は、その前の『一殺多生剣』〔1929〕もふくめて、伊藤大輔の構想では『幕末五剣録』の一本とされる。

『一殺多生剣』も2011年に30分のダイジェスト版が発見されたが(未見!)、では残り三つはどういうものになるはずだったのかしら?というと、自分の知る限りでは―――

『八荒微塵剣(はっこうびじんけん)』
『隻手縦横剣(しゅうてじゅうおうけん)』

「INTERVIEW映画の青春」 (京都府京都文化博物館)での伊藤大輔の発言


――結局「大菩薩峠」がモノにならずに、‥‥‥「(幕末)五剣録」を構想されたんですか。

伊藤‥‥‥「五剣録」はやりたくて持っていた材料ですからね、あとの「三剣録」はとうとう物にならずじまい。

――「八荒微塵剣」はお書きになったんですか?

伊藤 「八荒微塵剣」はストーリーは出来ているんです。
これは、テロリストの……あっ、「労働者セヰリオフ(シェヴィリョフ)」、それが「八荒微塵剣」です。
終わりのテーマは違いますけどね。
結局、追い詰められて、逃げて逃げて……あの頃のことですから、右翼に倒幕運動……大塩の乱だったかな。
逃げて逃げて、逃げ回って、そして乞食みたいな境遇になってしまって、捕り方の連中が足組んで、それで終わりです。
一方に「隻手縦横剣」というのがある。
片手で縦横に振り回しますね。
これを「隻手縦横剣」というんです。
この主人公には実在の人物で伊庭八郎
あれは箱根の田上湾で官軍にやられて、函館で斬り死にするんですわ。
いずれも、夢も希望もない。

――いわゆる、これらは傾向映画時代のピークにある作品ですね。

伊藤 そう、一連のね。
(195P)


「隻手縦横剣」はすごい面白そうなのだが……

そして、あと「一剣」がすごく気になる!のだった。

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以下に「時代劇映画の誌と真実」から『斬人斬馬剣』の略筋を備忘録として抜粋。


ここは中国のある小藩、父の仇を求めて飢えて疲れた十時来三郎が百姓家の柿を一つ盗んだ。百姓たちは彼が武家姿であるためにたった一つの柿を盗んだだけなのに許そうとはしなかった。
そこへ通りかかったのが悪代官の用心棒、実は来三郎が長年さがし求めていた仇の長曾根であった。
来三郎は今までとは反対に百姓の助勢で父の仇を討つことが出来た。

当主・伴良の病弱につけ込み、嗣子・松若丸を亡きものにし、庶子・竹若丸に世をつがせ、おのれたちの栄華を得ようと腹を合わす杉の方と城代・大須賀は富を得んと百姓たちに血の出るような苦役を命じ、ために村々は悲惨な生活にあえいでいた。
村人たちは城代のやり方を憎み、事を起こそうと企てたが、徹全
(住持)は常に彼らの無謀を押さえていた。

長曾根の弟・左源太は兄の死を悲しみはしなかったが、武道の掟で来三郎を討ちに来たが、かえって来三郎と共鳴し、その夜から城下に出没し悪侍どもに危害を加え始めた。
代官邸では浪人者を抱えだし来三郎らを討とうとしたが、かえって浪人どもは来三郎の味方となり、はては大須賀の子・頼母までが今は来三郎の味方となり、正義のために立つに至った。

こうしている間にも暴政は日ましにつのって行った。
里の女お糸は夫の手から引き離され、悪代官の獣欲の下にふみにじられ気が狂った。
今はこのうえ、村人もこらえていることが出来ず、徹全も彼らにこれ以上の忍従を強いなかった。
村人たちは立った。
彼らは正義の士に事情を訴えようとして殺到し、山室
(代官)一味は待ちかまえて彼ら百姓どもを片はしから捕らえてしまう。

一方、御殿では杉の方と城代は松若丸を亡きものにせんと謀ったが、駆け付けた来三郎のため無事なるを得た。

一同を助けた頼母はなおも密談にふける杉の方と父とを斬り、二つの首を携えて家老のもとに到り公平なる裁きを求めた。
城外では山室らの黒馬隊と来三郎のひきいる白馬隊とが入り乱れて大乱闘を演ずる。
(174P)



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