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Design for Mikio Naruse


『ゴジラVSコング』や『シンウルトラマン』の予告映像に、アラウンド60が無防備にはしゃいでいるのにはやんわり鼻白みつつ、そういえば『ゴジラ』〔1954〕といえば、その撮影スタッフが黄金期の成瀬組であることは、あまり人口に膾炙されていないのでは?とぼんやり思ったのだった。

順番としては、成瀬の代表作である『浮雲』〔1955〕の撮了後に、東宝からの要請があって、成瀬組が仕切ることになったようなのだが、その辺の事情が、蓮實先生の優れた著作のひとつ『成瀬己喜男の設計』(1990・タイトルはルビッチから?)の、美術監督・中古智へのインタビューで知ることができるのだ。


(219P~)
中古 『ゴジラ』の記憶はもうだいぶ薄れて来ましたな。どういうきっかけでそういうことになったのか(笑)。
 玉井(正夫)さんが最初に呼ばれて相談を受けたというのは間違いないらしい。それで、いろいろ話しているうちに、これは特撮だけではない、普通の芝居をする本篇と特殊技術がからむ話だからということになって、‥‥‥あれは、下に人物がたくさんいて空を見ていると、上の方にゴジラが出るという場面が多々出てくるでしょう。こんなのは、特技だけじゃあできない。じゃあどっちが撮るんだ、特技が撮る、いや、本篇のスタッフが撮るんだという事態が起きたらまとまらんから、撮影監督という名前をつけてもらって、自分に任せてくれたらやってもいいという返事をしたんだそうです。‥‥‥とにかく金をかけてつくる大作だから、東宝総結集という意味で、成瀬組のスタッフにやってもらうかということに落ち着いたんだそうです。‥‥‥成瀬さんは、‥‥‥何かほかの映画、それをやろうとしてかかってるけども、「これには時間がかかるからやれるよ」と。 それで余裕ができて私らが『ゴジラ』 にからむことになるんですが、『ゴジラ』は『浮雲』の後ですね。

‥‥‥今でも覚えてるのは、あの映画で、絵コンテというものを、全カットではないけれども、ほとんどのカットを全部絵にしたわけです。これは我々も、もちろん、合成を受持つ特技の側もかかわり、絵心のある人が総動員で絵コンテを書きました。‥‥‥あれはずいぶん、準備期間が長かったですからね。森岩雄さん(製作本部長)の勧めで絵コンテにしようということで、我々は描いたんです。それを会議室の壁面にだーっと並べましてね。

‥‥‥それを見て、大変いい経験になったと森さんが感心したんですけどね、一つ、私の絵を見て言っておかなきゃならんことがあるという。原爆を想定した絵づくりをやってもらっては困りますよと注意されたんですね。まあ、そういう話があったのを覚えてます。


↑ ここ、大事なところだと思う。

20代前半で『浮雲』を最初に観たとき、すでに『ゴジラ』は観ていたので、なんか雰囲気似てるな~(ことに仏印のシーン)と感じたのは、当然の印象だったわけなのだ。


で、続いてこの本で、自分が一番好きなエピソードが以下である ↓


(221p~)
 特技の円谷英二さんは、もちろん、もともとキャメラ出身の方で、出は日活京都なんですが、戦前は、助手時代から彼とはずっと一緒に仕事をして来た仲ですから。例によって、美術の私は、始まっちまうともう現場には立ちあいませんから、実際の『ゴジラ』の撮影がどうだったかは知らんわけですな。

―――すると、成瀬組のときも撮影現場にはおられないから、成瀬さんがどんな演技指導をするかはあまり見ておられないわけですね。

中古 そうなんですよ。まあ、この監督はどういうやり方をしたかってことは、スタッフの噂でわかってますがね。
 これはこの間録音の渡会伸さんから聞いた話ですが、クロさん
(黒澤明)というのは、あれは本番と言うと便所に行くんだそうです。決して現場で俳優の演技を見てないそうですよ。それはどういうわけかというと、 さんざんリハーサルをやっているわけです。そうすると、働いている人たち、例えば「荷重」の上に載っかっている人たちを見ていただけでも、パラフィン紙でどうやって加減してるかとか、そういう挙動を見て、実際うまくいっているなということを感じるんだと言うんだそうです。初めてきいた話で、どこまで正確かどうかはわかりませんが、それだけリハーサルをしっかりやっておけば、本番は見てなくても大丈夫だという話はわかりますな。
 成瀬さんもリハーサルはしっかりやる人です。でも、本番で現場を離れたりはしない(笑)。リハーサルをやりますが、そのとき、だからこうなるんだという因果関係の説明はいっさい抜きなんです。そのことは、私も知っています。もちろん、キャメラマンには、こうせいということはおっしゃるでしょうが、そんなのはみんなには知られてませんから、俳優は、こっち向きなさいといわれても、何でそっちを見るんかわからない。また、わからなくていいというのが成瀬演出とほかの監督との違いなんです。 もちろん、俳優だって、演技しておるからには心当りはあってやってるんでしょう。だけども、自分のこの動きが、いま、何の芝居になっているのかはわからんということにもなる。

―――編集した後で、初めてわかる.……。

中古 そうなんです。編集したものを見て、みんなびっくりしちゃう。つながったシーンで、ああ、自分は、こういう演技だったのかと驚くことになる。 あれは『乱れる』でしたか、加山雄三が汽車の中で席を転々と移るシーンがありますな。

―――高峰秀子と夜行列車で逃げてゆく素晴らしいシーンです。

中古 あれ、加山は撮影中に、何で自分がこうやっているのかわからない。客車のセット撮影で、あっちの椅子からこっちの椅子へと移ってゆくんですが。

―――禁じられた愛で、人目を避けつつ次第に席が近づいてゆき、ついに同じ椅子に向かい合ってすわるまでの編集のリズムが何ともみごとでしたね。

中古 撮ってるキャメラマン自身さえわからないように切って行くんですから(笑)。視線をあっちに向けろと監督にいわれたって、セット撮影のときは、そっちに高峰秀子が座っているわけじゃありませんから、加山雄三にしてみれば何でそうしているかわからんわけです。それが編集してみるとみごとにつながっておる。

Yearning (Midareru) 1964 [ Mikio Naruse]


↑ 1:17あたりからである。
大好きなシーンである。

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もっとも『乱れる』〔1964〕は、ラストシーンが腰が砕け散るものすごさで(銀山温泉!)、何度観ても「無防備」に泣いてしまう。


『成瀬己喜男の設計』は、中古氏のシベリア抑留の経験も淡々と語られており、日ソ戦方面の資料性も高い。

‥‥‥

ところで、漫画業、転がり出した気配があり……
当面の「準備期間」は知識の蓄えに努めたいのだ。


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