見出し画像

佐藤町子SS 海の家③病と取引



 こっちだよ、と手招きする灰谷さんの背後に隠れるように歩く。室内席を抜けて、廊下に出る。一番奥の扉の先にあるのだという。
 スーツ姿の灰谷さんは、ましてかっこいい。いい匂いのする背中にぴっとりくっつきたくなる。でもそんなことしたら、絶対嫌われる。

 そのまま灰谷さんに連れられて入ったVIPルームは、部屋全体に宝石が埋め込まれたようなギラつき方で、なんだか頭が痛くなる。テラス席とか普通の室内席とは、全然雰囲気が違う。
 最近少しだけ体調も良くなって、こうして灰谷さんのお願い事をこなせるようになった。今日はVIPルームにて、灰谷さんのお友達を接待する依頼だと言われている。よくわからないけど、楽しくお喋りすればそれでいいみたい。

「佐藤君は、とりあえず僕の隣にいてくれればいいよ」
「ありがとうございます」

 ふかふかの赤いソファに腰掛けたけど全然落ち着かない。グラスに入った飲み物を灰谷さんが勧めてきたので、思い切って飲んでみる。舌と喉がピリピリして苦い。でも灰谷さんが勧めてくれたものは、なんだって私の中に馴染んでいく感覚がする。最初は拒絶した身体も飲んでいくうちにすんなりと受け入れて、苦辛い飲み物も私の一部になっていく。私が形成されていく。

「灰谷くぅん、こいつが例の女??」

 突然話しかけてきた大柄な男性が、私を舐め回すように見てきた。比喩でもなく舐め回されるくらい近づかれたので、ちょっと驚いて飛び跳ねてしまった。失礼な態度だったかな……私は、すみません、と呟く。

「いや違いますよ獄寺さん。僕はそういうのやってないです。この子は自分の女なんで、あんまり手出ししないでくださいよ」
「グゥハハ、随分と芋臭いガキが好みなんだなぁ、ええ?そういや、前に使えるって言ってたガキも高校生だったろ」
「獄寺さんに言われたくないですよ。今回は中学生を選んだって聞きましたけど」
「グゥハハ、ばれた?ごめんね嬢ちゃん、下品な話してさぁ!」
「いえ!大丈夫です!」

 何のことかよくわからなかったけれど、灰谷さんは私を守ってくれたみたいでほんのり頬が熱くなる。さっきから熱かったような気もするけど、きっと会場の人口密度が高いからだと思う。本心は私みたいなちんちくりんが退場して、少しでも皆さんの熱気をマシにしてあげたいところだけど、灰谷さんの側を離れたくない気持ちが勝った。

「じゃあ佐藤君、ここからがお願い事になる。今から僕は交渉や取引が沢山あるから、佐藤君にはこの席をキープして、時間が余ったお偉いさんとお話をしてほしい。ただし、僕のところから離れてしまいそうな頼み事は断ってね。まだまだ君は……ククッ、僕の元で働いてほしいからね」
「わかりました」

 灰谷さんに手を振ったら、入れ替わるように男の人が隣に座る。「君、黄昏生なんだって?」と男の人に話しかけられた。名前は三橋というのだそう。三橋さんは両目が飛び出ちゃいそうなくらいギョロリとしていて、笑うとちょっぴり怖かった。

「名前は?」
「佐藤町子です」
「町子ちゃん結構お酒飲むんやね。強いの?」
「これお酒だったんですね!初めて飲みました!母がよくお酒を飲むので、遺伝的に強いのかもしれません」
「そうか。なるほどなぁ。ところで町子ちゃんは、黄昏の解決部知ってる?」
「はい!所属していますよ!」
「ブハッ、まーじー?」

 刺激的な香水が鼻腔をくすぐる。今飲んでいるお酒と同じような刺激。オーラが強い人は、匂いも強いのかな。

「本当です!あの、解決部をご存知なんですか?」
「そりゃね!まあ正直邪魔くせぇけどな!俺らからしたら!」
「どうして……」
「今ほら、病気流行ってんだろ!幻感病!あれさぁ、俺らからしたら金になるっちゃんね」
「病気がお金に!?」
「そうよー?ガキにゃわからんっちゃろーけど、殺し屋からしたらあんな手軽なもんはねぇよ。証拠も一切出らんし。やけさぁ、噂で聞いたっちゃけど、感染抑えようとしよるんやろ?学生の分際でさぁ。俺たちのビジネス、奪われちゃってんの、わかる?俺たち、そんなことされたら金入らんくて生きてけねーよ?」
「す、すみません……!そんな、そんなことも知らずに」

 三橋さんは真っ黒な煙を吐いて、灰皿にタバコを押し付ける。薄く灯っていた火が消えた。

「どうせここの会場のことも知らんのやろ町子ちゃん。ここは殺し屋の取引所でもあんのよ。お前の飼い主も、多分それで忙しい」
「そ、そうだったんですか……」
「あそこに、若い女がおるやろ」

 三橋さんが指差した先には、金髪の女性がいた。私みたいなただの高校生とは、オーラとか気品とか、何もかもが違ったけれど、よく目を凝らしたら、顔がちょっと幼い気もする。

「あいつは魔人だか魔女と繋がっとるらしくてさぁ、ある程度は人間を幻感病に感染させられんのよ」
「あの人が……」

 金髪の女性は辺りを見回しながら、VIPルームの更に奥の、別室へと入っていった。

「今別の部屋に行ったやろ?そこで殺し屋はあの女に金を渡す。で、殺し屋は客から金をもらう。あの女、そんなに金は要求してこんけなー、ビジネスとしては最高なんよ」
「すごいですね!頭が良いんですね!」
「だからさぁ、幻感病自体無くそうと必死に活動してる学生君はさぁ、流石に俺らからしたら目障りなのわかる?」
「すみません……!本当に、すみません!」

 お前の飼い主は何も教えてないんやろな……ぐいぐいと青いお酒を煽った三橋さんは、私の両頬を片手で鷲掴んで、キスをした。舌が絡みつく感覚は一瞬で、すぐにヒリヒリした痛みと、大量のお酒が喉に流れ込んでくる。無理やり飲み干して、口が開放されると、三橋さんは私の頭を撫でた。

「俺の奴隷になるなら許してやる。それと、さっきのことは解決部には黙っとけよ」
「……はい。で、でも、灰谷さんに影響出ないなら、いい、ですけど……」
「はー?お前あんな小汚い詐欺師に惚れとーと?やめとけやめとけー。捨てられるのがオチやわ。俺なら捨てないって、まじで」
「灰谷さんは……恩人なので……」
「ま、いーや。テキトーにたまに体貸してくれるだけでいいし。そんな重く捉えんな。解決部の連帯責任ってだけやし」
「すみませんでした。……わかりました。体を貸せばいいって、どういう事ですか?」

 三橋さんは豪快に笑った。

「俺は獄寺さんや灰谷みたいな趣味、そんなにないんやけどな!」
「?」
「体を貸すってのがどういうことか教えちゃる。裏部屋いくぞ」

 三橋さんに無理やり手首を掴まれ、なすすべもなく別室へと連れ込まれた。金髪の女性が入っていった別室だ。扉を開けるとまたすぐに扉がある二重式だった。扉と扉の間に、真っ黒で大きな男の人がいて、「名前を」と呟いた。低くて早口。三橋さんがフルネームを言うと二つ目の扉を開けてくれて、瞬間聞いたこともない声が飛び込んできて、一瞬何なのか、本当に声なのかもわからなかったけど、よく聞いたら女の人が変な声をあげているように思えた。奥の方から聞こえるそれは、カーテンで仕切られていて中の様子はわからないけど、とんでもない事をしているのはわかる。さっきの部屋と違って、コンクリートの壁は灰色でところどころ黄身がかっていた。派手さはない。裏部屋と呼ぶのに相応しいような場所だった。

「体貸すってのはこういう事だよ町子ちゃん」
「……そうなんですね」

 よくわからないけど、首を縦に振っておいた。体を貸すという事は、変な声をあげて何かをする事?らしいけど、怖くて詳細は聞けなかった。
 汚い部屋に不釣り合いな、豪華なソファがいくつか並んでいて、大辛な男たちが何かを吸いながら白目で笑っていた。怖い。その隣で優艶な赤毛の少女が笑っていた。……いや、私には笑っていないように見えた。青い二つの瞳が、表情の中でくっきり浮いていて、彼女の中で唯一暗い。影のように。

 その二人と向かい合わせで座っているのが、さっき見かけた金髪の女性だった。お金を数えている。赤毛の人と違って、金髪の人は1ミリも笑わない。機械のようにお金を数え終わると、「わかりました。1日30人までなので下半分はまた別日になります」と言った。声色が冷たい。夏なのに、心身がヒンヤリとする。

 赤毛の女性が「名簿を確認させていただけませんか」と笑顔を作った。それでも目が笑っていないように思える。名簿を眺めて、また一段と暗い瞳になった彼女が、私はどうも気になる。ぼけっとそちらを見つめていたから、三橋さんに「お前も接待してくるか?」と言われた。

「え?」
「ここは取引所とヤリ部屋兼ねとるんよ。取引所っつっても味気ないやろ?だからああやって、人気のある嬢はVIPじゃなくてこっちにつくんよ。あの赤い髪の女の子は人気やからな、特別。ちなみに人気ないけど可愛い子はあっちで接待」

 と変な声が上がり続けるカーテンの方を指差した。怖そうだけど、私が必要とされるなら、接待したい。私は頷く。

「私、なんでもやります」
「意外と根性あるね、じゃあ俺の接待を」

「困るなぁ三橋さん。僕の女なんですって、佐藤君は」

 背後で微笑んでいたのは灰谷さんだった。灰谷さんの顔を見た瞬間、離れちゃいけなかったことを思い出して、私は「ご、ごめんなさい。すみません。すみませんでした」と頭を下げた。どうしよう。灰谷さんの言ったことを無視してしまっていた。連れられてきたとはいえ、少しだけ別室への興味も湧いていたから、何の言い訳もできない。どうしよう?嫌われたらどうしよう?

 疎ましそうな視線をソファから感じる。多分座っているお偉いさんから、うるさいって思われている。ごめんなさい。どうしたらいいんだろう私……。

 私が謝っている間、灰谷さんと三橋さんは何か話しているようだったけど、三橋さんが諦めたように「このバカ女なんか飼って何になんだよ」と私のお尻を蹴り飛ばしてどこかに行ってしまった。私は勢いよく転がって、都合よく床に突っ伏したので、そのまま土下座に移行して、灰谷さんに「申し訳ありませんでした」と謝った。

「いいよ」
「私、なんでもしま……え?」
「いいよ。帰ろう」

 顔を上げると、灰谷さんがにっこりしていた。私の手首を優しく掴んで、「僕の女が失礼した、気にしないでくださいね」と一声かけてVIPに戻った。もしかしたら、こっちの部屋で怒られるのかもしれない。私を目をギュッと瞑って、どう謝ったらいいのか、どうしたら灰谷さんが喜ぶのか、一生懸命考えたけど思いつかなかった。私はなんて馬鹿で愚かなんだろう?
 VIPのソファに戻った時は、もう私の胸はいっぱいで、涙が止まらなかった。

「灰谷さん、私……」
「いいよ。何も問題ない。おかげで良い取引もできた。さっきの三橋さんは、適当に脅しておいたから大丈夫。むしろ感謝しているよ」
「え……感謝ですか」
「ククッ……まあね」

 少し落ち着いたら、また灰谷さんがお酒をすすめてくれた。チビチビ飲んでいたら、遠くの席で年配の男性に囲まれた愛川さんを見つけてしまった。フリフリの水着を着て、苦笑いをしている。あれも……接待?もしかしたら、愛川さんも赤毛の人みたいに、別室に行ってみたいのかも。

「……佐藤君」
「あ、はい!」
「今見つめていた水着の子は知り合いかな?」
「あ、えーと、あんまり喋った事はないんですけど部活が同じです」
「部活が同じ……?ふーん、そうか。そうなんだね」
「どうされましたか?灰谷さんもお知り合いなんですか?」
「いやぁ……知り合い……ふっ、どういうことなんだろうね」

 微笑む灰谷さんの、柔らかい表情が見れて、なんだか安心してしまった。圏外表示のスマホで時間を確認する。もう夕方に差し掛かっていた。今日は灰谷さんに相談したいこともあったけど、また今度でいいかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?