見出し画像

佐藤町子SS 契約



 土曜日はお母さんが帰ってこないから、家には私しかいなくなる。本当は一日でも多く働きたいけど、店長が「たまには休みなさい。休んで元気になってまた働いてくれたらいいんだよ」と言ってくださったので、今日は一日オフだ。一日オフって、いつぶりなんだろう?

 部屋がたばこ臭いけど、窓を開けるか迷った。以前、換気も消臭もバッチリしておいたら帰ってきたお母さんに「あたしが臭いとでも言いたいのかよ!」と怒られた事がある。でも、あまりにも部屋がたばこ臭かった時は、「掃除もできないのか、役立たずが!」と怒鳴られたので、私は掃除をするかしないか決めかねているうちに午前中が終わった。悩んだ末、窓を少しだけ開けることにした。臭すぎず、綺麗すぎずがいいのかなって。

 そうだ、久しぶりに待合室に行こう!私、全然解決部に貢献できてないし。

 髪を整えたら、下着姿でクローゼットを開ける。学校指定の制服とバイト先の制服だけが並べられた寂しいクローゼット。可愛い服は欲しいけれど、お母さんもきっと服が欲しいだろうから、それなら私は無くてもいいかなと思う。制服は、学校のもバイトのも可愛いから。私服だってバイトの制服を使えばいいし、休みの日に学校の制服でうろつくのも悪くない。十分可愛いよね。服を着て、おまけに白い帽子を被った。これは、店長から貰ったものだ。「きっと似合うよ」とくれた帽子を私はいつも大切にしている。これも可愛くてお気に入りだ。私なんかには、勿体無いな。



◯⚪︎◯⚪︎◯



 学校に着いた私が浮浪者のように廊下をふらふら歩いていると、

「まっちー!!」

 後ろからひまりちゃんが、忍者のような身軽さで私を抜かして、目の前に現れた。そして仁王立ちをしている。とろい私とは大違いだな〜しかも可愛いし……。可愛いひまりちゃんに癒されていると、ひまりちゃんは「んふふ」とバッグを漁ったかと思えば、前屈みになって含み笑いをしている。両手で後ろに何か隠してる。
 私は白帽子に両手を当てがいながら、「どうしたの?何かあった?」と首を傾けた。ひまりちゃんはニコニコしている。

「まっちー!!困ってることあるでしょー?」
「私が?ないよ〜」

 解決部なんだから、と笑いかけると、「まっちーおもしろ!解決部だって困ることたくさんあるでしょ!」と歯を見せる。そうかな?解決部なんだから、解決する側なんじゃないかなー?と私は思うんだけど……。

「まっちースマホ持ってないじゃん!だからあげようと思って!ジャーン」

 ゴテゴテのステッカーがケースに貼られたスマートフォンを、後ろから取り出すひまりちゃん。思わず目を逸らす。廊下の端に埃が溜まっている。
 スマホは……私は持てない。私は、普通とは違うし、みんなとは違うから。

「どうどう?アタシのお古で申し訳ない!なんだけどさー、不便でしょ?解決部ってスマホないとね」
「そ、そうなんだけど……えーと……そうだ!私実はスマホアレルギーで」
「ぷっ、なにそのギャグ!変すぎ!まあいいからいいから、操作方法とかわかる?わかんなかったら教えるよ」
「え……う、嬉しいけど、そういうのは調べたら……あ、いやいや!私はとにかくいいから、そうだ!他の人!他の人とか困ってるんじゃない?スマホ持ってない人他にも」
「いないいないイマドキ!とにかくあげるよー!バイバーイ」

 ひまりちゃんは私にスマホを押し付け、後ろ髪をフリフリさせながら廊下を走って行ってしまった。どうしよう。でも、他人からプレゼントを貰う珍しさと嬉しさが、ギリギリ心配に勝った。でも、どうしよう。

「流石に貰ったものを使わないってわけにはいかないよね」

 それから試してみたけど、噂で聞いた通り黄昏学園のWi-Fiは全然繋がらない。掲示板にも文章を打ち込めないし、これじゃ持ってないのと変わらない。

 お母さんは度重なる携帯代滞納でブラックリストに入っているから、スマホの契約は出来ないし。私が18歳になったら、使えるんだけど。何よりお金もカツカツだ。

「でも、貰った物を使わないのはひまりちゃんに悪いし、何よりどこでも使えないスマホなんて絶対変だってみんなに思われるよね……」

 お金は、私の分の食費を削ればいいとして、契約ができなさそうなのは、どうしようもない。




◯⚪︎◯⚪︎◯





「どうした?町子ちゃん。浮かない顔をしているね」
「あ、店長」

 かちょー食堂のバックヤードで、私は出勤前の準備をしていた。準備といっても、私は制服を着て出勤するので、着替えもないし、ただ発声練習とか、接客の心構えを読むくらいのものなんだけど。

 店長は大きなおでこを自分で撫でながら、しゃがみ込んで私に目線を合わせた。店長のブラウンのメガネが照明を反射してキラキラしている。

「町子ちゃん、悩みがあるなら店長が聞くよ」
「えっと、なんでもないです……」
「君はすぐそうやって言うからねぇ。町子ちゃんのおかげで、うちの『かちょー食堂』は成り立っているんだからね」
「店長……」
「だから、町子ちゃんの心のケアも売り上げに繋がってくる」

 と店長は思うんだよ。照れくさそうにぽりぽりと頬をかく。店長はいつも私に優しい。私がお客さんを(理由はわからないけど)不快にさせてしまった時も、私を物凄く庇ってくれるし、身を守ってくれる。私はぜんぜん、怒ったり、私が謝ることで、お客さんが満足してくれるなら、それでいいんだけど……。店長は「いいや、君はもっとわがままになっていいんだ」と言ってくれる。店長、なんていい人なんだろう。可能な限り、ずっとここで店長の役に立ちたいな。

 私は重い口を開いて、少しだけ事情を話した。

 お母さんのことは伏せて、スマホ代を私が滞納しすぎてスマホが使えなくなったということだけを伝えた。

 店長は私の話を「ふむふむ」と真剣な表情で聞いた後、卵がとろけるように柔らかい笑顔を見せた。

「なんとかしてくれそうな店長の知り合いが、一人いるんだ」
「なんとか?」
「スマホを使えるようにしてくれると思う。タダではないと思うけど……無理なことを要求したりはしないから」
「あ、いえ!私が出来ることならなんでも」
「もーまたそう言う。店長は心配だよその町子ちゃんの信条」

 店長はメモを取り出して、ペンでサラサラと何かを書いている。それにしても、一体どう使えるようにしてくれるんだろう?機械にうんと詳しくて、Wi-Fiもスマホの契約も不要でネットを使えるようにしてくれる……とか?いや、そんなこと出来ないよね……。

「今日は締め作業やらなくていいから、バイトが終わり次第この電話番号にかけてみなさい」

 メモ紙を店長から受け取る。ハーフ?の人の名前と、電話番号が走り書きされていた。店長に「ありがとうございます。店長、いつも私なんかのためにここまでしてくださって……」と頭を下げる。
 店長は軟体生物みたいなふにゃりとした笑顔を私に向けて「いいんだよ」と言った。店長も、その人に結構世話になっているんだよ。















ーーーーーーーーーーー

 灰谷ローベルトさん

 xxx-xxxx-xxxx

ーーーーーーーーーーー







◯⚪︎◯⚪︎◯





 バイト終わり、公衆電話ボックスに入って電話をかけた。受話器から流れる音を聞きながら、ガラス越しに真っ黒い川を眺めていると、もしもし、と男性の声がした。
「は、灰谷さんでしょうか。あの、私てんちょ……かちょー食堂の東野店長の知り合いの」と言いかけたところで、「ああ、佐藤町子さんだよね?こんばんは」と明るい声がしたので安心した。店長、もう話してくれてたんだ。灰谷さんからは来てほしい事務所の名前と日時を伝えられた。幸いその日はバイトがなかったのでよかった。まあシフトがない日も、雑用とかやる事はたくさんあるし、結構出勤している。店長も入ってもいいけど、身体には気をつけてよ?本当にね。と言ってくれるのでありがたい。お給料も、手渡しでたくさん出してくれる。いけない事だけど、私には本当にありがたい……。

 後日、私は雑居ビルの前で数分立ち尽くした。入ったことのない大人のビルに入るのは、結構緊張する。でも、店長にも灰谷さんにも迷惑はかけられない。ビルの扉を開けて「失礼します」と小声で言ったが、目の前には古びたエレベーターがあって、周りに誰もいなかった。恥ずかしい。エレベーターに乗って、3Fへ上がると、廊下が広がっていて、一部屋だけ扉が開けっぱなしになっていた。ここかな?

「し、失礼します。あの、東野店長からの紹介で……」
「やあ。忙しいだろうに、わざわざありがとう」
「あ、い、いえ!こちらこそお忙しい中」
「佐藤君だったね?灰谷です。よろしく」
「よろしくお願いします……!」

 細くて身長の高い人だった。頭が、天井まで届きそう。青暗い長い髪をさらりとかき分けて、「東野君から大体の事情は聞いているよ。大変なお母さんを持ったね」と言った。私は「え」と大きな声が出てしまって、慌てて口を噤んだ。
「え?店長から?……あれ?私店長にはお母さんの話はして……」
「そうなの?……母親のせいで携帯会社との契約ができないって話であってるかい?」
「あ!あってます!店長把握してくださってたんだ……。私、変に隠しちゃったの見透かされてたかなぁ。あ、でもでも、母親のせいっていうか……お母さんは、悪くないんです。元はと言えば、私が悪くて……」
「と言うと?」
「……えーと、もう嘘は良くないから何でも話します。初対面の人にする話でもないんですけど、私のせいでお父さんがいなくなっちゃったから、生活が苦しくなっただけなんです。それで、お母さんが……困ってて」
「なるほどね」

 男性はニコニコと微笑んだ。気にする必要ないよ、とでも言いたげだった。気遣いは本当にありがたいけど、ほぼ全ての私の問題は、私が悪いだけなんだ。

「しかも君は……くくっ、偶然にも黄昏学園の解決部に入っているそうじゃないか」
「私なんかが人を助ける部活にいるの、変ですよね」
「いや、失敬。笑ったのはそういう意味じゃない。実は黄昏学園には知り合いがいてね。世間は狭いなって、つい笑っちゃったよ」

 笑みを浮かべる灰谷さんに、私もホッとして、「そうだったんですね」と微笑みかける。この人、笑顔が沢山で素敵だな。笑う時に大きな身体を折り曲げる仕草も好き。他人の笑った時の口元やえくぼを見ると、やんわり安心する。馬鹿にされてもいい、なんでもいいから、私に笑いかけてくれる人は好き。これでいいんだって強く思えるから。

「本題に移ろうか。契約はこちらでやっておくよ。パスワードなんかは適当に設定しておくけど、全て変更しても構わない。君は、毎月のスマホ代を払ってくれたらいいよ」
「え……でもそんな……。それって、」
「うん。流石に君もいい心地はしないよね。赤の他人が契約してくれたスマホを使うだなんてね。だから、スマホ代とは別に、定期的にお願い事を引き受けてくれると助かるんだ」
「お願い事……ですか」
「うん。そう難しいことはお願いしないつもりだよ。解決部の片手間にやってもらえたら、それでいい」

 両手を組んで顎に乗せ「どうかな?」と微笑みかけてくる。私を必要としてくれるなら「喜んで引き受けます!」私は、接客時の何倍もの笑顔でにっこり微笑んだ。

「あの、お願い事は難しいやつでもいいです。失敗しちゃうかもしれないですけど、あの、やれることはやります」
「……東野君が言っていたのは本当だったね」
「え?」
「いや、ね。東野君がとってもいい子だと君のことを評価していたからね。頼み事は絶対になんでもやる。それどころか、常に要求の数倍のレベルでリターンしてくれる素敵な子だと。正直、言いすぎなんじゃないかと思っていたけど。東野君にも、佐藤君にも失礼だったよ。すまない」
「そんなそんな!店長、そんなこと言ってくださってたんだ……嬉しいな……」
「スマホの本体は持ってきてくれたかな?」

 私はポケットから出したスマホを「お願いします!」と灰谷さんに渡す。
「確かに。受け取ったよ。君は本当にいい子だ。毎月、しっかり払ってね。振り込んで欲しい口座はまた伝えるよ。とりあえず東野君に空いてる日を伝えてね。契約済みのスマホやら何やら渡さないといけないからね」
「もちろんです!すぐに行きます」

 雑居ビルを勢いよく飛び出た私は、大雨降りしきる中、傘もささずに家まで走った。心は晴れやかだった。

 スマホを持ったら、もっとたくさんの人の役に立てるかな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?