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オダネネSS 海の家①薫風





 バイトをほっぽり出してプールに入る。足をそっと入れるとぬるい。陽射しに照らされた水面がキラキラと、水着姿のあたしを歓迎していた。

 バイト中は小虎に見られ続けて爆発するかと思った。限界を迎えたあたしが「あたしのことなんか見なくていーから、あっちで遊んでこい!」と流れるプールを頑なに指さしたら、しょんぼりした顔で「わかったよ」とシャチを抱えて行ってしまった。だって、水着とかあんま見られたくないし。小虎半裸だし……。あたしが小虎を監視するのか、逆だったか、もう忘れたけど、とにかくあいつはバイト中、ずーっと角の席に座ってへらへらあたしのことを見てやがって、本当にうざかった。そもそもあたしにも小虎にも監視とかいらねーだろ。

 ざぼん、とプールに沈む。澄んだ水、ざらざらした壁、光る水面。あたしはプールの授業はだるくて大嫌いだったけど、参加した時は決まって潜水していた。潜水した時の異世界感が、クソだるい授業だってことを忘れさせてくれる。

 息が苦しくなって空中に帰る。太陽があたしを迎える。
 ここのプール、大盛況なくせにあり得ないぐらい広いせいで、あたしが今いる小さいプールみたいに穴場貸切スポットが出来ている。ガキどもが少し離れたところでウォーターバレーをやっているくらいしか、人けがない。なんであんなバレー用のネットが至る所にあるんだ。多分ここも有栖川グループのプールだろ。

 ガキどもを見てたら、「姉ちゃんもやろうぜ」と誘ってきたので、仕方なく腕をぶん回す。「ぎゃはっ!あたしとお前らじゃ実力差がありすぎるけどいーの?」
「お姉ちゃんチビだから弱そう」
「殺す」

 それで殺人アタックを決めてガキをプールに沈めようとしてたら、案外このウォーターバレーが面白い。ただ、腰まではプールに浸かってるからまじで動きづらい。殺人アタックなんて早々打てないのだけが残念。
 ガキは元々三人でやってたのを交代で回してたから、あたしが入って四人でちょうどよかったけど、コートがデカすぎてなかなか二人じゃカバーができない。

「ねー、お姉ちゃん一人で来てるわけじゃないよね」
「あ?まー、バイト飽きて抜けてきたけど、」
「お姉ちゃんどうせぼっちでしょ」
「は?」
「ふん、おれは彼女いるよ!こいつ彼女だし」

 ガキがガキに腕を回してアピールする。女の子の方は「ちょっと!やめてってば!」って言ってんのに顔がまんざらでもない感じがムカつくので男の方にバレーボールをぶつけておいた。もう一人の男の子は涼しげに笑っている。ぜってー将来はこっちのがモテるだろ。

「お姉ちゃんどうせ彼氏いないんでしょ」
「あ!?」
「いなさそう。キスしたこともないでしょ」
「おまっ……しね!マセガキ!」
「で、いるの?いないの?」

「あ、おだねねー!!おだねねがいる!!バイトはどうしたの?」

 最悪のタイミングでシャチを右脇に抱えた小虎が、にへらにへら笑いながら近づいてくる。シャチと戯れてた大型犬にしか見えない。あたしは咄嗟に少し膝を折って、胸までプールに浸かる。

「んだよお前!!あっちいけ」
「ひ、ひどい……って、楽しそうなことやってる!いいないいな、俺も混ぜて」
「……お姉ちゃん彼氏いるじゃん」
「ちげーよばか!」
「え?でも明らかに彼氏じゃん。隠さなくていいよ、俺たちわかるし。ね?」
「うん」
「黙れガキ!!」

 何の話すか?とプールに入って近づいてきた小虎に思い切りボールをぶつける。シャチを奪い取って、馬乗りになってガキどもに宣言する。「あたしは今からこれに乗ってやるわ」
「ずりーぞ姉ちゃん!」
「悔しかったらあっちの購買で買ってこい」
「おだねね〜〜おれのっすよ〜〜」

 それから5人でバレーを楽しんだ。小虎もあたしがバイトを抜け出したことなんかすっかり忘れて、バレーに夢中だった。多分思い出したら「ダメっすよ!!戻らなきゃ!!雨森さんがあーだこーだ」とか言い始めそうだからとにかく小虎をバレーに集中させておかないといけない。雨森、がんばれよ。

 そのうちガキどもが、おれらはもう門限だから帰るだとか言い出したので引き止めた。あと30分ぐらいはいーだろ?って言ったら、何だかんだニヤつきながら「仕方ねーな!」って目を見合わせて笑っていた。ちょろくて助かるわ。小虎にコートを任せながらあたしは急いでプールを上がって電話をかける。

「よ。榎本さぁ、プールこいよ」
「行かない」
「いーじゃん!!今ウォーターバレーやってんだけどさ、一緒にやってるガキが帰るから小虎と二人になるんだよ」
「それなら塞翁君と二人でやればいいだろう。私は今忙しいよ。他を当たってくれ」
「いーだろ?お前いねーとつまんねーしさ、お前がいないと始まらないだろ?」
「何がだ」

 なんだろーな……。うざったい陽射しが降り注ぐ。でもこの夏の感じ、あたしは嫌いじゃない。

「とにかく、私はプールには行かないよ。織田君も知っているだろう。私はプールは嫌いなんだ。一年の時も、今も、プールの授業は出ないよ。おかげで1学期の体育の通知表は絶対に2だ。全く、教育システムのアップデートが出来ていない。大体、」
「あーわかったわかった。知ってるって、でもさ……」
「誰に電話してるんすか?」
「うわ!!小虎来んなばか!!」
「なんで!?!?」

 胸元を隠して小虎をぶん殴る。いだいいだいって言いながら防御姿勢をとるくせ、全然動こうとしない。

「あっち行け!見るな!」

 しかもあたしも小虎のこと見れねーし!……なんで男は半裸で平気なんだよ。

「だ、だって……つばさくんたちが呼んでるんすよおだねねのこと。おれ一人じゃ弱すぎてつまんないって」
「あ?頑張れよお前。今榎本誘ってんの!あのガキども帰ったらお前と二人じゃん。まず榎本いねーとつまんねーだろ」
「ひど!?……でも確かに、榎本さんいたらもっと楽しいけど」
「榎本聞こえたか?小虎もそう言ってるから来い」
「…………全く、忙しいと言っているのに。織田君はいないとつまらないの一点張りで、よく私を誘えると思ったな」
「ぎゃはっ!一年の時からずっとそーだろ。とりあえずお前呼んだらなんか起きるしおもろいしさ」
「そうっすよ!榎本さんいたらおれも楽しいな」
「…………忙しいと言っているだろう」

 と呟いて切られた。小虎が「だめか〜」としょんぼりしていたけど、あいつは多分くる。切る前にちょっとガサガサ音がしてたから、いつものコートと帽子でも被ったんだろう。来なかったら帰ってからしばく。

「合計6人は呼びたいからあと3人だな!」
「え?でも、榎本さんは……」
「大丈夫。とりあえずガキどもとやってる間にお前3人かき集めてこいよ」
「えぇ!?お、おれ!?」
「誰でもいーから」

 小虎は、えー……とは言っても否定はしない。榎本も小虎もそう。あたしがわがままを言ったって、仕方なく応えてくれるんだって知ってる。まったく……と呆れる榎本や、仕方ないなぁと口角を緩める小虎に、ずっと甘えている。

「仕方ないなぁ、おだねねは」

 小虎の影が、頭を掻いている。薫風があたしらの間を抜けたのを良いことに、あたしは少しよろけて、小虎の影にあたしの影を重ねてみた。木々が風で擦れて、騒めいている。

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