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ひきこもり。辞めてばかりの人生。

私は元ひきこもり。
ありがたいことに、私がひきこもり状態になった日から27年の月日が経った。

自分ながらよくここまで立ち直れたと思う。
30周年になったら何かお祝いをしても良いくらいだ。

不登校からひきこもり生活が始まったわけだが、ひきこもりの歴史は辞めて逃げ出す歴史でもあった。

今は逃げ出すことは一概に悪いことではないと思っているのだが、当時は途中で辞めることで自尊心は傷付けられていった。

今回は辞めたことについてのエピソードを紹介したいと思う。

バイトを辞める

まずはバイトの話である。

17歳の頃に求人誌から、飛行機の清掃のバイトを選んだ。

私は飛行機に乗ったことがなかった。だから飛行機に乗ってみたいという安易な理由でこのバイトを選んだ。

バイトの内容は飛行機の座席を手早く拭いていくというもの。

そして座席の背もたれの裏に付いている網ポケットの中には注意事項が書かれたカタログや冊子が入っている。

それらを決められた順序で網の中に入れていくというのがもう一つの仕事だった。

とにかくこの作業はスピードが求められた。

飛行機が止まっているわずかな時間の間で全てを終わらせて、すぐに機内から出ていかないといけないからだ。

そして注意しないといけないことがあって、飛行機が空港に到着したあとも動いている間は、飛行機の前を横切ってはいけないルールがあった。

その理由はパイロットの気が散るというのが理由だった。

これには皆神経質になっており、まだそれが頭に入っていない私は横切りそうになることがあって、そんな時は荒っぽく同僚に腕を掴まれた。

求人にはバイトは半日と書かれていたはずだったが、朝からのバイトのときには飛行機内の清掃が終わった後に皿洗いが待っていた。

(あれれ?話が違うぞ・・・。)

またバイトの面々はギャルっぽい女の子達にドレッドヘアの男の子もいた。

今でいうところの私を含めた陰キャと呼ばれるタイプの若者もいたが、基本的に派手目の雰囲気の人が多かった。だから怖かった・・・。

追い討ちをかけるように、この現場を取り仕切っている責任者の男性の雰囲気がとても怖かった。

今考えると派手目の雰囲気の若者が多いので、舐められないように威圧感を出していただけなのかもしれないが、彼は基本的に現場にあまり出ることはなく、基本的にいつも事務所にこもってパソコン作業をしていることが多かった。

そしてバイト3日目に私は遅刻した・・・。

駅から送迎バスが出るはずなのに待てど暮らせどバスが来ない。
嫌な予感がした私は駅から空港まで出ている有料のバスに乗っていった。

事務所に入った途端、重たい空気が漂っていた。
その責任者の彼以外はもう皆現場に出ていた。

責任者「・・・・・・・なんで遅れたんや?」

責任者の彼は一切パソコンの画面から目を離さない。

私「あっ・・・すいません・・・時間を間違ってました。すいません・・・。」

責任者「今すぐ行けっ!」

私「はいっ!」

血相を変えて(いたはず)私は事務所を飛び出した。
バイトの序盤で大きく躓いた。最悪だ。

そして恐怖心の許容量を超えてしまった私は、翌日から無断欠勤をかまし、そのままこのバイトをバックレるという、もっと最悪なことをやらかすのであった。

言い訳の時間

さて、なぜ辞めたくなったかということを釈明したい。

求人の読み込み方が足りなかっただけだと思うのだが、この仕事はずっと半日だと思っていたことがまずあった。

そして、これが1番大きいのだが、お皿を洗っているときにこの時間が今後の人生ずっと続いていくという絶望感に襲われたのである。

若い頃はこの感覚がまだ私の中に残っていたのだが、年齢を重ねた今は既にこの感覚が無くなっている。この感覚は当事者の私ですら思い出せないので、理解できない人は理解できないと思う。

仕事をしている辛くて不安なこの時間が8時間も続く。それが明日も明後日も1年もずーっと、ずーっと一生続く絶望感の感覚だった。

この感覚に私は耐えられなかった。

若い頃、物事が続かない時は毎回この感覚に襲われていた。

無断で仕事を辞めるという最悪なことをしたので(辞める前日に責任者の彼は私をシフトに入れたスケジュールを組んでいたので、もっと最悪である・・)、しばらく空港には行けず、空港に行く用があったときには周囲を窺ってオドオドしていたものだった。

お遍路も途中でやめる。

辞めるといえば、私はバイトだけではなくお遍路も途中で辞めた。

また17歳の夏、私は四国のお遍路に初めて挑戦した。

しかし徳島市内を歩いているときにお遍路のルートを見失ってしまい、迷子になってしまった。

どうにもならなくなってへたり込んで休憩をしていると、目の前を自転車の二人乗りをした若者が通り過ぎて行ったのだった。

彼らは私を見ていた。私と目が合った。そして2人同時に笑ったのだった。

「キョウリュウみたい・・・。」

キョウリュウって、あの恐竜のこと?よくわからないが何かを言って笑ったのは確かだった。とにかく笑われたことが私には衝撃で、すでに対人恐怖症が出ていたのでパニックに陥った。

そこからはどうしたら良いのかわからなくなってしまい、寝床を探して徳島の町を彷徨った。しかし浮き足立っているので同じ場所を行き来するだけで、ただ日が暮れていく。

怖くなって実家に電話した。そして家族に助けを求めたのだった。

恥ずかしい。情けない。徳島まで両親に迎えに来てもらった。
当時は携帯電話を持っていなかったので、公衆電話に記名された住所を家にいる姉に伝えて、姉経由で両親に居場所を伝えてもらった。

その間、私は路地に入り込んで誰にも見られないように身を隠した。

身を隠していると自転車に乗った女の子が私のそばを通り過ぎて行った。そのときに目が合った。

「なに見とんや!おまえっ!!オラっ!!!!」

私は弘法大師さんの分身とも言われる金剛杖を振り回して自転車の女の子を追っ掛けた。そしてその杖を地面に叩きつけるという暴挙に出た。我がことながらイカれているとしか思えない。

深夜に両親の車は徳島市内に到着して、私は無事に実家に帰ることができた。

当時の写真があるのだが、感情を失い能面のような顔をした私が、両親と共に写っている。さっさとこんな写真捨ててしまえ!


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