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ひきこもり当事者にひきこもり経験者のサポートが有効だったというお話し。


私はひきこもり経験者です。

厳密にいうと、人と話はできませんでしたが、部屋から出て家族と話をすることはできました。そして電車に乗ることはできて、人の少ない映画館には行くことができました。本屋も大丈夫でした。だから「社会的ひきこもり」と定義できるのかもしれません。

就職する前にひきこもり当事者が集うフリースペースに通い始めました。

そのフリースペースにお手伝いでやってきたのがチャリさんでした。

当時彼は37歳。私は23歳。彼は私のことを「お前」と呼んできました。

見知らぬ人に「お前」と呼ばれる筋合いはありません。そんな言葉遣いのちょっとした荒さは対人恐怖をもつ私を警戒させるには充分な要素でした。それもあって私は他のフリースペースメンバーがチャリさんに接するよりも距離を置いていました。

ズケズケと私に近づいてくるチャリ。

その年の12月。ひとり暮らしの練習でフリースペースに1人で泊まっていました。すると突如深夜に来客がやってきたのです。チャリさんでした。


 「おい!ここに泊まっとるって聞いたで!お前のぉ、こんなことやめいって!おれの家に来いや!」

半ば無理矢理ひとり暮らし計画を中断させられ、この日からチャリさんの住むタワーマンションに1週間ほどお世話になったのでした。

チャリさんはひきこもり経験者でした。とっつきにくさはありましたが、彼の経験から語る言葉には説得力がありました。

チャリさん 「俺のときにはひきこもりって言葉はなくて、不登校って呼ばれとった」
 
私「ああ、チャリさんの頃はフリースペースはあったんですか?」

チャリさん 「あったで」

私「そのときの人たちって皆どうなったんですか?」

チャリさん「えっ?死んだ。全員…」

私「えっ?」

チャリさん「今の子たちは明るいよ…。俺たちの頃は暗かったし、みな病的だったで…」

結局チャリさんとの付き合いは、彼がフリースペースを突如やめて音信不通となってしまい、それっきりになってしまいました。

しかし、彼の伝えてきたことや教えは今でも私の中で色濃く残っているのです。

振り返っただけでも、こんなことを言われました。

見た目を変えると中身が変わる

身形を整えるだけでも、内面から自信が湧いてくる。だから、きちんとした服を着て、髪型を整えて、眉毛を整えて、ムダ毛を処理しろと言われました。

まずセーターとズボンをチャリさんから頂きました。

また当時私は散髪に行けなかったので、自分でバリカンを使って坊主頭にしていました。その坊主頭から伸びに伸びた髪をチャリさんにスキバサミで整えてもらい、ワックスを付けてもらいました。


 「お前の!こんなとこに毛が生えとったら女にもてんで!」そういうとチャリさんは毛抜きを持って、私の乳首まわりに生えていた毛を全て引っこ抜いたのです。

自分があまりにもダサすぎる。自意過剰な私は、同世代の若者が私のことをダサいと思ってバカにしていると思っていました。だから若者たちとコミュニケーションがとれません。

外に出ることができなかった原因のひとつは、この自意識の高さにありました。

しかし身なりを変えることで気持ちが高まり、その日の夕方は堂々とチャリさんと晩飯用の生姜焼きの食材を買いに、近所のスーパーに行くことができました。

外見を変えるだけで気持ちがここまで変わるとは大きな発見でした。

身なりは重要です。外見を変えることで中身も引き上げてくれることに気付きました。

そして、希望が湧くようなことばかり言ってくれた

常にチャリさんはフリースペースから外の世界へと出たあとの希望的観測を私に与えてくれました。

現状に対して大抵の人たちは悲観的なことばかり伝えてきました。

 「仕事なんて辛いことばかりで〜」「仕事を楽しむなんて無理!」とか「家にいるより仕事の方が全然辛いで!(←ひきこもった経験もないくせに言う)」

お言葉ですが、ただでさえ1人で家にいる状態で相当辛いのです。外に出たらもっと辛いなんて言われたら、仕事なんてできない。そのような絶望的な気分になりました。

 「なぜかひきこもってた連中って、助けてやりたいな〜って思わせるような魅力を持った奴が多くての…、外に出て辛くなったときも不思議なぐらいに助けてくれる人が出てくるんじゃ…」

 「ひきこもりは人生の底で…俺もずっと独りでいる時がいちばん辛かったもん。ええの〜お前、これから上がっていく一方じゃ!薔薇色の人生じゃの!」

視界が開けてくるような心境になれました。外の世界に踏み出してみようかなと思えたのです。

働いてみて。

チャリさんは他にも、外に出たときに共通の話題がもてるようにとにかく遊べと言われました(働いてもいないのに遊んでいたらバチが当たると思って遊べませんでした・・)。

またことあるごとに「お前、すごいの!」と褒めてもくれました。これが私にはエネルギーになったのです。

1週間ちょっとの短い期間でしたが、この期間は私にはとても大きな経験でした。

本当に困ったときには厳しい言葉より、希望が湧いてくる言葉を言ってもらった方が活力と勇気が湧いてくると思います。


働き始めて15年以上経ちました。外の世界でもなかなか辛い時期はありましたが、ひきこもり生活はなかなかヘビーな体験でした。

私の場合、誰からも必要とされていない状態で数年間ほぼ独りで家にいたので、心が不安定になりました。

一見すると「ひきこもり」は気楽な生活に見えますが、将来のことを考えると頭がおかしくなってしまいそうになるし、働いてもいないし働く自信もない・・と思っているので、いつも気が重いのです。

両親はいつまでも健在ではないということは理解していたので、常に焦りはありました。それが良かったのかどうかはわかりませんが、なんとかしようとする焦りが外に出る動機になったのは確かです。

当時の私は23歳。37歳のチャリさんはかなり年上のようでしたが、現在私は44歳になりました。

当時のチャリさんよりも大幅に歳を重ねてしまいました。

人生はあっという間に過ぎていきます。

経験を重ねて私なりに思うことですが、人生は地獄だと思う人には地獄のような人生になっていきますし、天国だと思っている人には天国になっていくものなのではないでしょうか・・。

この考えが真実かどうかはわかりませんが、私は天国のような人生にしていこうと思っています。

天国のような人生を歩んでいれば、怯えている人をますます怯えさせるような言葉を吐くような人間にはならないと思っています。

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