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「重職心得箇条」に学ぶ銀行支店長の心得』を読んだ、不易流行を大切に

昨今、「半沢直樹」というドラマの二期目が放送されているが、一期目のはちゃめちゃな支店長・役員たちに対する、「顧客第一主義」を実践する主人公半沢直樹にスカッとする人達も多いと思うのだが、各支店長とはそもそもどうあるべきか、について、佐藤一斎の「重職心得箇条」という書物から紐解く『「重職心得箇条」に学ぶ銀行支店長の心得』を読みました。

「重職心得箇条」自体は、銀行という領域関わらない、普遍的な道理を説いているため、ソフトウェア開発・ソフトウェアサービスを提供する会社で働く私のような人にも、非常に参考になりました。

佐藤一斎の「重職心得箇条」とは

東洋哲学や儒教などに明るくない人でも聞いたことがある一節はこの辺。

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。

小泉政権のときにあまり政治に関心の強い年齢じゃなかったので知らなかったのですが、当時の小泉さんが国会審議で引用していたりするのですね。これ自体は「重職心得箇条」ではなく、「言志四録」という四冊のうちの一冊に収められているようです。

佐藤一斎という人物は、自身この書籍で初めて知りましたが、彼がどのように後世の著名人に影響を与えたかを、書籍内に系譜図でまとめられておりましたが、吉田松陰や坂本龍馬といった人たちへ影響を与えた人物のようです。

当書籍では、「重職心得箇条」から支店長にとって学ぶべき・知る言葉を中心に筆者の解説が続きます。これらは、例は銀行の貸出業務や支店運営ですが、考え方はどのような職種にも当てはまるようなことです。

部下の声を聞く

次の文章は、重職心得箇条の第二条で、家臣の声を聞くことについて説いていました。

第二条大臣の心得は、先づ諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所、其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用ひるにしかず。有司を引き立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用ひる事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。功を以て過ちを補はしむる事可也。又賢才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択り嫌なく、愛憎の私心を去つて用ゆべし。自分流儀のもの計を取るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひなる人を能く用ゆると云ふ事こと手際なり。此の工夫あるべし

大まか次のようなことを語っています。

重職の地位にある者は、人と交わるとき好き嫌いを表に出してはいけません。好き嫌いという感情を自らの意識から捨て去り、分け隔てなく部下を使うように心がけることです

普段、よく思っていない人の意見を聞き、それを用いることこそ、重職の手腕といえます。

ゆうて、自分自身はたんに組織に所属する一人のソフトウェアエンジニアで、身近によく思っていない人がいるとか、嫌いな人がいるってわけではないのですが、人の意見を聞くときに気をつけないといけないことはあるな、と感じました。

ソフトウェアエンジニアにもいろいろな人がいますよね。その志向性も様々です。研究肌の人もいれば、一つの分野のエキスパートの人もいれば、ゼネラリスト的に幅広い分野をカバーする人もいれば、ソフトウェア設計や実装よりも業務知識に長けた人物もいる。私は、それぞれの感性に合わせて、別職種の人間だと思って普段接しているのですが、それがゆえに自分の中のカテゴライズで聞く声・聞き流す声があります(褒められたことじゃありませんが、自分と同じ職種だと思って聞くと、「心の中がざわつくこと声」があるなと・・・)。

ふんわりと、今の状況をさらに発展・進化していくためには、Engineering Managementなる分野が必要になってくるのかもしれないという恐れがあって、その恐れから色々自分の人格としてたりない点を考えるのですが、これは自分に足りない点だな、と自覚しました。

中国の古典「説苑」には、次のような言葉があるらしいです。

命に従って君を利する、これを順と謂ふ。命に従って君を病ましむる、これを諛と謂ふ。命に逆らひ君を利する、これを忠と謂ふ。命に逆らひ君を病ましむる、これを乱と謂ふ。君過あるも諫諍せざるは、将に国を危うして、社稷を殞さんとするなり。

自分自身「忠」でありたいし、知らず知らずに他人を「諛」にする重力を働かせないように気をつけないといけませんね。

優秀な人がいない?

組織の技術力の底上げ、みたいな話ってどの組織にも出るのかなとか思っているのですが、支店運営でもそういう話があり、それは支店長の責務ですよっていう話がありました。

支店長が、〝優秀な部下がいない〟と考えることは間違っています。優秀な部下がいないのではなく、部下は才能を出していない(本人の問題)・部下の才能を引き出せていない(上司の責任)と考え、才能を出させ・才能を伸ばすためには何をしなければいけないのかを考え、具体策を実行することが支店長の責務です。

身近な場所でも、どう才能を出して伸ばしてもらうか、みたいな話があるのですが、これについて内発的動機づけと外発的動機づけの2つをどう組み立てるか、がありますよね。

才能を引き出すために、「こういうふるまいは評価されるよ!」っていう外発的動機を注入したあとに、実際に行動を起こす最初のアーリーアダプターって、すでに内発的動機を持っていてそれが行動として顕在化していなかった(才能が引き出せていなかった、とも言える)層ですよね。そこから、内発的動機の波及効果を期待することを考えると、動機づけによる才能を引き出す期待ってこんなかんじになるのでしょうか。

外発的動機づけによる潜在化した内発的動機に対する刺激→新たな目に見えた行動をうけた周りに対する内発的動機の波及効果

不易流行

不易流行いいことばですよね。

〝不易を知らずして基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず〟といい、その意味するところは、「よい俳句を作るためには俳句の基礎を学ばなければいけない。一方、時代の変化に従い新しさも追い求めないと、陳腐な俳句になってしまう」ということです。

ソフトウェアエンジニアの技術的スキルとして、大きく3つのスキルが有ると、どこかの書籍で整理した言葉最近納得感があった。たしか、特定技術に対する知見・ソフトウェアプラクティスに対する知見・特定領域の業務知識、みたいな3つだった。自分はどちらかというと、「ソフトウェアプラクティスに対する知見」に対してこれまで興味があって、ある種ソフトウェアを作る行動・チーム開発の「基礎」を左脳で理解する(説明可能な言葉にしてスケールするだけの知見にする)ことに執着してきた。

だけど、一方で特定技術に対する知見も怠ると、絵に描いた餅にしかならないって感じることがある。完全に少人数でほぼ一人でやるときは自然と「特定技術に対する知見」は勝手にくっついてきたから問題ないのだけど、人が増えたり自分に求められるロールが変わると、ここをどう考えればいいかなと考えていた(休日趣味プロジェクトするとかどう最新技術学ぶかみたいな話ではなくて、そもそもどう考えることが自分の中で取り扱い方としてしっくり来るか)。

不易流行という言葉は、俳句の造り手の話だけど、何かを表現して形にするという点では、ソフトウェア開発者に対しても同じことが言えるな、と数年のもやもやが一言で表されてちょっとスッキリした。

学而不思則罔、思而不学則殆

「論語」爲政編で語られた言葉で、"学びて思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し"と読むようです。師の教えや書物の中身をただ覚えるだけで、その内容を自分で考えないのでは、真理が見えてこない、ということを意味しています。

「あの書籍でこう説明がありましたね」だけ出る状態に対して、自分自身めちゃくちゃ嫌悪感を持っています。例えば、やったこともないmicroserviceに対して、あそこではこう書かれていた・あの人はこう言っていた、だけとうとうと紹介している自分が現れると、帰り道切腹したい気持ちになります(こういう価値観を他人に向けると良くないってわかっているけどたまに顔を出してしまうのでまだまだ小生)。

しっかりと、自分の頭で考えて実践してその結果を持ってどうだったか、ここまでをどれだけたくさん回せるかを日々考えます(人生の時間が足りない・・・)。

連合艦隊令長官 山本五十六の言葉

この言葉は、支店長の問われる責任の一つとしての、部下の育成、という文脈で引用されていました。自分が周りを見渡すと、システムアーキテクチャや開発方法を主導するような方々が、この言葉を好んで引用している印象です。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

実際に、開発組織としてのスケールを考えた際に、「いかに開発組織内のメンバーが手を動せ、そのスループットを上げていけるか」や「新たに主導する人が現れるように誘導できるか」が必要になると思います。そうした場合の金言として端的に要点をついている言葉だなと改めて。

「君子豹変、小人革面」でありたいね

この言葉は、「立派な人物は、自分が誤っているとわかれば、豹皮の斑点が黒と黄ではっきりしているように心を入れ替え、誤りを正す。しかし、つまなる人間は外面を変えたように見えても中身は全然変わっていない。」ということを意味しているようです。

ぺこぱ風に言えば、「間違いを間違いと認められる人になろう」ですね。

おわりに

家に帰る時間が迫ってきたので、このへんで感想を終えますが、東洋哲学や佐藤一斎など日本の思想家の考え方にたくさん触れられる良書でした。道理を見直すと、己を見直すいいきっかけになりますね。

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