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King Crimson最終公演から色々感じ取る

昨夜(2021.12.08)オーチャードホールで行われたKing Crimsonの最終公演を観に渋谷のオーチャードホールへ行きました。以下感想。

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過去2回現編成のライブを観てきたせいか(2015年、2018年)、終始聴く、観るに集中することが出来た(観客も千秋楽のせいか常連さんが多かった印象)。

音響面では中音域が耳に突き刺さる感じでキツかったのと、全員が同時にガチ演奏すると音が飽和状態になりカオスな感じになっていたのが少し残念(音楽的なカオス感ではない)。これはクラシックコンサート慣れしているせいかもしれない。

演奏面ではドラムス3人は以前と比べて安定しており、ポリリズムもお手のもの(2回目のDrumsonsが好例)、グルーヴ感のある曲ほどトリプルドラムの音の厚みを余すところなく発揮してた感じ。メル・コリンズのサックスもエフェクターを使いつつ自由に吹いてた感じ。残りのメンバーも比較的安定して演奏していた。あと所々出てくる長3°の音程の美しさは素晴らしかった。

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50年以上にも及ぶキャリアを誇るKing Crimsonだが、演奏に対する姿勢はリーダーであるロバート・フリップを筆頭に常に向上心を持っているように感じた。が、同時に自分より上の世代――特に1970年代から目をつけていた人たち――は今回のラストコンサートで大感動し、大いに満足しただろうか、と28才の自分が疑問として湧いてくる。そう思うのは、アルバムを出す度にメンバーチェンジを行い、音楽の方向性が常に変わり続けていたのが2000年代まで続いていたが、2010年代は長期間同じメンバーで新曲も僅か、実験的な試みはトリプルドラムくらいでプログレッシヴさはほぼ無かったからである(ロバート・フリップ自身はそれでもプログレッシヴなものを模索していたとさすがに思う)。

無論、70年代は自分はまだこの世に存在せず、興味を持ち始めたのが2006年くらいだったので、今回の最終公演をKing Crimsonの歴史全体からのコンテクストでは語ることができないのは理解したうえで記しているつもりだが、2010年代のライブしか知らない自分として言えることは、演奏は大変素晴らしかったが、たとえば第九を聴いたあとのような、心から湧き上がるような感動はなかったのが正直なところではある。

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とは言いつつ、音楽制作や収入面において他者からコントロールされないように「欲によって稼働する業界の中に道徳的な事業モデルを構築する(UNCERTIN TIMES 2018パンフレットより)」ことを、DGMというレーベルで実現させ現在でも運営し続けたり、コロナ禍における日本の厳重な感染対策の試練=Disciplineを掻い潜ってまで来日する姿勢、そして最終公演終了後にみせた深々としたお辞儀は、ロバート・フリップが日本のファンを筆頭とするクリムゾンファンに対する強い責任感が表れていたと個人的に感じた。同時に出来ることは最大限やってきたという意思表示がひしひしと伝わってきたのも、それを裏付けるように50年以上にわたり(多少のエゴを感じるものの)バンドの活動を引っ張ってきた実績があるのもまた事実である。
最後に、自分自身King Crimsonに影響を受けなければ、今でも音楽もやってなければ作曲をやってないだろう。自分という人間を理解する一助になったのはKing Crimsonのおかげであり、その意味で、今回の最終公演は大変満足しているのである。

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