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神秘的耽美と災害

 別に、今日が震災から何年とか特別な日というわけではありませんが、強いて言えば大体11年と半年くらいが経過したはずです。あまり個人的な情報をインターネットに書くと碌なことにならないので詳細を述べるつもりもありませんが、当時私の実家は宮城県の沿岸のあたりにありましたので、地震、津波による被害というのもそれなりのものでした。
 今になって思い返してみると、強烈な災害体験というのは悲劇的というよりも幻想的な色合いのほうを強く帯びているような気がしています。例えば、津波に攫われ水面で踠く人の死んでゆくのを目の当たりにした人にとっても、つい先刻まで日常があった町並みが根こそぎ更地になっているような光景を目の当たりにした人でも、はたまた大切な人の泥に塗れた仏面を目にした人でも、それをリアリティのある時の流れの上で、確固たる現実として直視していた人間は殆どいないように思われます。恐らく、それをやって退けるのは神か狂人のどちらかです。
 友人や家族の結婚式、その二次会、三次会、四次会でベロベロになるまで飲んだくれて馬鹿騒ぎした次の日の朝、ホテルのベッドの上で、軋むように痛むアルデヒドの溜まった頭のなかで思い起こされるのは、夢か現か判然としないような、幻想的な昨晩の記憶ではないかと思います。
 よく日本は"ハレとケ"の文化だというようなことが言われますが、祝宴も災害も、どちらもハレという意味では、我々をここではない何処かへと連れ去ってしまうような、衝動的な、暴力的な、そういう血生臭い魔力を持っているような気がします。ただ、それも結局のところ夜が明けてしまえば夢幻泡沫の類なわけですが。
 バタイユは生贄とか身体刑とか、そういうこの世で最も残酷な、言い換えれば非日常的なモノの向こう側に彼岸の景色を見出そうとした、というふうに私は理解していますが、特にその前提に措定される"禁止"の概念を重要視していました。バタイユ曰く、禁止は労働により生じるものですが、これは一つの日常であり"ケ"であるわけですから、ぬるま湯の中で終わりなき日常を謳歌する田舎者にとっては、と言うより私含む我々は、わざわざそういう前提を置かずとも、無前提、無限定に終わりなき禁止の中を生きているわけです。三島的に言えば、エロティシズムとフリーセックスは全然違うというわけです。
 日本人で最もバタイユに精通していたのは個人的に三島だと思っていますが(澁澤龍彦だろうがというツッコミは御免被りたい)、三島が<禁止,違反,エロティシズム>という構図を<美,死,エロティシズム>というふうに書き換えて、つまり"禁止と違反"を重要視しなかったのは、この辺に関係があるんではないかと勝手に妄想しています。
 西洋には、東洋思想と根本を違える基督教的(特にカトリック)道徳、倫理がありますから、禁止と違反について意識的に説いてやる必要があったのはこのせいだと思いますが、少なくとも東洋的な、と言うより仏教的な視座からはこれは大して重要なことではないように思うわけです。
 漱石が晩年『則天去私』という言葉を使ったときに、そこに想起されたのが即神仏(ミイラ)や屍体、つまり神の如き非人間ではなく、あくまでも血の通った生きた人間の姿だったのも決して無関係ではないでしょう。違反は自然の恩寵であり、それが季節の祝祭でもあり災害でもあり、わざわざ人間の側が意識してやらずとも、自然は勝手に我々をそういうものと巡り合わせるという寸法でしょうか。
 自然災害の話に戻れば、少なくとも我々はこれを日常と地続きに迎え入れる準備は無いように思います。天の為すがままに、連続性と非連続性の間を、ハレとケの間を引き摺り回されるのであって、そこに知情意の付け入る隙は初めから用意されていないのです。
 禅宗の公案に『南泉斬猫』という有名なお話がありますが、これは禅の深遠さを端的に著した逸話だと思います。これはある種の不合理、と言うより反合理の表現ですが、洋の東西を問わずこの手の著作は存在し、それに相当するのはカフカの作品群のような、いわゆる不条理文学と呼ばれる類のものです。滅茶苦茶な命令をされたり、なんの脈絡もなく虫になったり、意味不明な状況に投げ出されたり、この種の作品にとって重要なのはブランショの指摘したように、何人の解釈を拒む文学空間の超出という一点にあると思います。
 先に指摘した"禅の深遠さ"というのもこの一点に尽きるわけです。どうして、なぜ、というようなあらゆる解釈を拒絶するということは、"私が解釈する"という行為自体を拒絶する形式でもあるわけです。これを、つまり縁起を無理矢理に論証しようとしたのがニーチェなわけですが、彼の到達したのは自己絶対化の境地であり、これはほとんど出発点を同じくしているにもかかわらず真逆のところに到達しているわけです(もちろん優劣をつける気はありませんが)。言うなれば、世界に私を還元するか、世界を私に還元するかの違いということでしょうか。前者が梵我一如的な唯識であるならば後者はエゴイスティックな独我論といった具合でしょう。禅においては諸法無我、つまり縁起を論証するのではなく縁起を解体するという、手順としても真逆の形式を取っているあたりも関係がありそうです。
 少し話が逸れました。禅の深遠さとは解釈を拒むことであり、解釈を拒むということは"私を去る"ことでもあります。そうして空っぽになった私は絶対者に引き摺り回されながら、彼岸と此岸を行ったり来たりすることになるわけですが、自然災害の幻想的な、神秘的な趣はまさにこの瞬間の絶対者との繋がりに端を発しているように思います。
 三島がどこかで「戦争のときほど自分というモノを重荷に感じなかった時期はない」というような発言をしていたと記憶していますが、この感覚は戦争と災害という二者の間を貫く、"私"を彼岸へと吹き飛ばしてしまう神秘的な暴力性によるところである気がしています。その大戦を導いていたのが太陽神の末裔ともなれば尚更でしょうが。実際問題として、震災発生当時、あれだけの状況に置かれながら私は、アレコレ考えるということを全くしなかったし、それは殆ど風の前の塵に等しいことを体で理解していたように思うし、それは私だけではなかったとも思います。
 この感覚は"自我(主体と言ってもよいですが)"を信仰するサルトル的なヒューマニズムとは頗る相性が悪いわけですが、これまた三島が「サルトルが大嫌い」と言っていた理由が少しだけ分かった気になっています(殆ど身勝手な解釈ですが)。別にサルトルに限らず、ヘーゲルにしてもバタイユにしても、絶対知、彼岸への道は意志(ないしは闘争)によって切り開かれると信じているわけですから、「自然の側が全部勝手に運んでくれるので、大人しくしていろ」と言われても到底受け入れられるものではありません。
 「人生は一行のボードレールに若かない」というようなことを言った作家もいましたが、ボードレール含め詩人というのは、たったの一行で此岸から彼岸を見通すような恐ろしい目を持っているように思われますが、そんな彼らが紡ぎ出す一行に比べて、因縁(因果)に流され移ろい続ける人間の一生というのがいくらか見劣りするように感じてしまうのもわかる気がします。
 少し無駄話が過ぎましたが、とにかく、私にとって災害の経験が、悲劇的と言うよりもいくらか幻想的に感じられるのは、こうしたはたらきによるところではないかと勝手に思っています。だからなんなんだ、とか、教訓めいたこととかは別にありませんが、その記憶が思い出の中でだけ美しく見えるというわけではなく、どうにもそういう時に誰しもが似たようなことを思うのではないかということだけは、なんとなく伝わっていれば嬉しいです。

余談

 書いていて思ったのですが、災害体験は一種の"非日常中毒"みたいなもののトリガーになりかねない気がしました。かく言う私も、あれだけ酷い目に遭っておきながら、心のどこかで巨大災害の訪れを楽しみにしていると言ったらあまりに不謹慎ですが、そういう変な感覚が全くないわけではありません。これは伝わる人には伝わると思いますが、非日常の中で脳みそが空っぽになっている人間の間には妙な連帯感というか一体感みたいなものがあって、それには今は消滅してしまった農村共同体の残り香を思わせるような妙な趣きがあります。それはかつての農村共同体に生きた人間が、"生きているのではなく生かされている"というような感覚を持っていたあたりと関係がありそうですが…翻って都市の人間は自身の生活が自律的かつ自立したものだと信じているように見えますが、それはそれでどうなんだろうなぁ…とか考えてしまう私はやはり田舎者なのでしょうか。
 とは言え、今現在の田舎と言えば、私の地元にしてもそうですがジャスコとラブホくらいしか娯楽のないところなうえに、本当に何も考えていなさそうな青年子女が跋扈しているようなところですから、あまり居心地の良いものではないでしょう。敢えて嫌な言い方をすればエロティシズムの楽園ではなく、フリーセックスの地獄なわけです。そんなこんなで、今現在は東京で暮らしていますが、なんだか居心地の悪さを感じつつ、別に地元に戻ったところで今更になって現代の田舎の暮らしに適応できる気もしないので、どうしたもんかなぁ…というようなことを考えていますが、結局地元で家庭を持つようなこともなく、都市部で働きながら年を取っていくんだろうなぁ、と思っています。
 

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