見出し画像

1月3日の日記 不幸で取るダシには泥を入れろ

・東野圭吾『マスカレード・ナイト』読了。夜ふかしし放題なので読書が捗る正月休みだった。

・シリーズ物だと知らなかったけど昔馴染のようによく知ってる気分で読めた。東野圭吾ってこういうのも書くんだ。

・というより、私が東野圭吾のスタンダードを読んでこなかったから新鮮に感じたのかもしれない。読んでる漫画も少年ジャンプが多い。劇的ドラマティックなものばっかりだから、潜入や問題解決が順調に進む様子にどきどきせずに読めた。読書の持久力が落ちた私からすると劇的とも言えるスピードで読めたのもちょっとうれしい。できれば本はいっぱい読みたいので。


・神話受容史最終回をやっと観終わった〜!!観終わって「全然分からん……」になった……。

・メディアに対して「可哀想、犠牲者」と思い込んでいたので、「思ったよりアグレッシブかつ勝ち逃げヒロインなんだ……」とびっくりしてしまい、途中から内容が入ってこなくなってしまった。

・メディアにどういてほしいのか。竜の戦車に乗って古代世界を飛び出したメディアに、私はどうなってほしいのか?という宿題を出されたので考えてみる。エウリピデスやセネカを読んでないのでほぼミリしらで行くけど、めちゃくちゃに破滅してる女が好きだからそうなってほしい。

・自我を通せる女は好きなんだけど、自我を通そうと頑張れば通せるような世界だったとしたら人間はこんなに不幸になっていない。ということは、自我の強さだけでやっていけるほどこの世界は甘くない……はずだ。でも、これをある程度乗りこなした上でさらに破滅している方がもっと好きかもしれない。

・なぜなら、大いなるものに屈している人間の方が美しいから……。

・大いなる力を持つ者が、その大きな力を活用できずに不幸に陥ってるところが好き。力の有無と賢明さが別のところにあると不幸のバリエーションがいっぱいできるから。

・「幸せになれる」ってことを結局私は信じられなくて、不幸である方がずっと馴染み深いと感じているのだと思う。こんなに毎日幸せだと思っていても自分の芯から幸せだと思えていないのだ。

・だからこそ、不幸のどん底で地獄の泥水を啜った人間が幸せになれたら、そこまで不幸な人が規模を持てるなら、もしかして自分だって幸せになれるんじゃないかと希望を持てるのだ。

・と言ってもこれは現在のほぼミリしらの私の受容だ。2024年にたくさんのメデイアを読み、自分なりの受容を見つけていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?