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4月30日の日記 不自然に生きれ

・昨日夜ふかしをしたため、そしてアラームの設定ミスをしていたため、出発時刻に起床するという事態に陥る。準備3分で家を出た。もちろんすっぴんだし服も適当。いつもの電車に乗れたけど危なかった。しばらくどきどきした。

・おまけに夕食がアイスだったからフラフラ。でも、なんと紅茶を飲んだらしゃっきりできた。カフェインの効能を初めて実感。すごい。知らなかった。本当に覚醒効果があるんだ。


・親に支払いを建て替えてもらった分を払うためATMへ行く。自分の預金残高を見ると気が狂いそうになるので歯を食いしばりながらカードを差し込む。まあ、なんとか、これならまあまあ、、と思える程度の預金額だった。ホッ。

・別にカツカツの生活を送っているわけではないけど、お金にまつわることって常に不安だ。働けなくなったら何ヶ月保つんだろうといつも皮算用して、つまらないことでしょっちゅう心乱される。

・思えば子供の頃からそうだった。阪神淡路大震災で高速道路が倒れたと知ったあとは「地震が起きて家が潰れたら二度と今のような暮らしはできない」と怯えていたし、「父親が急に死んだらどれだけ勉強したくても働かなきゃいけないんだ。計画なんて無意味だ」と絶望していた。なんて暗い子供だ。

・世界に対する根深い不信は昔からあったけど、はっきりと悲観的になったのは地下鉄サリン事件がきっかけだった。事件から10年経ったタイミングで再現ドキュメンタリーがテレビで放送されたのを観た。

・分からないことがたくさんあった。「なんでこの人たちはこんなことをしたの?」「なんでこの人たちは悪いことをしちゃだめだと思わなかったの?」「そんな人たちの巻き添えを食らって死ぬこともあるの?」と親にたくさん質問をした。

・母親は「そんなことは起きないよ」と言ったが、根が暗い私はおためごかしで納得するほど素直ではなかった。この疑問は私の人生に対して大きく尾を引いて、大学で宗教学を学ばせたり、キャリアプランやライフステージといった言葉への嫌悪感を見事に育んだりした。かなり緩和されたけど今でも「将来」みたいな概念を信じきれていない。人生ってこういうことでも決まるんですね。


・「生きていれば自然と恋人や友人ができる」みたいなやつ。全然分からない。知り合いしか友達じゃない(うまく言えないけどそうだ)し、人と飲みに行ったり遊んだりすることも日常生活ではほとんどない。ほとんどひとりで出かけている。

・そういう経験がないのを「異常者」みたいに言う人が多くて、その度に刺されたようにジワジワと痛くて嫌だ。

・友達も恋人も、つまるところみんな自分の周りにいる人から適当に見繕っているのでは?と推理している。そういえば私の周りには人がいないわ。なるほどね。

・なぜ人がいないかというと、「何となく人といたい気分」といった無意識の動機を抑圧しがちだからではないだろうか。何か理由がないと人と話してはいけない、相手に説明できなかったらまずい、と心を縛られているかのような。考えてみればそういう規範意識がかなり強いタイプだ。

・「お腹が空いてなくてもご飯を食べてもいい」レベルのことが分からなくても人って生きてこれるんだな。分かったところでいまいちどうすればいいかは分からないけど。

・インターネットでも出会いたいな。コメント、メッセージ、あらゆる場所で待ってます。


・お米が炊けるのを待っている隙に横になったら目眩がしてきた。早く眠ります。

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