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10月25日の日記 神話受容史前半

・藤村シシン先生の神話受容史講座を受けている。いつも「社会学だ……」と思っている(社会学専攻)。

・社会学は、個々人や集団の主張・訴えではなく、社会の統計やデータをもとにその構造を把握しようとする学問だ。神話受容史の面白いところもそうで、別に現代の解釈が正答だとも思想的正解だとも言わない。あくまでも解釈の比較をするだけ。

・社会には差別があり、格差があり、貧困があり、偏見がある。事実として存在する。しかし、受容史はそれらに反対の声を上げる思想的狼煙というわけではない。あくまでも社会やその文化圏での「解釈」を把握せんとする学問だ。そこが面白い。

・反対運動は何にせよ共通利害を持つもの同士の連帯になりがちだが、鳥瞰し構造を把握することは非当事者にもできる。

・データや分析に臨めば(おおむねみんなが)同じ理解に到れるようなところが好きだ。

・メタ的目線から見れば、受容史は古代ギリシャ・ローマという一大権威の相対化に挑戦をしている。なので結構反抗的で、冷静とは言えない可能性だって大いにある。ただ、手法が気に入った。思想のメインストリームにある偏見を相対化し解体する作業が好きだ。見たことのないものを見たいから。

・前半だけ受けた。後半は次に回す。最近気付いたけど、まとまった時間を捻出するのが難しいなら、ある程度細切れにしてしまった方が楽だ。本当はリアタイしたいし一気に全部見てカタルシスを得たいけど、私にも生活がある。

・いまは映画『トロイ』の物語設定を把握しているところ。イリアスについてはうっすらと知っていたので、何となく「ゼウスとかも出てくるのかな〜」と思っていたけど違うらしい。人間の物語というのが、なんか新しいな……という感じだ。オリュンポスなしにトロイア戦争を語るってどういうことなんだろう。

・早く続きが見たい。


・最近耳栓を新しくした。駅でのアナウンスや、音楽の有無とかは聞こえる。向かい合って会話するときの相手の声がほとんど聞こえなくなった。会計をするときなんかは本当に何言われてるか分からない。

・会計するときって結構やることが多いから、外せないのだ。スマホ操作したり、エコバッグ出したり、カートを押したり、鞄に仕舞ったり。やることが多い。

・買い物、結構ワタワタしてしまう。スマホ決済が進んでだいぶマシになったけど、それでもカードを出してポイント付けてもらってスマホを出して画面を出してレシートと品物をもらってそれらを片付けて、の上に、最近は袋詰めも自分でしなきゃいけないことが多い。パニクる。

・コンビニや百均なら袋詰めもしてほしいな。細々としたものをレジに置き忘れたりしないように!と焦ってしまうし、広いスペースから狭いスペースにわざわざ移動させて詰めるのもなんか意味が分からなくていやだ。

・逆にセルフレジでは特に混乱しない。「目の前が人がいるのに私は処理できてない」と焦ってしまうんだろう。

・来るべき大人手不足時代に向けて、利用者たちも訓練されてたりするのか?

・それにしては「こどもでもできるセルフレジ」「指のない人でも使えるセルフレジ」になったりしていない。片手落ち感が否めない。どうするんだ。もっと簡単になってくれ。


・整骨院に行きました。

・体調不良タイムがあってかなり間が空いてしまい、さらに悪化するという負の連鎖に。

・何回もnoteに書いていて思ったこと。不調を自分でケアすることが苦手ぽい。習慣付けられたらいいのかな。いやだな。

・やりたいことがいっぱいあってそれに追われてるくらいなのに、目に見えて成果の上がらないケアをするなんて。モチベーションを持つ方が難しい。みんなどうしてるんだろ。

・短期的な報酬がないと動けない。うう〜。

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