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テキ屋の彼女

今日はいろんな春の話。

過去の春。桜が咲いて様々な屋台が出ると溌剌としたひとりの女の子を思い出す。顔も忘れてしまったのに。
学校帰り。お花見の屋台で何を買ったのか?たこ焼きかお好み焼きだった気がする。広島焼き?甘いものじゃない。

今考えればありえないほど短いスカートに濃いお化粧、エクステをつけていた。当時はそれが私や私と同じ容姿の価値観を持つ女の子たちの“可愛い”だった。

店番に若い女の子が2人。お化粧が私と同じく濃い。髪の長い女の子と妙に波長が合って話した。
「隣は彼氏?私も彼氏と一緒に栃木から来たの。制服いいね、高校中退しちゃったんだ」
もう1人の子が高校中退した事をいじる。

女の子ってすぐ打ち解ける。初対面なのに友達みたいに喋る。もう会うこともないのに。

15.6歳の女の子が彼氏と一緒に屋台の仕事をしている。しかも高校は中退してしまった。
近隣の県のみか、または全国まわっているんだろう。朝から晩まで休みなし。車の免許もないから気晴らしに1人でドライブも出来ない。お金はおそらく彼氏が管理しているんだろうし、不自由だ。

当時は「こういう人生もあるんだな」としか思わなかったけど自分が大人になって、それがどんな事かわかるようになって、こうやって思い出すと
名前も多分聞いたし自分の名前も言ったのに、彼女の名前も思い出せないし、なのに今どうしてるんだろう?なんて一年に一度だけ思い出す、そして次の春まで忘れる。

春の思い出で1番印象的なのこれかも。自分自身の春の思い出よりも強く印象に残ってる。

今年の春はあっという間だった。桜は満開かと思えばすぐ散ってしまう。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり雲も光るなり」これも春にしか思い出さない詩だ。
この調子ですぐ梅雨になる。梅雨が終われば真夏。1ヶ月前まで寒くて困っていたのに。
1週間が早い。冬に誕生日をむかえてひとつ歳をとって、それから余計に早い。年々早くなる。
人生に「時間がないよ」とせかされてるみたいだ。

去年の春はやたら憂鬱だった。今より体調が悪くて春が来ても気持ちが上がらず鬱々としていた。桜を楽しむ余裕がなかったように思う。
今年の春も病院ばかり行ってる。これは数年前から私の生活に組み込まれたルーティンだからまあしょうがない。
健康じゃない。健康な人の不健康な状態が「私の元気な時」だ。
「これが私の身体だからうまく付き合っていくしかない」と頑張ってるし医師にも言われる。
元気そうに見えるんじゃなく、私がそう見せているだけだと母でさえ気づかない。

ずっとふさぎこんだ顔でいたくない。嘘でもいいから元気なふりしていたい。ごきげんなのが私の長所だし、そういう自分が好きだ。だけど疲れてしまう。

そう考えると入退院を繰り返したり長期入院をしている人たちはどれほど心を強く持っているのか。想像を絶する。頭が下がる。

元検察事務官の女性が体調不良で仕事を辞め、非正規雇用になった。お金もないので単発のバイトに申し込んだら受け子のバイトだったので逮捕されたニュース。他人事と思えない。

身体が壊れると一気に人生が下り坂になる。





実家にツバメが来た。初日は一羽、数日で夫婦になった。
ツバメの世界でも人間界と同じく魅力の高いオスがモテる。メスは自分のパートナーが他のオスよりも魅力が無いと分かると、他のオスに乗り換えたり不倫するとツバメの生体についての本を読んだ時に知った。
何もかも人間と同じだ。魅力、それは地位や権力であったりお金や容姿だったり人によっては優しさと呼ばれる真心だったりする。

真心といえばひとつ書きたいエピソードがある。
昼間の新宿で男性同士の殴り合いが始まって、近くに居る人たちは見て見ぬふりをしていた。私が居る所からは20mくらい。
近くにいたサラリーマンがひとり、すぐ止めに入った。彼も巻き込まれ殴られていた。
その時も今も同じ事を思う「こういう人が好きだ。むしろ、こういう人しか好きじゃない」

恋愛に限った話じゃない。私の友達もこのタイプだ。
私が思うかっこいい人って彼みたいな人。

こういう人を好きになってきたし、これからも好きになる。





近所の子供が母親と散歩していて、歩きながら庭や道端に咲く花の名前をお母さんが言っている。

水仙、たんぽぽ、すみれ、チューリップ、椿、木瓜。

木瓜の花は子供に説明するのが難しそうだなと思いながら聞いていた。

私に挨拶をする。子供は家族以外の大人と話すからちょっと照れてる。今月から幼稚園に通い始めたって。入園入学はかなり春っぽい出来事だ。
手に持っていたおもちゃを見せてくれる。このくらいの年齢の子供はみんな似てる。おもちゃを見せてくれたり、時にはくれようとする。手紙や似顔絵をくれることも。
本能で物を贈ると関係が円滑になる場合があると知っているんだろうか?あたたかい心を持っているんだね。

3歳ちょっとシャイ。なのに大人と話したい。早婚の友達がだいぶ昔に言っていた「幼稚園に入る年齢なんて、もう“ませてる“よ」と。

入園して友達をつくる。友達と喧嘩をして仲直りの方法を学ぶ。人に何を言っていいのか悪いのか知り、思いやりの心を学んでいく。相手の状況によってどんなタイミングで何を話すべきか分かるようになる。
時には性格の悪い面を指摘される。傷つく。だけど短所を直そうと努力し、大人になる頃には美点が増えている。
ちょっとした友人間トラブルなら自力で解決する。次第に自分自身を頼りにできる人間になる。
18歳になる頃にはコミュニケーション能力を持った成人として羽ばたく。
自分が幼稚園の頃を思い出してみると子供ながらに毎日ハードだった。はじめての社会だもんね。

こうやって普段話すことがない誰かと話すのは楽しい。子供でも大人でも。もちろん友達と話すのも大好き。
ネットじゃ嫌がる人も多いみたいだけど、ナンパなどでなければ知らない人と話すのは好きだ。

太田記念美術館で一緒に行った人間と浮世絵と江戸時代の話をしていた時に2人とも分からない事があった。それを横に居た人が詳しく教えてくれたんだよね。
親切な人だし、楽しかったな。
博識な人は知識で誰かを満たす。

色々な人と話したい。色々な人と出会えば出会うほど気が合う人と出会える。友達、同志、仲間、パートナー。
それが自分にとってのリラックス方法だと思える。会話が好きだ。

魂が共鳴する相手と出会えた時に大げさではなく生きててよかったと思える。