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自分を大事に

と言いいますのも、自分を大事に、とは武術そのものでもあると言うことであるからです
物理的なことを言うと、自分の命や資産、財産などを守るために相手を斃す、もしくは逃げる必要があります。自分を守ることが出来ねば、自分は窮地に陥る可能性もありますから、自分を大事にしないといかんわけです

自分を大事に、とは色んなことにも当てはまりますが故に、悪いようであったり、いいようであったりとさまざまです
が、いいようにも悪いようにも捉えられると言うのは、その反面
『誰もよくわからない』
と言うようなことの裏返し、とも言えましょう
定かではありませんが、これもまた定かであるとは言えません

自分がいるから、他人がいるわけですから、当然この対比がなければ、コミュニケーションもできず、同じく武術も構成し得ません、というかこの社会すら形成し得ない実はとっても重要なことだったりします

自分を殺して、相手を優先しろ、とか人に優しく自分に厳しく、などとはよく言いますが、それはしたい人がやればいいわけで、そうしないといけないなんてことは誰も言ってないわけです
それでもって『辛い』『しんどい』『でもやらねば、やらないとダメだ』
では元も子もない。

自分がいませんから帰ってくる場所がないわけです

心亡くすとかいて忙しいとはよく言ったものですが、これも当てはまるひとつの要素でしょう
愚痴のひとつも言いたいけれど、なぜだか『愚痴はいうな!!』と怒られる仕末…
労働に徹しろ、と言うこと、管理社会の、労働主義的な意味合いの他にこうゆうことを吹聴する他ないように思えます。働かねば、飯は食えないと言うシステムですから、理解は出来ます
が、それでは辛いし、悲しすぎやしませんか、とこうなるわけです

だからこそ、自分をどうにかできるのは自分なのです
はっきり言ってしまうと自分がわからないと言うことは
『生きながらに、死んでいる』
のと実はあまり変わりがないと言えるのです

でも自分というのが実はなかなかわからない。
なぜなら、自分で自分をみることは鏡がないとできないわけです。
自分では自分が見れないように、物理的には鏡を使う、誰かに見てもらうと言うことがないと見れないわけで、ことの他うまく出来ているのが、この世の中です。
しかし、相手を見れば見るほど、自分が小さくて、醜く思えてしまったり、自分には何も出来ない、と定義までしてしまう。

そこで大事なのが、まさに自分との対話であり、自分には何ができるのか?なぜあの人はそうゆうことができるのか?など、自分で思う事が重要で、これを他人に出す、表現する
じっくり時間がかかってもいい、なぜなら自分で時間も決められるのだから。時間も実は自分でコントロールできるわけです。
それが無理なら何か別の手段で出す、自らを何かで表現することが大事なのです
そして新たに何かを得るわけで、トライアンドエラーを繰り返して行くのです
失敗ではなく、エラーです、エラーは修正すれば直るのです
自分を都合よく持っていく、自分に有利に、不利をしないように、如何に不利を避けて、如何に自分が楽できるか、これが重要です

と言う感じで、久しぶりに書いてみましたが、久々すぎて、うまくはないです
が、誰か必要とする方に何か得るものがあればいい、と言うことで、一方的に書いております

それではこんな感じで!





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