授業は二限目だけで、私はお昼時の四条河原町で時間を潰していた。欲しかったコインケースにつけるキーホルダーを青か黒かで迷っていたら、それだけで半時間もつぶしてしまった。お店のお姉さんは私が迷っていたところを品出しの隙間で見ていたらしく、「どれにするんかなって見てたんです。すごくかわいいですね、その組み合わせ」と言って支払い済みの商品を手渡してくれた。 「かわいいですよね。ありがとうございます!」私は子どものような返事をして店を離れて、髙島屋の七階に向かった。 京都髙島屋は七階
2024年。7月。 知らない間にハタチになって、大人の真似して酒も煙草も口にするようになってしまった。 逃げ場所みたいに酒を飲んでいたおまえが見たらなんて言うだろう。 乾杯してくれるのかな。 煙草吸うねん、と言ったらなんて返ってくるかな。 煙草なんかやめろって言い出すのかな。 黙って「一本くれ」の手を出してくるかな。 欲しがるかなと思って、線香立てに一本入れてきた。 墓石は肉でも焼けそうなくらい暑かった。 あの日は、ここまで暑くはなかったかもしれない。 影のない墓地だか
こんばんは。一週間おつかれさまでした。 先週は学校が休みで、当たり前に何も書くことなく一週間バイトと遊びに費やしてしまいました。今週は木曜日からまた学校が始まり、書くことを今日久しぶりにやって、そういえば自分はいちおう文字書き的な何かであることを思い出して、なにかを書きたくなりました。 日頃は日記的なものを気まぐれに書いていますが、たまには不特定多数が見れる、つまりは私を知らない人に見られても遜色ない文章を書いてもいいかなと思ってnoteをひらきました。 さて、私は今、
もともと昔、母がファンだったことから存在は知っていたが、私も好きになったのは2020年の夏だった。 きっかけは、アベフトシが2009年の7月22日に亡くなったということだった。そのとき、亡くしたばかりの友人の命日ととても近くて、私ひとりで勝手にシンパシーを感じて、彼らの音楽を聴く様になった。 thee michelle gun elephantの音楽は、高校2年生でバンドキッズの端くれの私に衝撃を与えた。唯一無二のしゃがれた声と無骨なサウンド、独特の世界観を映しだす歌詞。
この日は何もしないで家であいつのことを考えないといけないと思っていた。それが私たちに与えられた義務だとすら思っていた。 けれどそうではないのかもしれない。みんながそれぞれ好きなことをして、やらなくてはいけないことをやって、普通に生活することがいちばんあいつが今できないこと、叶わぬことなのであれば、全力で生きることであいつの気持ちを昇華してやれる気がする。 だから私は今日も5時に起きて電車に揺られ、授業をぼんやりこなして、バイトに行く。ひとときだって忘れたことはないけ
久しぶりに高校に行った。 年中遅刻だらけで成績も悪く、教室に登校したり授業を受けたりするのが難しくなった時期もあったのでかなり迷惑と心配をかけた自覚はある。 執筆を本格的に始めようと思ったのも、その道の大学に行くことになったのも高校があったからで。今の自分を形成してくれた、大事な母校だ。 嫌いだったが、携帯を取り上げられた時に課せられた反省文を読んで「いい文章」と褒めた一年の担任はどこか知らない高校に行ってしまった。 二年と三年は同じ先生だ。優しくて、本当にお母
そっちの居心地はどうですか? 悪くないといいな 最近は変な天気ばかりで気が滅入ります それでもひと時だってあなたを忘れたことはありません 今日、外に出たら目が痛いぐらいまぶしくて それでも空を見上げたら雲があって 地面は雨上がりで濡れていた 晴れやかなのに晴れやかじゃないのが らしいと勝手に思った 柄にもなく満員電車に揺られながら 優しいあなたの笑い声を思い出しながら 毎年、今日という日は全ての人が笑えますように。
雨が降っている。まだ夕方なのに、もう外は仄暗くてとても寂しい。 暗いのは好きじゃない。冬は嫌いだ。暗くて、寒い。冬に生きる人間は皆死体と似ている気がする。冷たくて心なしか硬くて、何だかたくさんの布に包まれているからだ。 ようやく冬を抜け出して希望の春にやってきたと言うのに、暗い帰り道とはいただけない。ましてや雨なんて。寒くてたまったもんじゃない。1週間頑張ったわたしたちを笑うように、雲たちは太陽を隠している。 だが私は快晴も嫌いだ。雲の出番がないのは可哀想に思う。雲はふ
お母さんは歌うたいだった。ギター弾きのお父さんと早くに結婚して、間も無く私を授かる。そして細く綺麗な手で私を抱き、独特ながら美しい声で子守唄を歌った。家の中はロックやブルースやクラシックばかりがずっと流れていて、ふたりがそれに合わせてギターを鳴らしたり歌ったりするのを見るのがいくつになっても好きで仕方がなかった。家は自然に囲まれた涼しく閑静な地で、私が小さい頃お母さんが私の手を引いて連れて行ってくれた、少し離れたところにある薔薇がたくさん花を咲かせたところが大好きだった。
夢を見ていた。 一筋だけ溢れた涙は頬を伝って耳を塞ぐように濡らしている。怖い夢を見たわけではない。悲しい夢とも、どちらかと言うと違う。本当は悲しい夢なのかもしれないけれど、私はそう思わなかった。涙は悲しくて流れたのではなかった。耳の奥の方には、知らない猫の鳴き声が響いている。夢で聞いた声だった。 窓は開けたままになっている。暖かい時と違って蚊なんかの虫は入ったりしないから、冷たい風を部屋に入れるのが好きだった。白い遮光カーテンの隙間から暗闇が覗いて、目を凝らすと星が綺麗に各
中学の卒業記念品の中にある、 スライドショーと映像の混じったDVDを、ようやく見た。 懐かしい風景。懐かしい同級生、懐かしい先生。 この頃が1番楽しかったなあ、またやりたいなあと思った。 それと同時に「その瞬間」というものがこの世で一つずつしかないことの美しさと、残酷さに気付く。 もうあの時の髪型はしていないし、身長も伸びて、体重も増えて、顔立ちも、雰囲気も、声も変わっただろう。 年齢だって少しだが重ねた。 映像に映る人の中には、もうこの世にいない人もいる。
(注意:フースーヤの谷口さんのnoteを読んで思った書き殴りなので、フスィコとフースーヤさん以外はもう見なくていいです。読んだらフースーヤのネタを見てください) 谷口さんのnoteはこちら。 フースーヤがテレビに出てるって言うだけで私はいつも嬉しくて、いろんな人に見られるやん!って思うのですが、やっぱりフースーヤのネタを、賞レースでテレビで見れるってめちゃくちゃ嬉しい!! 私はフースーヤのことを好きになってまだ間もないし、全然他のファンの方ほどいっぱい追ったりもできない
去る八月二日、この日は父の誕生日だった。五十二歳になる。 私をここまで育ててくれた父への祝いの言葉は忘れず、しかし何よりも優先したい用事がこの日はあった。私が愛してやまないバンド、HEY-SMITHのツアー初日である。 そもそもライブハウスというものが久しぶりで、それだけで胸が高鳴った。BIGCATに行くのは初めてだったが、友達と待ち合わせて物販に並び、他愛もない話をして、CDとラババンとステッカーだけ買って外出て、暑い中しょうもない話をする。 なんだかもう、これだけで
愛用のイヤホンはAirPods。「耳からうどんが垂れてる」とかいう本気で面白くない冗談を言い出したのは誰だろう。友達と軽いノリで言う冗談に過ぎないのは百も承知だが、にしても面白くなさすぎるので「うどんが耳よじ登って鼓膜終わらせに来てるけど大丈夫?」とかに変えた方がいいと思う。嘘、これもガチで面白くないから忘れて。 夏は日が長いといいつつ、20時を過ぎるともう外は真っ暗になってしまう。一人で歩く夜道が苦手な人は暗いところが怖いわけではない。周りは人が歩いていなくて、なのに
今日で愛車と出会って1年。 毎日「あ〜〜〜〜!!!!!!自転車〜〜〜、!!、!!電動の自転車ほしいな〜〜〜!!!、!!なー!!!!!」と言い続け、ようやっと手に入れた愛車である。 毎日バイトや学校や遊びに連れ回し、鍵のパーツを無くし、市を何個も跨いだこともあった。 友達に運転させて二人乗りしたり、壁にぶつけ、雨で巫鳥に濡らしたことも。 思えば本当に酷使してきた。ごめんねマイバイセコー。愛してるよとキスしてやりたい。汚いからしないけど。そしておそらく汚くなくてもしない。
今日はチバユウスケという、唯一無二の天才最強ロックンローラーがこの世に生み落とされた記念日だ。 少しだけ、烏滸がましいが祝いの言葉を。 生まれた頃から車で聴いていた彼の声を、高校生になってからまた毎日狂ったような聴くことになるとは思っていなかった。 車で流していた母よりも、チバユウスケのことに詳しくなってしまった。 チバユウスケがいなければ、ミッシェルガンエレファントも、ROSSOも、The Birthdayも、みんな影も形もなかったのだ。 この世は———音楽なんかは