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30年ぶり?『アルジャーノンに花束を』を読んだ

ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を読みました。高校生の頃に読んだことがあるのですが、内容はあまり憶えていないということで改めて文庫版を買って読んでみました。結果から言うと、

泣いた

です。元々この本の存在を知ったのは高校の授業、なんてことは不真面目な生徒の私にはあり得るわけがなく、当時バンドを解散してソロ活動を開始した氷室京介のアルバム「FLOWERS for ALGERNON」、そしてその中に収録されている曲である「DEAR ALGERNON」が、この本を読んで感動した氷室さんがインスパイアされて作ったものだという話を聞いたためです。そもそも当時の感想をあまり憶えていないのですが、むしろ10代くらいではまだ完全に理解できないゆえの印象の薄さだったのではないかと思います。

文庫化された2015年時点での訳者の解説を読んでも、20代、40代、そして80代で新たな翻訳のために読み返してみて、都度涙したが、その内容は年代ごとに異なっていると思うという旨の記述がありました。というわけで、自分も同様の状態にあったということが言えるかもしれません。

ここからはネタバレ含みますので、ここから読もうと思っている場合には飛ばしてください。

実は、チャーリーが元の自分に戻りつつある状態になったところから、切なすぎて読むことができず、数ヶ月放置されていた始末でした。しかし、本がかなり溜まってきたということもあり勇気を持って片づける決意をして、残りを一気に読んだ次第です。もうとにかく、涙、涙の切なさで読むのに往生しました。

読後にチャーリーが障害者から天才になって得たものと失ったもの、そしてまた障害者に戻ったことで失ったものと再度得たものを考えてみたのですが、これも何とも言えない切なさですね。ビジネス系の書籍を読んでいるとよく出てくるのが、経営者としての成功と人間関係の終焉というトレードオフですが、なんとなくそれだと思いました。障害者たるチャーリーは人に馬鹿にされながらも愛されていたが、そこから逃れるべく手術を受けて天才になったチャーリーからは人が離れていった。そして天才になることで寄ってきた人間はもとのチャーリーに戻ったら離れてしまった。しかし、昔の仲間にまた愛されることになる。。。

人生のわびさびと言いますか、本当に大切なものは何かみたいなことを普段はあまり考えることはないと思うのですが、そういうことを考えるいいきっかけになった読書体験だったと思います。

(了)

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