見出し画像

森で癒される気持ちよさの価値

梅雨入りを目前に控えながら、朝から気持ちよく晴れた6月上旬。
ずっと気になっていたイベント「森林セラピー」に参加してきました。


森林セラピストの資格を持ったガイドさんに案内してもらいながら、多種多様な樹木や草の茂った森の道を、のんびりと歩いて行きます。
元は農業試験場だった敷地だそうで、全体的にはそんなに広いわけではないのですが、すっぽりと森林に囲まれているので、入ってしまえばちっぽけな私たちは完全に自然の一部です。

巨木の森に一歩入れば別世界
湿地や池もあり、鳥や虫の豊かな生態系が保存されています
森の中で寝転ぶ、とても贅沢な体験


ここは県指定の自然観察公園で、自然だけでなく貴重な動物、植物、生態系も保護されています。「自然」といっても適度に手入れはされており、昨今の異常気象や外来種による被害などにも悩まされつつ、湿地などの特殊な環境も保存されていて、さながら尾瀬でも散策している気分です。尾瀬行ったことないけど。

尾瀬はないんですが、私は学生の時に北海道で野生動物を研究していたこともあり、ガチで熊も出るような山に入って野鳥を数えたこともありました。もう30年も前ながら今回のセラピーでその頃を思い出し、とても楽しませてもらいました。

また、小学生の頃は近所の田んぼでザリガニを取ったり、刈った稲のベッドに寝転んだり、初夏になるとカエルの大合唱を子守歌に寝たりした記憶がよみがえります。自然は私の原体験であり、自分は自然の一部であるということが私のアイデンティティだなぁ、と思うことがこれまで何度もありました。

私ほど自然好きではなくても、多くの人が「自然は気持ちがいい」と感じることは多いと思います。この森林セラピーでは、そういう気持ちよさは科学的に実証されていて、心身の健康維持に効果があるというコンセプトで行われています。フィトンチッドを吸い込むために森の中で寝転んでいると、スーッと心が穏やかになるのを誰もが感じられるのではないでしょうか。

そういった自然、植物には価値がある。それ自体は誰もが賛同してくれそうです。
でも、実際の私たちの暮らしではどうでしょうか?
長い歴史をたどって森から畑になり、人が増えて町になり、人が住むための都市になるという流れのなかで、自然はコントロールしにくいもの、じゃまだし管理しにくいものになっていっていませんか?
そして近年は人が暮らすスペースすらせせこましくなり、とても自然のスペースなんて取っておけないよ、という所まで来てしまったのが、現代ではないでしょうか。

その理屈もよくわかります。私は自分が欲しいから、という理由で庭にたくさん木を植えましたが、それは植えることのできるスペースがあったから、そしてそれを管理してくれる業者さんがいたから保てているにすぎません。
実際とてもお金がかかっていますし、本当はもっと自分でも草取りくらいやらなきゃいけないんだけど、なかなか手が回らないでいます。自然を維持するのは今や金銭や時間に余裕のある人の贅沢なんでしょうね。

でも(これはずっとコミュニティを学んできた甲斐先生の教えでもあるのですが)人って「気持ちいいな」という感覚には抗えないんですよね。
森林セラピー中も、強い日差しが当たるところはじっとしてても汗が噴き出す暑さでしたが、一歩森の木陰に入るととても同じ空間とは思えない涼しさで「あ~気持ちいい!」と思わず声が出るほど。人はだれだって気持ちがいい方がいいんです。

いろんな制約がある暮らしのなかで、そういう「気持ちいいな」を後回しにして、優先順位を下げて、余裕をなくしていった結果が今なのだとしたら、これから取り戻すべきはそういう感覚なんじゃないかと思います。

どうやってその感覚を取り戻すか、は、私もまだ探している途中ではありますが、とりあえず思い切って森林の中に身を投じてみたり、家の中にひとつだけでもいいからグリーンを増やしてみる、というのでもいいかもしれません。自分でちょっとでも「気持ちいいな」という感覚を取り戻していくのが大切なのでしょうね。

そうすれば、これまでは気づかなかった自然豊かな環境というものの価値が、全然違ってくるんだと思います。私は、そういう価値をたくさんの人と共有したいな~と思っています。

ご興味がありましたら、ぜひ森林セラピーを受けてみてくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?