vol.15 『作品を売ること』と『半蔵・オブ・ザ・デッド』のお話(後編)
●頑張った結果はどうだった?
前回書いたように、『小説に興味を持ってもらう』ためにあんな事やこんな事まで色々と試行錯誤していたのですが、実際には結果はどうだったのでしょうか。売る事のデメリットを越えてやる意味はあったのでしょうか。
結論から言うと、私は売り上げという部分にはタッチはしておりませんので分かりません。(えーっ!←引っ張って置いての裏切り感w)
基本的にはぷらすさんから依頼(+α)という形でやっていたので、いくら売上げがあったのかという部分では聞く立場に無いんです。もっと言えば、ぷらすさんはいくら売れたとしてもきっと私への報酬を差し引くと赤字になるという可哀想な星の下にいたりします。(えーっ!w)
とはいえ、もちろん『たくさんの人に見てもらって、あわよくば買ってもらえる』事を目標にして色々やってきたので、その結果がどうだったのかは気にはなりますよねw。少なくても私にとってはぷらすさんが『やってよかったなぁ~』とか『またやりたいと思った』とか『ち、ちくわさんに告白したい…!』とか思って貰えるような感じになったらいいなーくらいには思ったりしていますw。
とはいえ、『何が効果的で、何がダメだったのか』って、正直なところ主観的な目線からは分からなかったりします。ある程度長期的なデータを取らないと、何をやって売れたのか、あるいは売れなかったのか、そもそも元々何もしなくても売れたのかすら分かりませんw。
もし唯一参考に出来る部分があるとしたら、そういう客観的なデータではなくて、それぞれの主観的な部分なのではないかなーと思ったりします。『手応え』だったり『満足感』だったり。つまりは自分がどう感じたか、ですね。(私だけの主観だけではなく、『見ている人』の主観も含めての話です)
『本当はあまり興味はなかったのだけど、何となく見るようになった』となったら大満足。『挿絵とかは、想像力の邪魔をするから、本当は要らなかった』となれば大失敗(けれどそういう意見が直接聞ける機会があれば大成功)となるわけですw。
個人的には、やりたかったことは大体出来たし、(もしそれが例え結果が伴っていなかったとしても)満足する部分が多いです。限られた時間と自分の能力の中で精一杯やれたのではないかなーと、無駄に自画自賛したりもしておりますw。
ただそんな都合のいい自己満足だけではもちろんなくて、本音を言えばもっとたくさんの人に見てもらううまいやり方があったんじゃないかなーとは思いますね。『もしかしたらこれはただの自己満足だったのかしら』と思う部分もあるし、『頑張ったけどその割には反応が薄かったなー』という部分も正直ありましたw。
ただ、大事なことは『何かを意識しながら試行錯誤して、その結果(主観ですが)を吟味する』という部分では、そういうダメだった部分も含めてやっぱり必要なことなんだなーと思いました。きっと次にやる時は、もうちょっとだけ上手く出来ると思うから。
とはいえもう二度と、ここまでの事は出来ないかもしれませんw。きっとぷらすさんの動画もそうだと思いますが、あまりに時間がかかってますから(今年の私の時間はほとんどここに費やされてきましたw)。それでもやってよかったと思っているし、楽しくやらせて頂いているのはもちろん小説が面白かったことは前提として、やはりご一緒出来たのが仲良しの青空ぷらすさんだったからで、せめてぷらすさんには『やってよかった』と思ってくれれば嬉しいなーとは思っていますw。
例え、誰にも売れなかったとしてもw。
●誰かの"特別"になるために
『売る』という事がメリットだけではないと知った上で、『それでも何かを売りたい』と強く願う気持ちはどこから来るのでしょうか?
私が常日頃感じている『買ってもらう』ことの意味とは『スキ以上の評価である』と思うんですね。日常、コメントやスキなどで好意や応援の気持ちは表せますが、『作品(記事)を買ってもらう』という事は、そういうのは一段違う『特別感』があるんだと思うんです。
お付き合いで買ったり、何となく買ったということだってあるかもしれないけども、それらにしたってやっぱりスキやコメントとは違うんですよね。なんというか、"身銭を切っている重み"みたいな現実感があるわけでw。
そこの一線を越えてきてくれること、また越えてくれるように試行錯誤して作品の完成度を高めることこそが、noteで有料コンテンツを出すことの一番の意味であり、価値のある事なのかなーと個人的には思うのです。もし全然売れなかったとしてもw。
出版社やマスメディアの洗礼を受けていない人の作品を買ってもらうことは、私は全然普通の事ではないと思っています。そんなに『1億総クリエイター』で誰でもバンバン売れる世界になったとしたら、逆に阿鼻叫喚の地獄絵図が待っているんじゃないかと思うくらい信じていませんw。
出版社の出すものと『同じくらいのクオリティ』だとしても評価して貰うためには何倍も高いハードルが存在すると思うんです。少なくてもそれより遥かに面白い物である事が最低条件だと思うんですよね。
けれど、誰しもがそんな高みには行けませんよね。大変だしw!
だからこそちょっとづつ、試行錯誤して、失敗して、工夫して、そしてもちろん楽しく続けながら、やっていくことが大事だし面白いことなんじゃないかなーと思うんです。
そういう事が『本気の遊び』として、noteでこそやれることなんじゃないかなーと個人的には思うのです。
ちなみに全然関係ない話かもしれませんが、最近読んだ本に『火星の人』という本がありました。
それはマッド・デイモン主演の映画『オデッセイ』の原作として知られるSF小説ですが、この著者も初めは自分のサイトに淡々と上げていたそうです。そのうち読者から『まとめて読みたい』との要望を受け、キンドルにて最低の99セントで売ったら大ヒットになって、その後の小説家としての道が拓けたという話を読みました。
出版社を通じて無くてもこんな事が出来るんだと驚いた記憶があります。
これは単純なサクセス物語ではなく、それまでに数多くの短編と二作の長編を書いたが全然評価されなかったというずっと継続してきた一面と、幼い頃からのSFファンで宇宙オタクでもあり趣味は軌道力学の研究という『好きな物を突き詰めた武器があった』という部分が象徴的な部分と思いました。
ハリー・ポッターの作者も、この著者も深夜のテーブルで物語を書いている時は、きっとニヤニヤしながら書いていたに違いありません。楽しいことが探究心や継続することへの何よりの原動力ですから。どんな道を歩いていてもそういう武器があればきっと闘っていけるのだと改めて思ったんですよね。
ぷらすさんとそのような事を話した事がないので、そのあたりどう思われているのかは分かりませんが、少なくても私はそんなような事を考えながらこの『半蔵・オブ・ザ・デッド』に関わらせてもらってます。『スキ以上の評価を貰える為に頑張る』事は、ある意味で描くためのモチベーションとイコールだし、『企画』そのものに対してのモチベーションになるし、何より『特別』だと思ってもらえる楽しさったらありませんからーw!
●企画として
もしもお時間がある時には、サイト内にある『談話室』をちょっと覗いてみて貰えればと思います。本当は裏側でやるべき生々しい会話などがそのまま書かれていたりするので、『誰かとコラボをしたい』という方には興味を持てるんじゃないかと思います。
誰かと『コラボ』をするのって、とても楽しい事ではありますが、それと同時に難しいことでもあると思うんですよね。
それぞれがこだわりのある違った価値観が一緒に何かやろうとしたら、やっぱり普通の人が集まるよりも色々なトラブルが起こったりすると思うんですよね。お互い譲れない部分もあるし、あるいは引かなければいけない部分もあったりもするし。
談話室での会話は、画像や表に出せない理由がある時を覗いて、ぷらすさんとの打ち合わせの大部分がそのままオープンになっております。実際、私自身も『こういう面はあんまり見せたくはないなー』という嫌らしい部分も多々ありますしw、きっとぷらすさんも同じだと思います。
でもそういう『誰かとコラボすること』という部分も含めて『半蔵・オブ・ザ・デッド』という企画に触れてもらえるのであれば、意味がある事なのかなーと思って、ぷらすさんにお願いしてオープンにさせて頂きました。
『半蔵・オブ・ザ・デッド』は、他にもたくさんあるであろうコラボ企画の一つですが、見ている人にちょっとでも『特別な何か』を感じてもらえたら嬉しいです。
それこそが、私やあなたの、次の楽しさへと繋がると思うので。
やっほーっ。
(ちくわ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?