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アマノイワト

 ────18:45/02/09/2044
 東都外郭第13地区『東都第19風雷発電所』は台風による暴風圏の真っただ中にあった。
 敷地内には数百を超える巨大風車が林立し、秒速55mの強風を受け轟音と共に回転する。
 屋根に叩きつけられた雨水は導線に従いひとつの濁流となり、屋根から瀑布めいてタービンを打ち据える。
 無数の墓標のような避雷針群は、常にそのいくつかが轟雷を受け止め、刹那の激しい光を放つ。

 同発電所統合管制室。
 全発電設備は24時間体制でモニターされ、毎分ごとの発電量がこの部屋中央の大型ビジョンに表示されている。
 多くの職員が発電量が少しずつ上昇するのを無言で見つめていたが、やがてその静寂が破られる。  
 《ただいまレベル2ノルマが達成されました!おめでとうございます》 
 何ら感情のないAI音声が突如室内に流れると、職員の険しい顔が一斉に綻び、各所で喜びの感情が爆発した。
 雄たけびをあげるもの、天を仰ぎガッツポーズするもの、小さく拍手を繰り返すもの、そしてロッカー室に駆け足で急ぐもの。

 「1週間ぶりに家に帰れるわー」
 「あたし2週間ー」
 ノーメイクの女性職員2名が大きく伸びをしながら言葉を交わす。   
 椅子を並べてベッド代わりにしていた男性職員が、顔にタオルをかけたまま右腕を掲げてサムズアップする。
  《皆さん、レベル3ノルマを目指して頑張りましょう》 
 再びAI音声。男性は無言のまま手首を返し、立てていた親指を床に向けた。
  
 同発電所所長室。
 榊原康彦は窓の外、雷雲と豪雨の彼方、帝都の方角を見つめていた。
 実に1か月ぶりの勤労機会を与えられた各種発電設備。
 それ以外、この発電所の周囲には人家どころか何の建造物も存しない。 (大雨期レイニー・シーズン から40年も経てばこうもなるか) 
 記録に鮮烈に刻まれた少年時代の出来事を思い出す。
 レベル2ノルマ達成の報は当然彼の耳にも届いている。
 榊原はおもむろにデスクに向かうと、『対象:All』に設定しマイクをONにする。
 「えー、所長の榊原です。レベル2ノルマ達成です。当直員以外業務を終了いただいて結構です。本当にお疲れさまでした」
 
再度管制室が歓声に包まれる。
 「もうひとつ。レベル3まで頑張ることもありません。それではよい休暇を」
 さらなる歓声と笑い声。
 榊原は今年の夏、あの地獄を思い出す。 

 『干ばつ』
 誰かがこう表現した。
 地面が乾き割れたわけではない。
 ダムが枯渇したわけでもない。
 ただ、雨が降らなかった。
 頭上にはいつもと同じように曇天が広がっていた。
 ただ、風が吹かなかった。
 気象省の懸命な調査分析にも関わらず、原因は不明のまま。
 結果、先月の降水量は昨年比較わずか4%という異例の状況となり、東都では節電が呼びかけられる事態に。
 午後5時以降は指定された施設や飲食店以外の消灯が奨励され、明るさを失ったこの街に地底生活者モグラによるものと思われる強盗などの犯罪を多数生み出す羽目となった。
 だが、レベル2の発電ノルマを達成すれば、その後一切稼働しなくとも1週間ほどは東都の消費電力を賄えるのだ。
 榊原は軽く頭を振って現実に戻る。
 マイクを切ると大きく息を吐き、視線の向こう、少し輝きを増したように思える全天候型ドーム・シティ『東都』の光を眺めた後、少しだけ口元を緩めた。 


────05:22/04/09/2044
 東都、九王市。
 九王署鑑識課降田ささめは、未明のけたたましいコールに瞼を開けた。
 発信先を確認。
 登録名は【課長代理】
 「うへぁ」
 眉根を寄せ、ひとつため息を吐く。
 もうひと呼吸置いて応答ボタンをタップ。
 「おはようございまぁす。降田でぇす」
 「変死体。臨場」
 通信が切れる、絶句。
 話が早くて簡潔なのは数少ない尊敬できるところだ。
 彼女は寝ぼけまなこでタオルケットをまさぐり、眼鏡とショーツを探り当てると立ち上がり、帰宅後に自転車の鍵をどこに置いたか思い出すことにした。
 
 台風一過の快晴など最早老人の昔話。
 厚い雲が空を覆い、南風がじめじめと淀んだ空気を運んでくる。
 「うへぁ」
 築70年を超える郊外の木造アパートの一室で、降田ささめは天井を見上げながらまたため息をついた。
 (こんな朝っぱらから臨場だなんて...…しかもさぁ...…)
 視線の先、結ばれたロープ、ぎぃ、ぎぃと梁の軋む音。
 ぱしゃり。シャッターを切る。
 住人が縊死しているとの通報があったのは昨日の深夜。  
 ぱしゃり。角度を変えてもう1枚。
 (これで事件性ナシってさぁ、流石にもう無理があるじゃん...…)
 彼女は周囲に聞こえないように微かに呟くと、帽子の鍔をクイッと持ち上げる。
 ぎぃ、ぎぃ。
 梁が鳴る。
 吊られた死体が揺れている。
 性別は? わからない。
 年齢は? わからない。
 外傷は? わからない。
 死体は真っ白なシーツを頭からつま先まですっぽりと被っていたからだ。
 何のために? わからない。
 本当に事件性はないのか? わからない。
 「あれ?」
 降田の声と同時、全員が作業の手を止め窓の外に目をやった。
 一条の陽光が室内へと差し込み、哀れな死者を照らし出していたからだ。
 純白のシーツが黄金色に輝いたかのように見えた。
 だが次の瞬間には光は薄れ、薄暗い事故物件がただ残されるのみとなった。
 降田はレンズを拭いて眼鏡を掛け直し、帽子を深く被ると、改めて死体を見つめる。
 視線を動かさぬまま、すぐ隣で腕を組んだままの上司、藤島課長代理に問いかけた。
 「これ...…一昨日のホトケさんと、全く一緒ですよね?」
 答えは返ってこなかった。
 「写真よろしいですかー? ホトケさん下ろしまーす」
 制服警官の声。
 「あ、すいませんもう1枚だけ」
 降田がカメラのレンズを覗き込む。
 その向こう、シーツに覆われて見えない顔が笑ったように思えた。


 ────09:54/06/09/2044
 〔あなただけの朝陽!あなただけの夕焼け!タイマー設定は必要ナシ!輝いた生活をいつでもご自宅へ!本日は【人工太陽光照明装置サンライト】の最新モデルをご紹介いたし────]
 ピッ
 昼の通販番組を映し出していたモニターは深い黒を湛え、ゴミと埃の散乱する狭いオフィスの様子を反射させている。
 その中央、壮年の男性がところどころ破けたアンティークソファに深く腰掛け、目の前のテーブルに乗せた両足を無作法に組んでいた。
 窓の外には雨風に打たれた『常坂義臣探偵事務所』のネオン看板がミシミシと不安な音を立てている。
 通行人からの苦情は通算5回。ビルオーナーからのものはその倍だ。
 常坂はリモコンを向かいのソファーに放り投げ、手にしたA4用紙の束に目を通す。
 1枚目の中央上部に〈本件依頼概要及び参考資料〉の文字。
 電子データを嫌う彼のために依頼主がわざわざ用意してくれたものだ。
 この仕事を断った場合は怒れるビルオーナーとのタイマンに勝利するという超高難易度ミッションが待ち受けている。
 彼に選択肢はない。
 最後の1文字まできっちりと読み終えると、勢いをつけて上体を起こす。
 資料を無造作に放り投げ、無精ひげの伸びる顎を2,3度さすると、テーブルの上に置かれたマグカップに手を伸ばす。
 冷めたコーヒーを一気に啜りながら、彼は依頼の内容を反芻する。
 目を通した際はタチの悪い冗談だと思った。
 口中の苦みが資料にあった強烈な単語を思い出させる。
 常坂はおもむろに立ち上り玄関のドアを開けると、古いエレベーターを使ってビルの外へ。
 手を挙げてタクシーを停める。
 「九王署まで」

 ────019:09/06/09/2044
 東都湊区第8埠頭貸倉庫。
 利用者は絶えて久しく、トタン屋根を打ち付ける雨音だけが響く倉庫内で、3人の警察官と1人の老人が対峙していた。
 「日野総一郎さんですね。貴方に殺人並びに死体遺棄の容疑で逮捕状が出ています。」
 中央の警察官が感情のない声で老人に告げ、情報端末の画面を向けている。
 (殺人と死体遺棄?はて?)
 老人は思考する。
 心当たりがありすぎて、九王市のボロアパートの件であることに思い至るまで暫くの時間を要した。
 (日野…日野...…?)
 自身が日野という偽名を使っていたことについては更に時間を要した。
 「はいはい、わかりました。お縄を頂戴いたしますよ」
 老人が笑顔で両手を前に差し出すと、中央の警察官は令状を隣に渡し手錠を手に近寄っていく。
 あと数メートルというとき、老人は手のひらを前に差し出してそれを制した。
 怪訝そうな表情を浮かべる警察官たちを前に、老人はその手のひらをそのまま頭上へと持ち上げ、天井を指さした。
 手錠を持った警察官だけは老人から視線を外さなかった。
 だが後ろから悲鳴。
 倉庫の天井から伸びるロープ。その先には白いシーツを頭から被った首吊り死体。
 その数は100を超える。
 老人が歯をむき出しにして嗤う。
 
 雨は止み、月が出ていた────。

 


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