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真実への目を開く

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私たちが本当に真理を手にしたいと願う時、真実を見ることのできる心の訓練が必要になります。統合への道を進みたい人のための記事です。有料にすることも考えていますが、今のところ無料で公…
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#真実

毒親を赦すことで起こること

親からの支配を受けて育った もう、感覚的には、遙かかなた昔のように思えて、鮮明には思い出せないのだけれど(事実、真理の視点から見るとそんな出来事ははじめから起こっていなかったのだけれど)、私は大好きな両親から精神的な虐待を受けていた。  時にはしつけと称して暴力的指導もあったし、日々行われる嫌みも横行していた。もともと薄かった親との愛着は、小学校2年生辺りで完全になくなり、そこからは、過度なしつけと、過干渉、支配とコントロール、抑圧、が主に親から受けるものだった。小さな頃か

もう悪夢を見る必要はない

悪夢との長い付き合い私たちは長い間悪夢を見ている。 怖かった記憶や、緊張した体験、不安や嫉妬、自分へのダメ出し、怒りや恨み、孤独にさいなまれたり、人からどう見られるのかに怯えたり。感じないように努力していても、そうした記憶は小さな刺激でふっと私たちを占領してしまうし、「よりにもよってこの人と?」 という感じで、自分が否定したものを体現したような人が目の前に現れたりする。私たちがそこに反応してしまうのは、もちろん、自分自身の中にその種があるからだ。 そんなことを言うと、今度

私たちに世界は変えられない

世界がより良くなるようにと願う心ずっと以前は、世界がもっとよくなるといいなと思っていた。もしも自分が、世界がよりよくなる一端を担えたりできるというなら、それは嬉しいことだと考えていた。戦争がなくなり、飢餓や暴力や貧困がなくなればいいと心から願っていた。差別や抑圧や搾取、孤立や自殺からいじめ、それから災害まで、世界にはなくなればいいと思うものがたくさんあった。 友人は世界をよりよくするために活動を長年続けている。署名運動をしたり、よりよくしてくれそうな政治家の活動を応援したり

『ビューティフル・マインド』の中のエゴと愛

『ビューティフル・マインド』久しぶりに映画を見てたくさん泣いた。『ビューティフル・マインド』を久々に見たのだ。この映画は2001年の映画で、昔に確か観たことがあると思ったが、ストーリーを全然覚えていなかった。 あなたは『ビューティフル・マインド』を観たことがあるだろうか? 昔の映画なので、観た人が多い前提での話になっていて、観たことがない方はネタバレになるので、ご注意ください。 幻覚への恐怖と現実へのチューニングこの映画を観ているうちに、「私が長年恐れていたことは、これだ

一人であることが怖くなくなった話

誰かに関心を持ってもらうことが生き残る秘訣だった自分という人間が、誰からも見向きもされず、忘れられたり、無視されたり、のけ者にされることは、自分の恐怖だった。そんな恐れを持ったのはいつの頃だったのだろう。きっと最初はその注目して欲しい誰かは親であり、それは生き残るために必要な獲得すべき関心だったのだろうと思う。 成長と共に、私たちが関心を向けて欲しい相手は親だけではなくなっていく。友人だったり、関心のある人だったり、時にはもう誰でもいいから、自分に優しい言葉をくれないかとさ

偽物と真実の調和は永久にない

バランスが大事?《調和》や《バランス》は、私が生きてきた中で、「必要だ」と思い、意識してきたものだ。見える世界だけに偏りすぎると、体調や精神を壊したりするし、見えない世界だけに偏りすぎても、肉体を持ったこの世界で生きるのに難しいと分かったからだ。 そのバランスこそが大事なのだと思い、どちらかというと「見える世界に偏りがちな世間のバランス」に合わて見せたり、その中でも見えない世界を大事にしたり、そのバランスを取るように人にアドバイスしたりしてきた。 どちらかを選ばなければい

真理を求める旅

西暦が誕生した頃に真理は説かれていた世界は幻想なのか。それが本当かどうかを確かめるために、いろいろな実験を超個人的に始めたけれど、幻想だとも、幻想でないとも、「これが真実だ」と証明することは難しいと分かった。ただ、そうした概念を念頭に出会ったことを思い返すと、仏陀が伝えてきていることも、いろんな宗教の高僧の発言も、みな同じことを指し示しているように思えてきた。つまり、【世の中にも事象にも身体にも意味がなくて、幻想であり、その意味のない幻想と理解して、この世を生きる】ということ