犬が死んだ日の日記

2023.11.21

チョコが死んだ。
朝8時半に父から電話があった。
父は、大変なことだけれど心配しすぎないという口調で「チョコが亡くなった」と言った。マンションの部屋で少し泣いた。10分くらいチョコのことを思い出して泣いた。
でも、その時はまだチョコの遺体を見ていなかったし、生きている時の写真を見たりしていたから、私の中でチョコはありありと生きていて、本当はあんまり悲しくなかった。チョコがいないことは、想像上のことだった。

11時からのバイトを12時半からにしてもらって、チョコに会いに実家へ。20分で支度して10時に駅に着いた。電車の中で、読みかけだった岸政彦の「にがにが日記」を読む。今思うと、どうしてそんな、火に油を注ぐようなことをしたのかわからないけど、まだ心の痛みが弱かったので、死を悼む気持ちをあえて味わおうとしたのだと思う。でも、岸さんの愛猫であるおはぎちゃんがなくなる箇所を読むと、電車の中なのに涙が溢れて鼻水が出て、それを拭って、最寄駅で母の車に乗った。
母は泣き腫らしたのかコンタクトではなくメガネをしていた。チョコがなくなった時の経緯を話してくれた。朝、調子が悪そうなチョコを父が抱き上げた時、チョコの首がだらんとしていたらしい。たぶん、その時すでに亡くなっていたんだけど、ずっと目が開いていたから「その首が治るのかなと思って」両親は病院に連れて行った。
話の途中で、高齢で病気のチョコは以前よく首がベッドから落ちていることがあって、それを直して寝かせていたことを思い出す。ああ、もうチョコの首がだらんとしていても、それを直してあげることはできないんだ、と思って涙が出た。母は続きを話したけど、急に相槌を打たなくなった私に気づいていたと思う。普段、話ができないほど人前で泣く人がいると驚いていたけど、本当にかなしくて泣いていると、どの音域の声も出ない、ということを知った。

実家に着いて、チョコに会う。
眼の筋肉は緊張度が高いらしく、チョコの白濁した目は開いたままで、本当にまだ生きているみたいだった。
ずっと垂れ流しになっている鼻水と涙を左手のハンカチで受け止めながら、静かにチョコを撫でた。まだあたたかくて、本当に、まだ生きているみたいだった。

 チョコは死んだ。でもチョコは今ここにいる。頭の中で、いる、いない、が繰り返されて、死はどこから始まるんだろう、と思う。肉体があたたかいうちは、つめたくなったら、焼いたら、骨を埋めたら。
母は、魂の抜けたチョコのからだを半ば強引に引き寄せて抱きしめた。私は抱かなかった。それは可哀想だと思ったから。
その後も、どれだけ感傷的な物語を頭から削いでも、目から涙が、鼻から鼻水が流れて止まらなかった。もうおしっこみたいな感じ。
チョコは死んだ。ただ死んだ。そんなことは分かっているのに、かなしい、ずっとかなしい。

チョコは土曜日の午前中に火葬することになった。自宅安置は3日間で、金曜の朝に火葬場に持って行くので、まだお別れまで時間がある。でも、今後の話を聞いて一度落ち着いた後、またチョコに触ることができなかった。こわかった。
触れたらかなしみの底に落ちて、めちゃめちゃになる。チョコのそばに寄れば「チョコのにおい」がして、チョコの顔に鼻をくっつけたくなる気がする。でもチョコは死んでしまった。
水飲み場や、食べかけのすりおろしたりんごは、誰がいつ片付けるんだろう。ベッドは、散歩道具は。たぶんここれからも、それらを見るだけで辛いと思う。感傷的にならないようどんなに気をつけても、喪失というのは、元来かなしいことなのだと思う。だから、誰が死んでもかなしい。誰の犬でも。猫でも。

チョコとの思い出はいっぱいある。
初めてできた、人間以外の動物の友達。
かわいくてかわいくて、15年間ずっとかわいかった。
おばあさんになっても毛並みが良くて、小さくて繊細で、時々可哀想なことをした。

赤い眼のまま、マスクをして電車に乗った。
アルバイト先に着く直前まで鼻水が止まらない。膝もガクガク震えていた。
深呼吸して、店に入る。
涙目は何とか誤魔化せても、鼻声は隠せなくて、同僚に「今日体調悪い?」と聞かれた。優しいな、と思った。
チョコのことは誰にも言わなかった。
チョコが死んでも、笑えたし、隠せた。帰り、たまたま同僚がひとりでご飯を食べに行くというので、誘って一緒に食べた。
ひとりで、ちゃんと栄養のあるご飯を食べられる自信がなかった。でもちゃんと食べなきゃと思った。食べたいと思った。だから助かった。迷ったけど、食事の時も同僚にチョコのことは話さなかった。巻き込みたくなかった。
ごはんは美味しくて、お腹もいっぱいになった。
マンションに帰り、やっとひとりになって、日記を書きながら泣く。またおはぎ日記を読むと思う。

前にチョコがガンで死にそうになった時、私は、チョコという犬がいたことをずっと覚えていようと思った。それが私にできることだと思った。だから、これからも、チョコのことをずっと思えていようと思う。
私のいもうと。私の愛犬。たくさんいる犬のうちの、たくさんいるヨークシャーテリアのうちの、たった一匹のチョコ。私の9歳のバレンタインデーに、皮膚病を患ったままタオルに包まれてうちに来た。ちいさなちいさな犬。かわいい、かわいい、うちのチョコ。

お風呂で、ひたすらくるりを聞いて、うたって、おどっていたら、母からチョコの動画と写真が送られてきて、また声を上げて泣いた。
ただ死んだので、ただかなしい。
何も言い訳ができず、ただかなしいだけ。
それを、受けて立つ。


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