洒落と駄洒落の境界線

いつものように学食の窓側の席に座り、参考書や専門誌を読んでいる。

窓からはじんわりと熱を帯びた日が差し込んでくるが、
冷房がそれを中和し、とても心地が良い。

「今日も外は暑そうだ」

夏と秋の狭間の季節。

朝は頭痛を催すほど蝉の鳴き声が鼓膜を刺激する。
突き刺すような鳴き声は、いつのまにか荒んだ心を治癒するような鈴虫の囁きに変わり

「あぁ、もうこんな時間なんだ」と、気付く。

図書館じゃなくて学食で勉強する理由は、飲食禁止の図書館に引き替え、
学食は自由にお茶やジュース、菓子パンなど楽しみながら勉強ができるからだ。

あと、学食といっても授業時間になれば学生はほとんどいなくなる。
卒業単位をすでに取得した者にとって、この時間の学食はまさに天国であり、
僕は昼過ぎ頃から夕方過ぎまで勉強をするのが日課になっていた。

オレンジジュースを飲みながらふと横を見ると、外はもう真っ暗だ。
先生方も帰る時間のようで、車のヘッドライトが次々と点灯する。

大学の先生って出勤時間も決まってないし、休みも比較的多い。
その上、給料も比較的高い。

チッ、なんて羨ましい世界なんだ。

苦労をさほどしなかった自分に嫌みを吐く。
そんな嫌みが脳内をグルグルと這い廻り、海馬の奥から思い出を掻き出し始める。

嗚呼、アイツはいま何をしているんだろう。

窓を見ながらオレンジジュースに口をつけようとしたその時、
車のライトが僕の網膜を貫通した。

一瞬目の前が真っ白になる。

真っ白な世界。

視覚以外の感覚が敏感になる。

オレンジの香り。

棚の奥から掻き出される記憶。
嗅覚と海馬が織りなすフラッシュバック。


四角い白い部屋

オレンジの甘い香りが漂う

それを口に運ぼうとしたとき

「元気ですかー!?」

不意にドアが開かれ、スピーカーを通して発したような挨拶とともにS田が現れた。

「大学全入時代」という強迫観念的な呪縛が大学進学へと導いてくれた。
おかげで単位はギリギリ取っているが、全然やる気はない。
大学は行ってもただ寝ているだけ。

そんな生活とあまり変わらない入院生活ではあったが、
S田のおかげでその暇な時間を潰せるかというとそうでもない。
いや、時間は潰せるが、やたら無駄に過ごしている気がするのだ。

「おっ、久しぶりだね。おれは元気だよ。S田は元気だった?」

「おれは死ぬほど元気だ!」

「死ぬほど元気って、矛盾し過ぎだろ(笑)」

「気にするな♪ あっ、これ。お見舞い品を持ってきたよ」

「おぉ、ありがとう。で、これ何?」

「バネ」

「バネ?」

その渦巻いた鉄の物体はビヨンビヨンと揺れ、
多少大きめだが一目見ればバネだというのは分かる。

「なんでこれ持ってきたの?」

「まぁ『ビョイーンビョイーン』ということだな。ここが『病院』なだけに(笑)」

S田はこの病院で誰よりも精密検査をされるべき人かもしれない。

S田の駄洒落は驚異的で、唐突に「イスカンダルで椅子噛んだる!」と言った時は、
電気椅子でも噛ましてやろうかと思ったほどだ。
しかしそんなことを言ったらキリがないので適当にあしらっている。

「あぁ、なるほど…。おもしろいおもしろい」

「ハハ♪ だろ(笑)。で、なんで入院してんの?」

そういえばS田には入院した理由を言っていなかった。
心霊スポットのとある部屋に行ったら、階段を踏み外し骨折した事を伝えた。

「ほら、こんな感じ」

骨折した足を見せると

「たいしたことねぇじゃん」

と、ギブスをパンパンと叩いてきた。

S田は高校からの友達で一緒にバンドを組んでいた。
S田のパートはドラムで、叩ける物があればひたすら素手でリズムを叩くほど、
練習を日々欠かさないやつだった。

そして今は僕のギブスでリズムを叩いているわけだ。

「幽霊に取り憑かれた足を叩いたらバチがあたるぞ」

「幽霊ね〜。あっ、さっきこの部屋の前に幽霊がいたよ」

「えっ、マジで?」

「マジだよマジ。すごい勢いでビョイーンって飛び出してきたよ。『病院』なだけに(笑)」

「どんな幽霊だよ!」

S田はいつもこういうノリなのだ。改めて客観的に見ると、
結局は楽しい時間を過ごしているようにも思える。
しかし無駄に疲れているように感じるのも事実である。

そんな駄洒落とついて行けないノリを適当に交わしていると、
不意にS田が落ち着いた声色で聞いてきた。

「お前、将来どうするの?仕事とかさ。おれは警察官になったよ。
小さい頃からの夢がやっと実現した」

S田の夢が警察官だったというのは初耳である。
それ以上に、警察に就職したというのが驚きである。
確かS田は高校卒業後は、進学せず就職したはずだったのだ。

「あれ、S田ずっと働いていたんじゃないの?」

「まぁ、そうだけど、働きながら勉強もしていたんだよ」

予想外な言葉が返ってきた。

夢を実現したS田に引き替え、
僕は将来的にしたい仕事などは決まっておらず、
ふらふらと大学生活を過ごしている。

大学に入る前は消防士になると言っていたが、
それは遠い昔の話のように思えるほどになっていた。

「働きながら勉強か〜。すごいね。というか、
警察官になるのが夢だったんだ。就職おめでとう」

「サンキュー。そういえば、お前の夢は消防士だったよな。実際はどうなんだ?」

「まぁ、無理かな。その話は忘れて」

「おっ、話を水に流せってか。消防士なだけに(笑)」

「なんだよそれ(笑)」

「で、なんで消防士を目指さないんだ?」

「う〜ん、勉強が面倒だからかな」

「なるほど。面倒か…。なぁ、一緒に海に行った日のことを覚えているか?」

「えっ?」

「燃える太陽。灼熱の砂浜。あの時、おれは言ったよな…」

「なんて?」

「もう一度言ってやろう…。『おれたちは肌を焦がしに来たんじゃない。胸を焦がしに来たんだ!』と」

「いや、意味不明なんだけど。その前に、S田と海に行ったことは1回もないよ」

「えっ…。あ、あぁ…。今のは水に流してくれ♪消防士なだけに(笑)」

「はいはい」

「まぁ、言いたいことは、フラフラしてんじゃねぇよってことだ。
会うのは久しぶりだし、お前に何があったのは知らんし知りたくもない。
現実に目を背けるなんて、こればかりは水に流しちゃいけねぇよ」

なに上手いこと言ってるんだ。

やる気がない私生活の虚無感。

その虚無感によって、1つ1つの細胞から体液まで毒に浸食される苦悩感。

それがお前に分かるのか。

そんな言い訳をする自分が矮小過ぎて泣ける。

足のギブスがやたら重く感じ、オレンジの香りが鼻腔に流れ込む。

S田は何か言っているが、全然頭の中に入ってこない。
ただ最後に「消防士目指しているやつが、心の炎まで消してんじゃねぇよ」と言ったのだけは覚えている。

くそっ、負け犬どころか勝負すらしてないじゃないか。
気付かないようにしていたことを、思いっきり突き刺したS田。
小さなため息がオレンジの香りに混ざり、また嗅覚を刺激した。

S田が帰った後、松葉杖を握りしめ立ち上がった。

扉を開けると浸食された細胞や体液を消毒してくれるかのように、
病院特有のアルコールの香りが体内を駆け巡った。

若干ギブスを這わせながら本屋に向かう。

本屋の自動ドアが開き、足下からえぐるように冷気が這い上がる。

もう秋なんだから冷房を弱めても良いだろ。
そんな気だるさを抱えながら本を探しレジに向かった。

早々と会計を済まし部屋に戻る。

部屋は相変わらずオレンジの香りが漂っている。
そんな香りの中で、買ったばかりの参考書を読み漁った。


やっとライトの光りから目が慣れてきた。
目覚ましにオレンジジュースを飲み干し、
筆箱に手をかけるとS田からもらったバネが顔を覗いた。

そういえば、このバネは何のバネなのだろうか。
S田に聞いてみようとメールを送ったら、すぐに返信が来た。
こいつ本当に働いているのかと思いつつ、メールを開く。

「う〜ん、特に意味はない!あっ、だけど本当は就職が決まった春に、お前と会うつもりだったんだよ。バネだけにスプリングってな(笑)」

相変わらずのノリと洒落だ。
今は消防士ではなく別の目標に向かっているとはいえ、
こいつのおかげで勉強に打ち込むことが出来ているのかと思うと、
自嘲気味に笑える。

「とりあえずS田のメールは受信拒否したよ」と返信する。

またくだらない洒落れた返信が来るのを分かっていながら。

#創作大賞2024

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