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D-POPとイッサイ・ガッサイ・USA

現在のハーミットインがワークスペースを構える横浜・戸塚。その最寄駅であるJR戸塚駅は、かつて俺が高校時代に通学で毎日使った駅である。あの頃から時は流れ、駅前は再開発で当時とは全く別の街になっている。

俺の高校は西口から少し離れたバスセンターからのバス通学だったが、朝から高校に用はないので、俺は朝電車を降りるとそのまま東口へ向かい、陸橋の階段を降りて“ワークスペース”を目指す。俺は授業よりも大切な“仕事”に没頭していたからだ。

1994年当時、ミスタードーナツが東口と西口にそれぞれ一店舗ずつあった。西口のミスドは俺には全くそぐわない。というより、戸塚駅東口のミスタードーナツこそ、俺のワークスペースにふさわしい空間であった。店内の雰囲気をどう形容すべきか。それはBGMそのものが教えてくれた。

『イッサイ・ガッサイ・USA』…そう、メリーゴーランドが回る薄暗く広い店内は、俺にとって何もかもがU.S.A.だった。今はもう国内に数店舗しか残らない「ミスタードーナツ 21型店舗」が、当時の戸塚駅東口にはあったのである。店員も客もみんな日本人であり、メニューも日本語だったが、ミスタードーナツ戸塚東口店は確かに『イッサイ・ガッサイ・USA』だったのだ。そこには夢があり、憧れがあった。

00:28から入るコーラスは、「イッサイ・ガッサイ・USA」に他ならない。それが「Inside Outside USA」の空耳だという指摘は完全にヤボであり、そういう事をほざくアホはLeave the hallである。

U.S.A.のダイナースを思わせる店内は広く、テーブルは低く、ソファは柔らかく、照明は暗く、店の奥にメリーゴーランドがあった。店内に流れるBGMはオールディーズだ。『イッサイ・ガッサイ・USA』の他にも色々流れていたが、『イッサイ・ガッサイ・USA』のインパクトが強すぎたので、他はあんまり覚えていない(曲名がSURFIN' USAだと知るのは大学でのことだが、それはまた別の話だ)。

店に入ると、俺はすぐカウンターに行き、当時の最新ドーナツであったD-POPとブレンドコーヒーを頼んで受け取ると、いつもの席へ腰を落ち着ける。そこはメリーゴーランドが見える席で、外から見えない店の奥にあるボックス席だ(コーヒーとD-POPは昼飯代でまかない、お釣りはミニチュア貯金となるのが決まりであった。母ちゃんゴメン)。

そして俺はおもむろにカバンからノート取り出し、壮大な計画を練っては色々と書きまくった。それは、ハルクウーべンの世界を作り込む事であったり、次のプチロードの例会でどんな風に新規参加者をもてなすかであったり、ブラックドワーフをどうすれば他の連中から潰されずに守れるかだったり、ウォーハンマーをどうすれば広められるかであったり、ゲームズワークショップをどうすれば日本に呼べるかであったりした。

『イッサイ・ガッサイ・USA』を聴きながら、D-POPを少しずつ食べ、コーヒーをすする。コーヒーポットを持って店内を回る店員さんにコーヒーのおかわりを頼み、俺は再びノートに向かうのだった。そんなこんなで昼休みの時間になると、俺は学校に行った。昼休みに紛れて学校に入り込み、5時限目と6時限目を受けて、部活をするからである。出席日数の都合上、毎日ミスタードーナツにいるわけにもいかない。そこでミスタードーナツを泣く泣く諦め、午前中から学校に行く日もあった。でも、尊敬する武内先生による世界史の授業でない限り、一限目から学校に行ったことはない。

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