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なんにもしない大人

俺がガキのころ、父は家で自分の仕事の話を一切しなかった。毎朝、家族でささやかな朝食をとった後、父は愛用のコーヒーカップでコーヒーを飲み、タバコを吸い、スーツを着て玄関から出ていく。母は俺と妹を連れて玄関から庭を通り、車庫から出ていく父の車を見送る。それが籾山家の朝の日課であった。

夜になると、父は家に帰ってくる。残業なしで早く帰ってきた日は、たまにお菓子や、おもちゃやプラモを買ってきてくれたりもした。夕食では家族で色々話すが、食卓で父の仕事が話題に出たことはない。

父はよく残業し、夕飯どころか、俺と妹が寝た後に帰ってくることも多かったが、そんな父に対する嫌味や愚痴を、母が子供の俺たちに聞かせたこともない(大人になってからはだいぶ聞かされている)。

小学校の友達は、父親の仕事についてむやみに自慢しあっていた。銀行インだとか、イッキュー建築士だとか、ナンダラ商事のホープだとか。また彼らは、彼らの父親がどれだけ苦労していて、いかに大変で、頑張っているかを誇らしげに語りあっていたのである。

だが俺は、そもそも父が何の仕事をしているかわからないので、何も言えない。知らないのだから、自慢どころか、話にすら参加できないのである。当時の父が俺にしてくれる話は、星や銀河のこと、恐竜のこと、歴史のこと、山登りとキャンプと魚釣りのこと、お米や野菜がどうやって育つかとか、洞窟のできる仕組みだとか、そういう話ばかりだったからだ。

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