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記憶の力と記録の力

俺はいつも「こんな事したい」「あんな事したい」と考えては、それをノートに書き留めるようにしている。アイデアノートというやつだ。俺が何かを思案したり考えをまとめたい時にも、やはり最終的には必ずノートに書きつけて考えをまとめる。考えるプロセスを客観視し、内容をしっかりと言語化することにつながるからだ。

俺は普通の人よりも記憶力が悪い自覚があるので、代わりに記録力に頼る。加えて、日常で知り得たちょっとした雑学だったりも、俺はなんでもかんでも書き留めてしまう。例えばそれは、なんかうまい料理のレシピだったりもするし、畳をキレイに掃除する方法だったりもする。

それらが溜まっていくと、結果として、それは俺専用のウィキペディアになるのだ。電気がなくても読めるし、書きまとめることでよりスッと頭に入る。記録を整理すれば、頭も整理できる。

色々と思い出しながら生きていると、記憶を呼び覚ますことに頭のメモリを消費してしまう。分析や発想、あるいは洞察や推理といった分野に頭のメモリを割けなくなるのだ。少なくとも俺の場合はそうなんだよね。

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記憶に頼ったせいで、しくじることはよくあるものだ。なぜかというと、事実と印象が混ざり合うことで事実関係の誤謬が起こるからである。わかりやすく言うと、実際にあったことと、それについて感じたことが混ざり合って、偽物の記憶が作り出されてしまう場合があるからだ。昔の出来事ならばなおさらである。

ただ、それもまた、人間の幸せなところだったりして、嫌な記憶をいい具合に忘れたりもできる。学校や職場であった嫌なことや、あるいは昔の恋愛が妙に甘酸っぱいものになったりするのも、記憶の作り替えがもたらすヘルシーな側面だったりするのだ。

その意味で、なんでもかんでも記録してしまうと、それはそれで人生が味気なくなってしまうことも真理と言える。なので、仕事のことはともかく、プライベートのことに関しては、記録をなるべく取らないようにしてきたし、これからもそうする。

実際、ほんわかした記憶は心地いいものだ。具体性がなく、フワフワしていて、なぜか切なく、あたたかい。そういうものもまた大切だ。記憶力と記録力の両方を活かすことが、俺にとって大切なんだと思っている。

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