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スピリチュアルフレンド

霊的同伴という言葉が、普及してきている。Spiritual Directionを日本語にした言葉。
同伴する人を、霊的同伴者と言っている。
少し前までは、霊的指導、霊的指導者、と呼んでいたけれど、導き手は聖霊であって、指導者ではない、ということで、今は霊的同伴と呼んでいる。

私が神学校にいた時、授業の中で、ペアになって、霊的友人との実習があった。週に一度会って、お互いの1週間の出来事や、祈りの中での課題や、神からの課題と思われることなどを分かち合い、聴き合い、祈る。

授業の外でも、霊的友人はずーっといた。神学校だから、当たり前かもしれないけれど…

帰国して、霊性を伝えようといろいろと働きかけてみたものの、まだ知られていなくて、あまりうまく行かなかった。30年くらい前だなぁ。

霊的友人も祈り求めたけれど、与えられず、何年か前に、「聖なるあきらめ」(鈴木秀子シスターの言葉)に至った。与えられないということは、必要ないのだ、と。

今、月に7回聖書を読む会(聖書研究会)をオンラインで開催している。教会員と、教会協議会の執行委員と、そして、会いに行く牧師で出会った方々と。それぞれ、月に1回ないし2回のペース。

聖書研究会は、夫も参加するんだけど、素晴らしい仲間が与えられ、いつも素晴らしい分かち合いと学びの時間になっている。みんなで読んで、分かち合っていくうちに、聖書の言葉やメッセージが、深く私の細胞にまで染み込んでいく感じがする。

今日、外を歩いていて、突然氣がついた。あっ、今の私、霊的友人がたくさん与えられている!祈りがかなえられている!感謝だ〜✨

祈りは、いつ、どんな形で応えられるのか、私たちにはコントロールできない。

一対一じゃないけれど、これらの聖書研究会で、私の信仰が養われ、そこでの氣づきが日々の生活に反映されている。霊的に潤っている。

私の生活の中で、聖書が生きている。息づいている。こんな感謝なことはない。

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