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YouTuber、オレのそばに近寄るな

ちょっと前にYouTuberになろうと思ったことがある。
読んだ本や観た映画のことを話すとか、ショートムービーを作るとか、世間ニュースを批判するとか、趣味のあれこれを見せるとか。
そういう動画を作って上げて、みんなに観てもらうのはどうだろうかと考えた。
でも結局やらなかった。
なぜなら人前に顔を晒したくないし、口下手で喋りには向いていないし、世間に文句ばっかり言っている奴にはなりたくないし、そんな暇があったら何か物語でも書いたほうが良いと思ったからだ。
そして何より、私はあまりYouTuberが好きではなかったからだ。

YouTuberと言っても今は色んな人たちが色んなことをしているので一括りにはできない。
私が苦手なのは、ちょっと昔に多かった、画面の真ん中にいる人がベラベラ喋って下にテロップがどんどん出てくる「日の丸構図」の物だ。
あれを観るのがどうにもしんどい。
あるいはゲーム動画で「はいどうもこんばんはー」と語り始めるのもきつい。
さらにサムネイルで煽り言葉を大きな文字で訴えているのもつらい。
特に嫌なのが、怒り顔や笑い顔や泣き顔をサムネイルに使っているものだ。
それが一覧に出てくると、もうなんだかYouTube自体を視聴する気もなくなってしまうのだ。

先日発表された早稲田大学理工学術院の研究によると、人は友人が正面または右手側にいると心拍数が減少することが分かったらしい。
人には快適なコミュニケーションが取れる距離「パーソナルスペース」があり、そこに見知らぬ人がいると不快な感情が起こり、逆に親しい人がいると安心してリラックスできるということだ。
難しい話を語るまでもなく、側に友達や恋人や犬や猫がいれば幸せになるのは当たり前だ。
見知らぬオッサンが寄って来たら避けるだろう。
興味深いのは右手側にいる時にも同様の結果が得られたということだ。
研究では利き手が関係しているのではないかと推測されていた。

私がYouTuberをしんどいと思う理由も、つまりそこにあるようだ。
ヘッドホンをしてパソコンの画面で観たり、手元のスマートフォンで観ていると、まるで見知らぬ人が近くで話しかけてくるような気がして、ちょっと嫌だなと思えてしまうのだ。
しかもそういう動画の人は大抵、声が大きく、抑揚を付けすぎて、表情が変わりすぎて、積極的に語りすぎる。
だから話を聞くよりも、なんだこいつウゼぇなという感情が先に起きてしまうのだ。

そういう印象を抱いている人も少なくないのではないだろうか。
ならばいっそ、私と同じ思いの人たちに向けた、適切な動画を作って配信するのもありかもしれない。
ゆるチューバー(これもすでにありそうだが)あまりガツガツせずに、ひっそりとした感じで。
良いじゃないか、好きなことで生きていくのがYouTubeなのだから。
でもまあ、伸びはせんだろうね。

【一日三報】

【スポーツ報知】英語教科書に水原一平元通訳で差し替え検討

今日の大谷さん。
教科書の選定には出版社同士の熾烈な争いが繰り広げられている。
だから少しでもトレンドを取り入れたい気持ちは分かる。
とはいえ大谷さんにせよメダリストにせよ他の有名人にせよ、これからもずっと聖人君子でいられるかどうかは誰にも分からないわけで。
教科書の登場人物は、死後の評価が固まった偉人だけにして、今生きている偉い人は教室で先生が紹介するだけでいいんじゃないかしら。
それはともかく、来年のどこかの教科書には絶対に鳥山明が登場するよね。

【読売新聞】西郷隆盛の息子「酉三」の写真、初確認…息子全員の写真出そろい「青年期の西郷も想像できる」

西郷隆盛さんというのは面白い人で、これだけの有名人にもかかわらず写真が一枚も存在しない。
当時は写真の黎明期でもあり、上流階級の偉人たちはこぞって写真撮影に臨んでいたのに、この人は明治天皇の要望もうやむやにして従わなかったそうだ。
だからやっぱり、この人はちょっとロックでパンクでアナーキーなところがあったんじゃないかと私は思っている。

【NHK】写真を撮るとき「ピースサイン」するの、なんでなん?

チャーチルかと思ったら井上順だったとは。
結局ピースサイン以外の「ちょうどいいポーズ」が定番化できなかったところもあるのかなと。
色々あったじゃない、アヒル口とかエッグポーズとか指ハートとか。
どれもピースサインの代わりになれなかったんだから、凄いよね。
これに勝てるのはもう「真顔で直立不動」だけかもしれない。

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