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「マルハラ」に見る読書ばなれ

「マルハラ」という言葉がある。
いや、ない。
ちょっと面白いから流行らないかなと、たぶん中年メディアが新たに作った言葉だ。
「マル」とは句読点の「。」のことで、文章末に付けるものだが、若者たちの目にはそれが「怒っている」「打ち切りたがっている」ように見えて使いたがらないという話だ。

広告会社の鉄則でもあるが、流行というのは共感よりも対立の方がよく受ける。
「そうそう、そうだよね」と思うと皆が納得して済ませるが、「それは違う、それはおかしい!」と思うと目くじらを立てて意見したくなるものだ。
ネット動画やSNSで極論や暴論や対立煽りがなくならないのも、それを目にして反応する人が大勢いるからだ。
その中でも特に受けがいいのは「男VS女」「金持ちVS貧乏」「中高年VS若者」「日本VS外国」だ。
「ハラスメント」という言葉もそのせいで、「対立を煽る流行言葉」という、本来とは別の目的で使われるようになってしまった。

そんな中での「マルハラ」だ。
世間では連続する人間関係が打ち切られるのを恐れているから、とか難しい意見もあるが、私は単に読書の習慣がなくなったからだと思う。
縦書きの新聞や小説に慣れ親しんでいないので、句点の必要性が感じられなくなり、同時に「、」「。」のある文章を堅苦しくて難しい読み物と思い込み拒むようになったのだろう。
漫画も出版社の規定や作者のこだわりがなければ、普通は「。」を使わない。
吹き出しひとつに一文が鉄則なので区切ることがないからだ。
ゲームや映画の字幕でも同じ理由で付けないことが多い。
句読点は長文を読むために使われる記号であり、短文ではわざわざ使う必要がないのだ。
だからLINEやSNSの文でも付けないほうが正しいと私は思う。

小説で言えば、今は普通に見かける「?」や「!」のマークも、少し前までは使われていなかった。
なぜなら日本語はそんなものを使わなくても、文章だけで疑問や驚嘆を伝えることができるからだ。
しかし小説のエンターテイメント化により、さらに読みやすい文章を求めて使用されるようになった。
もっと言うと、今流行の源氏物語の原文には句読点はおろか濁点すらない。
つまり句読点や感嘆符などは、読みやすさを求めて生まれた記号、いわば絵文字と変わりがないのだ。
だから、それが読みにくいと思ったら消してしまえばいいはずだ。

ということで、私は「マルハラ」よりも「小説が読まれなくなった」ことのほうに深刻さを感じている。
若者にはもっと小説を読んで欲しい。
そして「マルハラ」とか言って被害妄想をこじらせた中年には、冷めた目でアホかと言い返して欲しい。

【一日三報】

【読売新聞】「合格菌下さい!」受験シーズンに親たちが切望する謎の菌の正体

今日のプラシーボ。
「アホか」というのは簡単だけど、割り切れないのが親心。
別に誰も信じちゃいないよ。ただ自分の気持ちを落ち着かせたいだけ。
君もいつか分かる日が来るだろう。
親は馬鹿なんじゃなくて、私のために馬鹿になってくれていたんだと。

【INTERNET Watch】デンマークの学校、ChromebookおよびGoogle Workspaceを実質締め出しへ? その理由は

よく思っていることだけど、みんな中国産の機械やアプリは信用しないって言うのに、米国産の物は安易に信頼して使っている。
国家の主義とかディープなんとかの話ではなく、どっちもどっちで信用できないと思うんだけど。
マイナンバーカードは悪だザルだと主張している人も、きっとアップルかアンドロイドのスマホを使って、イーロン・マスクさん所のXで投稿しているわけで。
何が正義で何を守ろうとしているのか、私にはちょっと分からない。

【読売新聞】暴走族や爆音バイクへの通報相次ぐ茨城…高校生ら11人摘発、信号無視や蛇行運転繰り返し爆音走行

何が興味深いって、この子たち全員21世紀生まれなわけで。
これはもう若気の至りじゃなくて、地域や集団に根付いた伝統文化ではないだろうか。
全国各地にあるケンカ祭と称される荒っぽい神事も、こんな感じに受け継がれてきたのではないだろうか。
暴走族が1970年代に生まれたとしたら、もう50年近くも続いているわけで。
あと50年もすれば無形文化財に指定されると思う。
偉くはないけど。

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