日記のメモ書き2022/08/09

長崎に原爆が落とされた日
家で式典中継をみる
長崎の式典は被爆者代表の参加も若い世代の参加もあって、また、必ず手話通訳が付いていて、平和へのあかるさがあるように思う
わたしは長崎の式典の仕方がすきです

今日ちらっと聞いたところによると、広島は被爆者団体が分裂してしまっているから被爆者代表を出せないのだという話をしていて
なるほどなと思った

平和宣言よかった。
福島にも言及。核兵器だけでなく、被ばくとして核利用全体に問いを投げかけていた。とても具体的だった。

式を見て、広島市内に移動。追悼記念館で祖父の被爆についての資料がないか探すがない。祖父のものも、一緒に暮らしていた方々のものも。思い出したくない、語りたくないという思い、かもしれない、


ハチドリ舎にて、長崎から来られたふみさんのお話しを聞く。
ふみさんは、長崎原爆投下当時3歳で、その後入市被曝された。原爆の閃光だけが9日の記憶、その後の生活をおくる。
80年代ごろ沖縄で戦跡をめぐり、被ばく者としての想いを強め、活動を始める。公園の整備にともない出てきた遺構を残そうとする市民活動、工事に合わせて(市が調査や弔いをしないので)土をほり、生活品や被曝瓦、遺骨を拾う。これらを小学校へ寄贈し展示、在外被爆者が補償を受けるための活動、朝鮮・中国の方への補償を求める裁判、碑の建設など。
今も座り込みの抗議をされている。

ふみさんの活動の根っこに感じたのは、ひとがひととして大切にされるべきところを守る、尊ぶということ。それが成されていないことに怒り、悲しみ、大切にするために行動する。
弔いや祈りをたいせつにされている
ひとがひととしてたいせつにされなければならない、現状出来ていないそれを達成するために、声をあげ、活動し、スローガンを掲げるはず。ひとがたいせつにされたいことの先にあるはずの言葉や活動が、ガラクタになってしまって、よく分からないところから持ってこられちゃって、力ないものになる。形骸化する。それで、先だけが注目されてもてはやされる
しかし、根底にあるべきことはなにか。
弔いと祈り
原爆とういうこと、思う
そしてそもそも、戦争がなければ原爆もなかったはずだと、言う
今現在に問う

生の声が聴けなくなることに焦って、みんなが声を聴きたがる、
でも、既にたくさんの声が残っている

膨大な資料をまえに立ちつくす感覚
追悼記念館で祖父のことを調べた後、いくつかの手記や出版物を手に取ったのだけど、しっかり読む態勢になれない
戦後5年ほどで書かれた手書きの原稿もあった
あまりにもたくさんの情報がありすぎて、なにもできに立ち尽くして立ち尽くしてしまう
そういうなかで、どう渡し考えるか、どうやったら受け取れるだろう、どうやったら受け取ってもらえるだろう
何を考えるか

今現在についても考えなくては
沖縄の土を削るということ、 そこには本土戦のあったことが残っているはずで、
その土がひとつも調べられないまま、海に流され埋め立てられるとしたら、

わたしが知るべきこと、知ろうとすべきこと

表現がアートであるとかそうでないとかではなくて
表現はどこかなにか
ふみさんのしていることは表現だと思う
アクション
どう突き動かされ、動かそうとするか

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