日記のメモ書き2022/08/10

『被爆者調査を読む―ヒロシマ・ナガサキの継承』から小倉さんの章を読む。先輩方がやっている仕事、77年間の記録と聞き取り・表現、これらの仕事をもっとみなくては、
特に、爆心復元運動について見たい
同時にうまく集中しきらず、読むのに時間がかかってしまう。論文読むのへたくそです。

私は、被ばくのことをやりたいのか、語り部活動のことをやりたいのか、家族のことをやりたいのか、
目的がよく見えない

カロクリサイクル後半を見る。
表現、どう表現するか、まだ見当が付かないが、丁寧にリサーチをしたい
したいがちゃんとリサーチに自分のリソース割けていない気がする、遅いことに不安になる

受け身的に、巻込まれていくこと、
出会ってしまったことに関わっていく、私がやらなければ、、。
受け取ってしまったものをわたそうとする。
私が行きたい道、丁寧に丁寧に、しかしそれでいて軽やかにも居られるのかも


祖父の家に行く、ちょっと用事があって顔を出したら
「原爆の本がいっぱいあるけぇ、持って帰りんさい」と言われる。(今日何度も言われた)
初めてそんなこと言われた。物であふれかえる祖父の書斎?部屋?に連れて行かれ、いろいろなところを探しながら本を出してきてくれる。
分厚い写真集、手記集、祖父が切り抜き集めてきた新聞のスクラップ帳(5冊ほどあった)
ひらいて見せてくれる。パラパラと一緒にめくる。写真も一緒に見る。
「この橋、ね」「この人もこの人もこの人も、語っとるんよね」(ニュアンス)(御幸橋の写真を見ながら、。中央付近にいる生徒さんたちを指さす)
祖父母の家にはエアコンがない。古い日本家屋で風も通らず、暑い。暑くてクラクラすると言っていた祖父が心配で、せめてでもと内輪を急ぎ取りに行き扇ぐ。ほこりが舞っている。

祖父は、自分の被爆体験をほとんど語ってこなかった。けれど、新聞の切り抜きも続けていて、棚には原爆に関する本(手記集や、さまざま)がずらっと並んでいて、
祖父の中でなにか想いがあって集めてきたのかもしれないと思う。
祖父は収集癖があるので、集め始めたら大量に集まってしまっただけかもしれないけれど。
自分の体験を語ったり、なぜこうして集めて置いているのかは話してくれなかったけど、「いっぱいあるけぇ持って行きんさい」と何度も言っていた。そこには何かしらの想いはあるように感じてしまう。
私や母が原爆について考えたいと思って動いていることが祖父のなかのなにかを触発しただろうか。

写真や記事を一緒にのぞき込む。戦後の写真、被爆直後の写真、最近の式典の写真、ことば、見出し。
何を、何を思っているのだろう
なぜ、なにを。

祖父を急かすことも、語るように強いることもしたくない。
今この瞬間、祖父自身が自分の集めてきたものを手に、開きながら、ぽつぽつと周辺のことを話してくれているのが嬉しい。とてもとても重要な時間。聞きこぼさないようにと思う。しかしすでに、こぼれ落ちている。
ここから私がきけることを、ちょっとずつ傍らで拾いたいと思う。ゆっくり丁寧に、受動的に。
絶対にこちらが言葉を奪ってはならない。

直接のことを訊けない私。今聞いてしまってはいけない気がする。
写真を見ながら、周辺のことを訊く。戦後の町並み、写真をみていると景色がよく思い出されているようで、まちのようすを色々教えてくれる。まちには映画館がたくさんあったらしい、見に行ったって。

またゆっくり祖父母のいえを訪ねようと思った。傍らで佇んでいること。
聞く、ということ。聴くということ。

伝承の形は様々あって、私と母とは情報共有をしながらもそれぞれに、各々したい形で考えている。根底にある原体験や、表に出したい想いの部分が違ったりもする。否定するわけではなく、ただ表現の仕方やその土壌が違うということ。傍らで見ながら、私もしっかりやっていこうと思う。
丁寧に丁寧に、ゆっくり。


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