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2023/11 講話


父と母


私が本当に喜ばせる相手は、初めの父である。私はそう思うのだ。なぜなら、父なくして、私は存在しないのだから。


父がいなければ、私は何もすることができなかった。手もなく足もない。
手もなく足もないのに、手があって足がある。父がいなければ、私は歩くことさえできない。手で触れることも、話すことさえもできない。

けれども私はいつも、父に背を向けて生きてきた。私は罪人なのかもしれない。

ある日、私は初めの父に問いかけてみた。
「父よ、私は罪人ですか?」
父は問いかけが終わる前に、すでに答えられた。
「いったいどこに罪があるだろう? 罪とはいったい何か?」
 

そこで私は思うのだ、何よりも、初めの父を喜ばせてあげたい、と。

父はいつも言う。「私は何も知らないが、あなただけを知っている」と。

初めの父は、手や足さえも知ることがなかった。
体を知っているのは、夢見の私だけであった。

ただ初めに、真理の音があった。
ただそれだけが在った。
そして今も。
永遠に。




母であるあの方は、いつも私を抱きしめてくださる。
愛であるあの方の胸は、いつも優しく温もりに溢れていて、私は全てを忘れてもいいと思えるのだ。
 

母はいつも私を思いやってくれていたのに、私はそれをなぜか拒否してきた。いったいどうしてだろう?

どうして、好きとか嫌いとか、そんな言葉に夢中だったのだろう?
いつしか愛を忘れて。

母よ、私の瞳から、涙が溢れてきた。
これはいったい、どうしたのだろう?

母よ、私の胸がとても熱くなってきた。
これはいったい、何が起きたのだろう?

何かを伝えたいのに、何も言葉が出てこないし、考えて頭の中を整理しようとしているのに、全然頭が働かない。思考が胸に飲み込まれて、朦朧としているのに、何かをはっきりと自覚している。

母よ、私の瞳から、涙が止まらない。
泉が湧き出るのを、いったい誰に止めることができるだろう?
自然の流れを、いったい誰に止めることが可能だろうか?

母よ、私を飲み込むこの想いとは、いったい何なのか?


私は水面に浮かぶ枯葉のように、この川を降って行く。
私はどこからやってきて、どこへ行くのかわからなかった。
けれども母よ、私はあなたからやってきて、こうしてあなたの元に帰っていく。

母であるあの方は、いつも私を抱きしめてくださる。
愛であるあの方の胸は、いつも優しく温もりに溢れていて、私は全てを忘れてもいいと思えるのだ。

だから、私はもう何も記憶しない。記憶する必要がないのだ。
なぜなら、私はあなたから離れておらず、今、いつもともに在るから。


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上記「父と母」は、以前にこのnoteに掲載したものに少しだけ手を加えたものです。

この世界では、すべての人に愛される、ということはありません。それは不可能です。けれども、すべての人を愛することは可能です。
(すべての人を好きになる、ということではありません)
分離を信じている心はいつも、両親や兄弟姉妹、友達、彼、彼女、会社の上司や部下、どこかの店員さん、つまりあらゆる人から好かれたいと望んでいます。
どうして、望んでいるのでしょうか?

夕陽の暮れた深闇の淵で、膝を抱えるように「愛されること」を待ち望んでいるのはどうしてなのでしょうか?

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