2024/02講話
あなたの名前は何でしょうか?
あなたは誰でしょうか?
あなたは何なのでしょうか?
あなたの名前は高橋でも佐藤でも、木村でも〇〇でも・・・ありません。
あなたの名前は「I(わたし)」です。
わたし。
それがあなたの名前です。
私の名前は「わたし」です。
さらに正確に言えば、あなたの名前は「わたし」ではなく「在る」です。
もちろん、名前だけの話ではありません。
あなたは「在る」という、存在そのものです。
私は「在る」である。
このように、自身を正確に自己認識できているでしょうか?
これは非常に大切なことなのです。
存在するものは、決して消えることがありません。
これ以上に重要な認識はないでしょう。
そして、ただただ日頃の仕事や趣味、楽しみに耽っていても、この認識には至らないのです。
さて、次々にやって来る、目の前に現れてくるかのような出来事は、全て「結果」です。それは「結果」なのです。
「結果」は、結果なので、その結果を変えることはできません。
ところが私たちの心は、いつもその結果に対して反応し、その「結果」そのものを変更したいと躍起になります。
抵抗しているのです、すでに起こった、変えることのできない「結果」に。
それは、すでに起こったのです。
それを、どうこうしようとしても無駄なことではありませんか?
すでに起こったことを変えることはできません。
それは「結果」だからです。
ですから、仮に変えることができるとすれば、次に「起こる前の出来事」ということになるでしょう。
けれども、その「起こる前の出来事」が、変わって起こった「結果」しか、私たちは見ることができません。
違う「結果」を、私たちはいつも見ることができないのです。
起こったことだけを、私たちは「結果」として見るからです。
なぜ、ここまで同じ内容(文面)を繰り返すかと言えば、先に述べたように、私たちはどういうわけか、変えることのできない、すでに起こった「結果」を変えようとすることに力を使い、そして疲弊しているからです。
これは、無駄な労力であり、もしもここにエネルギーを使うなら、「起こる前の出来事」のために用いたほうがずっと効率的でしょう。
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