趣味まで真面目にやらなきゃダメなの?

マリ出身のとある大学の学長さんが、日本人にとっての「趣味」について一言もの申していたんですが、自分の行動様式をピタリと言い当てていていたく感動してしまいました。

趣味といったら、まるで専門家のような勢いになるので、ビックリする。
「映画を見るのが趣味で」と言ったときには、映画オタクが近づいてきて、◯◯監督のあの作品のこのアングルが、撮り方が……って、うんちくを垂れてくる。
なんやねん!知らんわ!こっちは、軽い気持ちで映画を楽しみたいねん!
コスプレーヤーのことをあまり知らずに授業で軽い発言をしたときには、受講者の一人が研究室に来て、コスプレについて延々二時間教えてくれた。コスプレーヤーがいかにキャラクターに対する知識とリスペクトを持っているか、ということをご丁寧に教示してくれた。
「あ、そうなんや。服着て遊んでるんちゃうんか」と言うと、服を手作りしていること、それにかける時間とキャラクターとのコミュニケーションの重要性、思いを寄せ合っているんだとか、ものすごく細かく聞かされた。
「え、この子、どこでリラックスするの?」
と、正直そんな気持ちにもなる。
ウスビ・サコ『アフリカ出身サコ学長、日本を語る』朝日新聞出版 pp.154-155

これ、完全に私です

前の記事でも書いたんですけど、わたしは「何もしない時間」にものすごくストレスを感じてしまう人間なので、趣味であろうが「意義のあること」にしないとそれがストレスになってしまいます。中途半端なことか嫌なんですよね。

映画だって、無意な時間を過ごすことが怖くて自分が見る価値のあるものだと判断したものでないと自分から見ようとはしないですし、ゲームも他人とのコミュニケーションの一環だとか他人へのアピール手段としか考えていないので、一人で黙々とやるゲームが苦手です。コミュニケーションの道具にならないゲームって無でしょ(言い過ぎ)

これに加え、私は「他人と同じ」にあまり価値を感じません。だから、何かのコンテンツを他人と同じように感じてしまっている自分にちょっぴり嫌悪感を抱き、自分だけの楽しみ方でコンテンツを消費しないともったいないように感じてしまいます。(だからファンが多すぎるコンテンツは少し億劫です。逃げ場がないように感じてしまうので)

多分こういった捉え方をしている人は結構いると思いますし(知らんけど)、日本人のオタク気質ってこういうことなんだと思います。やるならちゃんとやれ、とにかく極めよう、ニワカはダメだみたいなやつ。

「趣味はなんですか?」という質問には答えられても、「あなたは趣味でリラックスできているか?」という質問に関しては、わたしは自信を持って答えることができません。だって、趣味でリラックスしていいなんて、知らなかったもん!

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