2023年4月4週目 16/52週目

月曜日
昨日大学時代の友人3人と会った。内、1人は中学時代からの知り合いで、残る2人は大学4年になってから知り合って仲良くなった。大学の卒業式も4人で行って、だだっ広い会場で座っているのに早々に飽きて、会場から少し離れたオープンスペースで缶ビールを飲んでしょうもない話をしていた。通りすがりのおばあちゃんが「あら。お仕事終わったの?お疲れ様」と声をかけてくれた。状況を短くちゃんと説明できる自信がなかったので4人で「そうなんすよ、お疲れ様です!」と元気よく答えたのを覚えている。

パートナーやお子さんがいる人もいるので、会うのは年に1・2度あるかないか。会っても酒を飲んだりはしない。朝の8:30に集合して吉牛食って麻雀をするだけだ。その合間に近況を話すが、そんなに込み入った話はしない。本当にしょうもない話をするばかりだ。

俺「河(捨て牌)は第二の手牌なんだ」
(「墓地は第二の手札」というカードゲームの格言のもじり。でもいちいち説明しない)

友A「聞いたことねぇよ」

俺「河にドラが3枚・・・・。つまりこれで上がったらドラ3の半分、1翻20符付くってことさ」

友B「じゃあ今までやってたルールなんなんだよ」

友C「20符ってどこから来たんだよ」

とかダラダラ話しながらやっていたところ、

「つかとだっち、多牌じゃねぇ?」

俺「え!?あ、ほんとだ!」

多牌というのはどこかで牌を捨て忘れたかツモりすぎたせいで、手牌が本来(ツモって)14枚のところ15枚になってしまうことだ。

どうしてそうなったか全くわからんがそうなっていた。進んでいたゲームは廃棄となり、チョンボ(ペナルティ)として俺は点を払わなくてはいけない。まじか。学生の時以来だ・・・・。昨日あんまり寝てなかったからな・・・・。疲れが出てしまったな・・・・。

気を取り直して牌を配りなおす。自分の左隣の人が親(最初の手番)で一枚捨てて、次に向かいの人が一枚ツモって捨てた。くぅ~、気持ちを切り替えなきゃ・・・・。ん?

俺「ツモ順違くない?」

友「・・・・あ。」

本来反時計回りの所を、なぜか時計回りで動いてしまっている。向かいの人のチョンボとなりそのゲームも廃棄となる。まさかの2連続チョンボ。

誰も普段麻雀をしないのでずっとひっちゃかめっちゃかである。だがこんな緩さで仕事の話も大してするでもなく関係は続く。必然性も何にもない関係。無くなっても困らないがさみしい。これもまた「有り難さ」だな、などと思う。

火曜日
「とだっちさん、○○さんが髪切ったの気づいてます?」

「え?」

女性社員に指摘されて目の前のもう一人の女性社員を見る。確かに、、、、切った・・・・かな?

「男性社員はこういう小さい変化どうせ気づかないんです」とは切った本人談。まあ別に気づいてほしくてこの話題をしているというよりは女性同士ではすぐ気づいたが、男性から指摘されていなかったので、たまたまそこにいた「気づかん奴A」としてピックアップされたのだろう。

「そうはいってもこのご時世、知らんおじさんが『髪切ったの?』とも言って良いかどうかは微妙よ」

と弁明する。身体的なことは性別問わず良かれと思って話をしても思いもかけない感情を抱かれることがある。しない方が賢明だ。「あなたは知らんおじさんではない。知っているおじさんである」とは言われたものの、言わない方が良い、という主張にはまぁまぁ同意いただく。

というか、気づかないっていうか本当に見てないんだと改めて認識。よく見たらインナーカラーも入ってたけどそれも気づかなかったし。私はジジィだから情報を極力捨象しないと生きていけないのよ。だからガッツリ見ないと違いに気づけないんだけど、ジロジロ見るのも失礼だものね。人事部に個別にミーティングルームに呼ばれたくはないものだ。

でもその人が最近仕事をすごく頑張っていて、周りの組織の人とのコミュニケーションの精度も上がって来ているのには明確に気づいていた。それは耳で聞いてわかる、同じオフィスに居て感じられる成長だ。いつか言おうと思っていたが、今言ったら埋め合わせで適当こいていると思われるから言えなかった。結果、ただの鈍感おじさんという、評価を頂く事となった。全く以て実態と合っている。

水曜日
朝スタバでドリップコーヒーを買う。しかし夜までの間にお代わりをすることがない。「夜までカフェイン追加投与せんの?」という話だが、そもそもディカフェで頼んでいる。自分は中毒性のあるものが我慢できない。好きなスナック菓子は永遠と食べちゃう(途中で封をしてまた明日、ができない)し、居酒屋で枝豆やフライドポテトを頼むと必ず皿から絶滅するまで食べ続けてしまう。なのでカフェインも一度摂るとぶっ続けで沢山摂ってしまう。しかも離脱症状がめちゃくちゃ早く強く出てしまうので、飲んで数時間後には使い物にならない人間が出来上がる。そしてカフェインによる集中時間がそんなに長くない(90分くらいでもうぼんやりし始める)。なので50円追加でディカフェで頼むのだが、お代わりをしないのでワンモアコーヒーチケットが(失効しつつ)溜まっていく。

このお代わり券は魅力的だ。「午後もお代わりできるしスタバで良いか」となるが、その午後はもう来ない。家にビロビロのレシートが溜まるばかりなり。それでも「スタバのコーヒーを安くお代わりできる権利がある」という安心感で繰り返してしまう。本当に大事なのはコーヒーそのものではなく、ゆっくり休める午後の時間そのものなのに。

いつか過去の俺が全員集まって「これ、俺がお代わりできた権利。でも使わなかったんだ、お前には俺と同じ後悔をしてほしくなくてさ。今日くらいは、コーヒーと一緒に、ゆっくり休んでくれよ」と言って俺にドリップコーヒーを奢ってくれないだろうか。あ。それをするためには午前の俺が仕事頑張らなきゃダメなのか。朝コーヒー飲んで駄文書いているから午後の俺がいつもきゅうきゅうなんだな。解決。ごめんな、午後の俺。頑張れ。

木曜日(翌日・翌々日)
キャリアの相談をした。時間が余ったので兼ねてからの疑問に思っていたことの質問もした。

齢四十も近くなって分かっていないのまずいの承知しているんだけど、「マネジメントで配下の人間の成長や行動に責任を取るってどこにやりがいを感じているんだ?」と常々思っており、相談してみた。

「お客様の期待に対して会社対会社のフロントに立ち責任を(職責の範囲で)取る」という事にやりがいを感じるのは分かる。でも何か同じ会社の人メンバーの成長を気にしたことがない。皆会社に入る前に一社会人で、好きでこの仕事を選んでいるんだと思っている。その中でパフォーマンスが出る人もいれば出ない人もいる。出している人に迷惑をかけないよう自分も頑張らねばと思うけど、それを他人に強制するつもりはない。別に誰の人生にも何のコミットもしないし。

つまるところ成長もそれに対する痛みもそうして得た評価もその人だけのものだと思う。そう考えると他人に成長や成果を望むことは自分の責務として必要であればやらざるを得ないけど、やりがいとは無縁な営みな気がする、という話をしたところ、。

「とだっちさんは今まで『自分で仕事を選んで成長してきた』という自覚がある。つまり『誰かの手によって成長したという実感がない』から、自分が成長させてあげる側に回ったときに、やりがいを感じられないのは当然なのでは?」と一発で切り返された

えあ。そうか。いや、「わしゃ一人で生きてきたんじゃ。誰の世話にもなっていない」なんて思っているわけじゃない。世話になってはいるんだけど、それに伴う成長は、なんて言うか偶然みたいなもんだと思っている。痛みに耐えられたのも、それなりに続けてこられたのも、全部偶然、たまたま。(社会人1年目の上司だけは社会における「仕事」を教えてもらった人なので本当に感謝している。当時の俺は今の俺に輪をかけて社会性のないチンパン人間だったから)今ここに立っている自分だって「過去の積み重ねの結果としてここに居る」というより「何か過去の自分が社会における辛さに、時に克己、時に惰性で耐えてきて流されて来た成れの果て」という感じで、過程に実感が持てない。どこかで全部ダメになっちゃった自分も同じ可能性だけ存在していたと思う。

「そうか、、、、僕がクソセルフィッシュ恩知らず人間だったせいでこんなことになってしまっていたのか・・・・。」
「いや、そこまでは言ってないですけどね」
「手助けしてもらってる実感はいつもちゃんとあるんですけどね・・・・。」(でもそれは役職関わらず助けてくれた人皆に感じている)

しかし得心がいった。自分は周りに自主性を求め、独立性を認める。(機能に着目しフラットに周りを見る)それと表裏で干渉する事を嫌い、自分の働きかけで人が成長する事、本当の意味で助かることはないと思っている。どんな結果もその人本人のものだから。

でもまぁ「お前がどう考えているかや、やりがいを感じるかは二の次三の次やねん。組織のロールにしたがって他人をマネジメントしてスケールした結果を出せや」という要請が常に鳴り響いているのも分かっている。逆に周りの人間の手助けという「機能」(というと冷たすぎるか。「作用」や「職能」でもいい)に感謝するのであれば、自分自身もしっかり組織に対して「機能」を発揮すべきである。

ここまで耐えられたのは偶然かもしれないが、今ここに居るのが周りの手助けの結果であり、ここまで来たことが事実である以上、誰かの過程に、将来が良くなるようにという思いをもって働きかけることもまた、必要なのかもしれないと思い直した一日だった。

金曜日(翌日)
気温の変化に体が萎びた一日だったので、銭湯で交互浴をして少し持ち直した。

西加奈子著「くもをさがす」読了。

ネタバレは避けますし、全然言葉にできていないですが、こんなにも暗闇について語ることで光を感じさせる文章があるのだと、光に集中しつつも暗闇の存在を認め、それに恐怖する自分自身を受け入れるということについて、読み手に伝える術があるのだと、、、、

結ぶ言葉が見つからなくなった。
「圧倒された」はかっこつけすぎなので、「とにかくビビりました」。

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