2023年10月2週目 41/52週目
◆連休明けの、というか仕事始めの、仕事上の意味わかんない会話の意味を理解する過程が嫌いだ。
普段人に言わないような言葉で話すようになり、
足元からゆっくり水位が上がってくるような感覚がある。
相手を仕事上の役割で規定して、必要ない人格を捨象して、業務上便利な自動化された言葉で話す。そのモードに頭が切り替わる時、それが上手くできる事で達成感を感じる時、何かを見つけて喜ぶ、のんべんだらりとした自分は影に追いやられる。「そっちのモードの時間が長くなりすぎないかい?」心配してくれる声も、慌ただしさの中では聞こえない。
◆ 仕事上の資格試験を受ける事に。受かれば多少仕事や出世に寄与するだろうが、一歩仕事の外に出れば何の役にも立たない。そんな資格より柔道の審判資格の方が、あるいは文章を書く方が、人生の役に立ちそうだとも思う。何に時間を割いてベットするか。手に入ったチップが何と引き換えられるのか(お金なのか生き甲斐なのかはたまた違う何かなのか)、散々集めた後に思ったのと違かったではすまされないので、気をつけなくてはいけない。
◆頭を使うと心臓が痛い。体を使うと腰が痛い。兎角三十路は生きづらい。
◆「今この瞬間に言語化できないんですけど何かしっくりこない。やる気がでない、やりたくない」で跳ね除けられないのが人生の辛いところ。皆んな理由を、ロジックを、ストーリーを求める。今は言えないけど、4年待ってくれ。ちゃんとあるから。
◆有休の日の上長からのチャットにも平身低頭でちゃんと返事する平成の営業GPTを俺に入れたい。
昭和はチャットなかったし、令和は労働環境を保護するべきでチャットしないだろう。
平成だ。平成が足りない。
◆権利や正義を主張するだけでは物事は通らなくて、今日この瞬間を作っている、連綿と続く文脈に対する理解が必要だと感じる(割には歴史の勉強をしない)。
そんなこんなで日常的に「文脈」という言葉を「互いに同じ視点を持つ為に理解すべき経緯」といった意味合いで良く使うのだが、上役に「どう?クライアントにもこのセミナーの文脈を理解してもらえそう?」といじられる。いじられたのを分かったので「ええ、文脈、ひいてはナラティブを理解してもらえるようにしますよ」と答えて「ナラティブねw了解」と会話を終える。こういう少し堅苦しい真面目な話を解す脱線が仕事にあるといい。それは自動化と相対する営みだ。
◆酒席にて
上役「どうなの?とだっちは将来的にどーなって行きたいのよ?」
僕「え?シコって寝たいと思ってます」
上役「うん。そういう近い将来の話じゃなくてだね」
こういった会話をする関係性である。これもまた文脈。
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