2023年8月4週目 34/52週目

月曜に書いた文章


私の大好きな「うしおととら」の作者の藤田和日郎先生の記事。(もちろん「黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ」も買ってるよ!)

藤田 僕は相手に興味を持つこと、「あなたを理解したい」という思いこそがコミュニケーションで一番大切な部分だと思うんですよ。たとえ口下手でも、相手に興味を持って、話をちゃんと聞いてあげればいいんです。だけど、人の話をさえぎるようにしゃべるだけしゃべって何も聞いてこない人がいたら、その話がいくら面白かったとしても、会話が成立しないでしょう。そうしたら相手の気持ちは良くなりません。

(中略)

相手に興味を持って質問するのがコミュニケーションなのであって、これにはしゃべりがうまいもヘタも関係ありません。仕事は人と人とでするものですから、マンガ家とアシスタントだろうが上司と部下だろうが「こいつは何考えているのか分からん」という状態では先に進まないわけですよ。

引用 https://meetscareer.tenshoku.mynavi.jp/entry/20230818-fujita

藤田先生の「読者ハ読ムナ(笑)」にも書いてあった気がする。
朝職場に来て、僕(藤田先生)がフィギュアをいじってたら「何してるんですか?」って聞いてね、と。そういう会話から互いを知っていく、無関心はだめなんだと。職場にも「ムクチキンシ」の張り紙があり、黙々と内側に籠りがちな執筆活動中も互いに話し合い関心を持つべきだと。
(手元にないから細部違ったらごめん)

思えば社会人生活も15年が過ぎ、全然出世しないけどジジィだからという理由で周りから気を遣ってもらっている状況だ。そんな中使う言葉もどんどん淡白になっていて、ただでさえいつも同じような語彙の繰り返しで自動音声みたいな仕事しかしてないのに、相手に関心を払ったコミュニケーションなどできていないな、と痛感する。

あくる日の柔道。はじめましての中学生がいた。立ち技は挑まれなかったけど寝技を挑まれる。(こちらの気持ちとしては「お願いされる」じゃなくて「挑まれる」なんだよな。最近の中学生強いんだもん)体躯は決して大きくないが、力の入れ方や相手の動きの捌き方が上手い。良い選手だ。

見学している父兄の方の視線でその子のお母さんが分かる。お母さんも初めて見るので、恐らく新規入門者かな、と思う。

余談だが小職は道場に入る時、父兄の方になるべく元気よく挨拶をしようと心がけている。何かそういう礼法を武道に求めており、そういったところも子供に身に着けてほしいと思っている父兄の方もいそうなので。あと得体の知れないおっさんと子供を柔道させるの怖いと思うので。ただでさえどんなに気を付けても怪我と無縁ではいられないスポーツだ。対峙している相手だけではなく、例えば倒されたところに別の人がぶつかってしまい怪我をするみたいなリスクもある。そこにおいて互いになるべく気持ちよく練習をするためには、安心することが欠かせない。なるべく爽やかな中年でありたい。(なお、中学生にけがをさせたことはないが、中学生に足払いとは名ばかりの蹴りを食らって脛が腫れたりはしている。大人は泣き寝入る)

閑話休題。稽古後の礼の時に件の少年は新規入門者として先生から紹介された。

着替えを済ませ、自転車置き場で少年とお母さんを見かけた。普段なら「ありがとうございましたっ!」とだけ言って帰っただろう(アドレナリンが出ているので帰り際の方が元気良くなるのが通例)。でもその日は記事を読んだこともあり「ありがとうございました。お子さん、何年生なんですか?」と聞いてみた。

最近は「声かけ事案」などとも言われ、逆に相手を不安にさせてしまうリスクもあったろうが、同じ共同体の先輩とあれば会話して打ち解けるメリットの方があると判断した。でもお子さんに直接声かける勇気なかったのでお母さんに声をかけた。

「あ。中一なんです」との回答。

「え!中一でそんなにちゃんと強いんですね!?」と正直に驚いた。
センスのある2年生、あるいは3年生でも通じただろう。つか小学生時代どんな練習してたん?

たまたま周りにいた先輩や後輩も「え!まだ中一なの?すごいなぁ」「これからが楽しみだねー」と褒めた。恐らく自分が声をかけなければこうはならなかっただろう。

少年本人は喜んでいいやらはにかんでいいやらの表情だったが、お母さんは「いえいえ、そんな。。。。」と笑顔で謙遜していた。

互いに「これから、よろしくお願いいたします。」と挨拶をして帰った。

ほんの少しの会話だが、今回のように周りの人も含めて会話が広がることもあり、それは安心して活動をするための環境作りに繋がることもある。これからも節度を守って心がけたいことである。

金曜に書いた文章

一緒に大きな本屋に行くパートナーがいる。
当初は連れ立って本屋を回ったものだが、今は最初は一緒に回って後半は思い思いの所に行くことが多い。

あらかた買いたい本も決まって見失っていた連れを探すと絵本コーナーにいた。普段自分では絵本を見ないが、折角なのでいくつか開いてみる(こういったランダム性も気が合う人と本屋に行く楽しさである)。脈絡がなかったり、オチが突拍子もなかったりするが、基本的には子供に見せるものとして、そこには優しさが現れていると思う。

幼稚園のころ、金曜日になると1冊絵本をレンタルして帰るのだが、オチの分かりにくいフワフワした物語よりは、遊びがいのある仕掛け絵本や「ねないこだれだ」みたいに怖いもの見たさを煽る本が貸し出し候補になっていた。

「ねないこだれだ」はマジで怖かったから見るだけで持ち帰りは頑なにしなかった(おばけがついて来ちゃったら困るし)が、そういったある種恐怖を煽る本は、怖い架空の物語の存在に子供を慣れさせるという役割があると思う。そこには怖くなりすぎないよう、優しさの配慮がなされていると感じる。

連れはフクロウが好きで多少グッズも持っている。その日は国語の教科書でおなじみ「がまくん・かえるくん」と同じ作者の「ふくろうくん」を買っていた。(ふくろうくんはかえるくんの天敵だったりしないのだろうか)

そこで、フクロウ好きっていいよな、と思った。森の賢者。知恵の象徴。それでいて猛禽。文武両道。何かそれが好きってセンスある感じする。

でもフクロウカフェとかはあんまりなんだよな。使役されている動物を触ってもあんまり嬉しくない。フクロウさんお仕事中にすいません、ってなっちゃう。

自分もフクロウではなくグッズを集めたくなるような動物を探しているが中々思いつかない。可愛すぎるのも性に合わないし、かといってカエルとかトカゲとか「何かビレバンに小さいコーナーありそう」みたいなやつも違う。そう考えるとフクロウ丁度いいんだよな~。

好きな動物が居てその絵本を集める。そんな偏愛、あるいはちょっとしたお気に入りに、あこがれた夜であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?