エスカレーターの乗り方

・エスカレーター片側空けるなについての話です。

・例によって雑多な思考整理メモになります。

・おれは関東圏に住んでいるので、みな左に並び、右を空ける風習がある、として読んでください。

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「2列で乗った方が能率が良い」ような理屈でエスカレーター片側空けを批判するのは、少し早計じゃないか?的な話をこれからしたい。

しかしその前に明確に主張しておきたいのだが、おれの総合的な結論は「2列で止まる」支持側だ。

メインの理由は、
・子連れ家族、障害者、あるいは少し身体のよくない人が連れと横並びで乗れる方が安心ではないか。エレベーターを探さずとも。
・追い越し接触のリスクがふつうにでかい。事故で転げ落ちた/落とした時のダメージを考えてじっとしてるほうが平和。

サブの理由は、
・階段って代替手段もあるんだからエスカレーターを歩くメリット薄いじゃん(互換ではないが)
・エスカレーターの片側に偏った負担を掛け続けると摩耗も早く、故障点検等含めると結局パフォーマンス低そう(推測)
・2人以上で行動してるときは横並びで会話できたほうがいいじゃんね(たいしたメリットではないか)

これら以外の観点で、1列立ち+歩きを考察してみる。この手の"是か非か話"は最終的にどっちを支持するのよ!論争になりがちだが、そうではなく観点ごとに検証したいだけで、結論どちらでもよい。が、自衛として結論も先に書いた。

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さて能率について。

一定時間エスカレーターが稼働した時の運搬能力。2列立ちは一定時間の間人がすべての段に2人ずつ乗っているのだろう。1列歩きは段数と同じ人数が歩き続けるとき、2列立ち以上の人数を運べる。ただし、その"以上"は歩く人の筋力によって齎されるもので、エスカレーターの能率は変わらない。また現実的に、そんなに詰めて人間歩けないので、2列の方が能率が良いのは間違いない。

例えば地下鉄のホームから地上改札に出るエスカレーター。運搬能率が良いと、人をどんどん外に出してホームの混雑を回避できる。駅員の仕事が少し楽になるかも。

では利用者から見ると2列立ちはどうか。

どんな人でも待ち時間は短いに越したこと無いだろう。歩きたくない多数派の人にとって、2列なら待ち時間が半分近くになるかもしれない。良いことだ。しかし、歩きたい人にとっては選択肢を奪われることになる。

(「他人に危険の及びかねない選択肢なんて無くていいだろ!」については同意だし、それは前段で述べたとおりなので、ここでは"危険"の観点以外を考える)

全体の最大幸福は高まる。が、少数派の好み、選択の自由は消えて、多数派の得に飲み込まれる功利主義っぽい方針といえる。

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混んでる想定でイメージしてきたが、空いてるときはどうか。

多数派の得(=待ち時間が減る)も、都会のラッシュ時などギュウギュウに混んでいる時こそ大きく差が出ようが、空けば空くほど差はなくなっていくと予想できる。

たとえば、待ち列ナシ、1段おきくらいで1人ずつ立って乗ってるのを想像する。そこに、歩きたいナアと思ってる人が来た。立ってる人がみんな片側に寄っていれば歩くという選択ができるが、それぞれバラバラに乗っていたら大人しく立つしかない。立ってる人にとってはどっちでも大差ないはずなので、バラバラの時は全体幸福和すら下がっている。

ちなみに「歩きたいナア」という少数派の考え自体を、教育の時点からしっかり撲滅するならば、なにも問題なくなる。

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つぎ、ルールについて。

割と最近は、「2列で立つのが正しい乗り方ですよ!!!」という掲示がエスカレーターの近くに貼ってあることも多い。デカイ物も多い。だが、みんな目に入っても脳が認識してないのか、理解して破ってるのかわからないが、2列立ちしている光景は少ない。ルールが明示されていて、それを破るのが当然になってるとしたらまあまあ不健康な話だね。きっちり明示されてる以上従って当然、の流れになったほうが個人的には気持ちが良い。

連想するのは信号無視の話。赤は止まれという絶対的なルールがある。では交差点で車の気配が全然ないとき、歩行者信号の赤で止まらなくてはいけないか? 止まってるのを思考停止と揶揄する声もある。近くに子供がいたらどうか? 子供はいつ自己判断を学ぶのか? ……というように、ルールが明らかでも厳守すべきかは揺れてるケースは他にもある。おれはこっちの話だと、渡っちゃって良い派なんだよなあ。

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つぎ、怒りについて。

ルールを目にしても2列にならないのは、2列で立ってるとそれはそれでトラブルに巻き込まれるリスクがあるからだ。エスカレーターは歩けて当然!と思ってる過激な人にブチギレられたくないから。舌打ちも嫌だし、無理に押しのけてきたらもっとやだ。そんな自己主張でキレてくるやついたらかないませんわ。こわいこわい。

しかし、もし仮に自分が、エスカレーターは歩けて当然!と思ってる人間だとすれば、歩こうとした時に1人逆側に立ってるやつがいたら、おれをじゃまするんじゃねえと腹が立つ気持ちは想像できる。

「その"当然!"ってほんとに当然ですかねえ?」ってその場で議論できればいいかもしれないが、駅なりデパートなりで見ず知らずと社会常識を議論する暇人なんていないわな。

そんで運営側がルール掲示しても変わらないのだから、もう世論的なムード・イメージで押し合いへし合いするしか無いっすかねえ……

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つぎ、嗤いについて。

前段のように、歩きたいやつの中には、2列立ちのやつをイライラして見てるやつがいるかもしれない。逆に、立ち乗りのやつが歩いてるのやつをバカにするパターンも一部ある。「いい大人がバタバタしててダサい」的なやつだ。

誰が何をダサいと感じるのも自由なのだが、人の価値観を指差して嗤うのはおれは結構キツいものを感じる。他人の選択を自分の価値観でむやみに見下さず、それが是となる価値観を想像してみるのが大人じゃないすかねえ、さもなくばほっといたれや、つうのがおれ個人の考え方である。

(繰り返すが、最初に言ったとおり、「周りに危険が及ぶかも」の視点を入れたらこんな悠長な意見一発でふっ飛ぶ。リマインダー。)

脱線するが、おれは歩くのが早い。以前友人(同年齢同性)にそれを話題にされた時「もっとゆったり、マイペースに行こうや」と言われたのだが、おれにとって一番心地良いmy paceは結構早いのだ。階段も1段ずつ登ると逆に疲れるので飛ばしていく。そのへんは人それぞれの適正がある。もちろん、2人以上で歩く時はmyは捨ててourを考えるべきだが……

さらに脱線するけど、よく飯屋の行列とか嗤う人もいるが、「行列がどのくらいの負担になり、見返りに何が得られるか」もそれぞれなので、反射的に行列に並ぶ人をけなすのもエーっとなる。精々「おれは絶対並ばねーけどな!」がいいとこだろう。

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最後、実際変わりようあるのかについて。

2列立ちにしようぜ、という声が民間利用者の間でも、駅やデパートの運営側掲示でも、じわじわ見られるようになってきたようには思う。では実際そうなるのか? なる際に痛みを伴うのか?

直感で言えば、まだまだ難しいよね。エスカレーター前にスタッフが張り付いて2列に誘導していくという力技には効果がありそうだ。でもたとえば駅なんかだと、電車遅延とか程度で駅員にキレてるオッサンとか見ると、駅員にこれ以上負担かけたくない!と思う。

(関係ないんだけど、トラブル起こした人を駅が出禁にできたら面白いよな。個人飲食店とかだと出禁になってもヨソに行くだけだけど、ピンポイントでこの駅出禁ですってなったら超困るし、憂さ晴らしで適当にキレる人減りそう。出禁の実現性はないけど……)

あと、さあ今日から2列立ちが絶対ルールです!ってなったとして、1人で空いてるエスカレーターを目の前にした時どこに立つ? 多分みんな、今まで通りの片側に寄って立っちゃうんじゃないかな。わざわざ逆側とか真ん中に立つモチベーションもないでしょう。混んでないエスカレーターにて今まで通り片側に寄って利用する光景が溢れてたら、慣れが勝っちゃって、他の場面でも世の中パッと変わらない気がする。

世論として「歩く人を白い目で見るムード」が醸成されても、そういう同調圧力って無害な人から順に効いていく。舌打ちやブチギレの人には届かなかったりするからつらいよね。

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そんなようなことをエスカレーターについて考えた。

でもね、おれはエスカレーターのマナーは比較的どうでもよい。おれは傘のほうが気になる。雨水、あるいは泥のついてるかもしれんものを電車で人の膝にぶつけたり、雑踏での持ち運びでは閉じていれば前後に振り回すし、開いていれば骨の先がすれ違う人の目に当たることとか気にしていない。歩き煙草もびっくりの危険性だよ。

やばいよ傘。人類には早すぎる。平均的な人間の注意力では扱いきれないよあれ。傘というデザインが都会に向いてなすぎる。人類が成長するのは無理だから、道具が変わる方向でどうにかならんかねえー。むずいね。みんないっしょに地下帝国に住もう。

おわり

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