日記221108 (月食の話)

 月食はおもしろい。
 「月の満ち欠けは不連続点をまっすぐ結んだ時に中心を必ず通る」みたいな小学校の知識を以てじっさい目の当たりにしてみるとやっぱ不自然でキモくておもしろい。7割くらい明るい状態が一番ヘン。めちゃめちゃ自然現象なのに不自然なときってやっぱおもろい。最近は雨もたいして降らず月は毎夜ギンギンで、この時期にちょうど見られてよかった。

 そして少し外に出てみると道端で、公園で、店前で、駅前で空を見上げてる人がいるわいるわ。それもあまり見ることじゃないのでおもろい。スクランブル交差点でオーロラビジョンの映す新作ソシャゲのCMを見上げているのではないし、押上で634mある塔の特別なライトアップを見上げてるのでもなく、なんかちっちぇー丸の形が歪んだりもやがかったり赤暗くなったりしてるだけだ。人為でないものに大衆が一斉に目を向け、向けている人がまあまあ悪い気はしてないなんていうことはレアすぎる。

 月食を科学的に検証して、名前を与えて記号化したのは人類の文化の素晴らしさだが、それらがなくてもあの空にある丸は変形・変色するのだ。
 人が文化的に作り上げたものはすばらしい、金ローをSNSで実況するのだっていいのだが、99.999%は"そう"だから、違うパターンが来るとウキウキする。

 花を見てかわいいと思ったり、色をみて美しいと思ったり、冬の朝特有の匂いを感じたり、そういうことってとてもプライベートでそれぞれの感覚だ。なのに月は唯一で、大衆が1つのものをみているのでおもろい。
 次点で花見かな、桜は"1つのもの"ではないけど。観光地の景色とかは観光客しかアクセスできない。富士山は1つだけどただ存在している感が強くて、"出来事"感が薄い。初日の出も結構いいが、正月って色々ありすぎて主役になりにくいんだよな。

 まあレアならば見ないと損とか、みんな見てるから俺も見ようとか、ニュースでやってたとか、結局人為に煽られてるにすぎない人が大半と言えなくもないが、創作者や権利者が主体的に発生させたものではないってだけで十分うれしくなるな。月食への注目がだれかに回収されない。間接的に得を生み出す人がいようとも乗っかりだし些細なことだ。
 バズとか仕掛けとか、芸能やスキャンダルやマニフェストに関わらないことを大衆がぼんやりとみつめている。稀ですねえ。LINEで写真を送信したり、明日のオフィスでの話題にしようとしてるだけでもいい。それでもまあなんか見てる。丸の色が変わったり形が変わったりすることを。感嘆の声を漏らしたりする人もいる。

 ふだんそんなそぶりわからないよ、葉っぱがこの小ささをしていてなぜかうれしいとか、この音が思ったよりちょっと右寄りから聴こえたことがうれしいとか、そういうプライベートな感覚は共感不可能なはずだったでしょう、よっぽど家族・身内とかマニア同士を除いては。
 でも実はみんなこういうのを、煽られずともぼんやり見たりするんだな。色や形や光が変わることに心がわずかでも動くんだな。心を動かす装置として設計されたわけじゃないものに。

 これはあまりに大衆不信というか、まあ理屈のうえでは人間はそんなに冷たくないでしょう、と思ってはいるけど、理屈でなくそこらの道端に展開され実感できることがとてもうれしい。愉快でした。

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