Abletonのパラ書き出しで何が起きるのか

 Ableton の細かい話は以下にまとめてます。


はじめに

 Export Audio (Rendering) 時には、書き出す対象のトラックが選べる。普通は Master トラックを書き出すし、場合によっては個別の1トラックのみを書き出すだろう。
 そこに「個別のトラックすべて (All Individual Tracks)」「選択されているトラックのみ (Selected Tracks Only)」選択肢が数年前に追加された。

 これを使うと、パラデータやステムを書き出さなきゃいけない時に便利そうだ。「Mixdown をスタジオの Pro Tools でやるから、Ableton からはパラをオーディオファイルに書き出しておこう」なんて時。
 しかし、挙動をちゃんと把握できていないと不安になる。複数トラックの一斉書き出しをし (て、あとで足し合わせ) たときと、Master 書き出ししたときで差は出るのか?
 オプションの挙動もふくめてさらってみよう。

 あとこの記事のサビは、最終段落「リターン/マスターエフェクトを含める」についての検証です。


ミキサーセクションの設定は反映される

 つまり、トラックのボリューム、パン、ミュート、ソロなどはすべて有効な状態。よかった〜
 Audio Input Channel 設定で見かける "Post Mixer" と同じ状態になっていると考えればいい。


ノーマライズなどのオプションは個別に反映される

 Rendering Option のひとつである Normalize をオンで書き出した場合、デカいトラックもちっちゃいトラックも全て個別に Peak 0 dBFS までボリュームアップして書き出される。

 裏を返せば、全トラックが Peak 0 dBFS になるので、トラックごとの音量バランスはわからなくなる (一番デカいトラックのノーマライズ変動量に合わせて全トラックが調整されるしくみではない)。

 ほかの Rendering Option (Render as Loop, Convert to Mono etc…) も、書き出されるファイル個別に適用される。


Render as Loop ってなんだっけ

 Rendering Option の Loop とは、「書き出し指定区間と同じ長さぶんの余韻を録り、本来の書き出し分にミックスする」機能だ。どういうこと?

 例えば、プチっと1発だけ鳴らした音に強めに Delay をかけてみる。
 下図青クリップが実際鳴らした音……つまり Loop Offで書き出した音で、最初の1小節でプチッは3回鳴っている。

 いっぽう、最初の1小節を Loop On で書き出したのが上図オレンジ。プチッが6回鳴っているようだ。
 青の2、3小節目をコピーして水色で縦に並べてみた。すると「青の1小節目 + 青の2小節目 = オレンジの1小節」だとわかる。3小節目以降は無視されている。

 書き出し指定区間が1小節でも、実際は2小節分の音を録っていたことがわかる。2倍なので、指定が8小節なら裏では16小節。1時間指定したら2時間録るのかな……? (そうだとしても、無音区間の計算は爆速で終わる)

 注意点として、この2小節ぶんが重なるのは「クリップが終わっても残ってる余韻」だけだ。つまり Delay や Reverb などのエフェクトや、Instrument の「弾き終わってもまだ鳴り残ってる余韻 (Release Time)」だけで、指定区間外にほかのクリップがあっても関係ない。


サイドチェインエフェクトは反映される

 Compressor などが持っているサイドチェイン機能も、うまくかかった状態で書き出すことができる。問題なし!
 たとえばベースにキックからサイドチェインコンプをかけているとしたら、ふつうにベースにダッキング効果がかかったファイルが出る。「ベースは書き出すがキックは書き出さない」時でも大丈夫。


Master にかけたエフェクトは"原則"無視される

 各トラックの書き出しは Master より手前の時点で行われるので、Master に挿しているものは反映されない。

 Master にエフェクトを置くシチュエーションはいろいろありうる。しっかり味付け意図での EQ や  Comp。演出としてテープシミュレータを置いたり、曲全体にフィルターや派手なスタッターをかけて展開を作ることもあるよね。
 また、Master 自体のボリュームも反映されないので、Master ボリュームで曲終わりのフェードアウト書いたりしてても無視される。

 無視させない方法もある。書き出す時に「リターン/マスターエフェクトを含める (Include Return and Master Effects)」をオンにすればよい。良い点と悪い点がある。後述する。


Group にかけたエフェクトも原則無視される

 Master エフェクトとほぼ同じと考えて良い。

 Group を作っている時……たとえば上図で「個別のトラックすべて」を書き出すと、3つの個別 Instrument トラックと、Group ひとつ、そして Master トラックひとつの計5ファイルが書き出される。

 ふつう、トラックの出力先は Master だが、Group に入れると自動で Group バスに変更される。だが、Group バスよりも手前時点の音が書き出されるので、Group バスのエフェクトやミキサー設定は関係ない。
 ちなみにこの時書き出される "Group のファイル" は「Group エフェクトは反映されるが Master エフェクトは無視された」状態となる。

 これも「リターン/マスターエフェクトを含める」で解決できたりできなかったりする。後述。


Bus として使うオーディオトラックにかけた〜(略)

 しつこいけど、Master や Group と同じ。
 何の話かというと、各トラックの出力先はふつうは Master 直行になっているが、別のトラックを経由することもできる。

 上図でいえば、KICK と SNARE は Master に直で送らず、一旦 DRUM BUS トラックへ送っている。ただのオーディオトラックをミックス場所として使うやり方だ。
 まあ、Group と用途はほぼ一緒。いちいち手動で出力先を設定しなきゃいけないかわりに、Group と違って離れた位置にあるトラックもまとめられるのがいいね。

 KICK → DRUM BUS → Master と信号が流れるわけなので、DRUM BUS にエフェクトを挿していたら、KICK の音色が変わる。しかし、書き出すと DRUM BUS より手前の信号が記録されるので、エフェクトがかからない。
 「リターン/マスターエフェクトを含める」の影響があるのも Group や Master と同じ。


Send トラックは"原則"別トラック扱いになる

 簡単な例だと上図のように、クラップとスナップを重ねて、それぞれからSend トラックのリバーブに送っているとしよう。
 このとき、クラップをソロにして再生しても、「パ!」という元音に「ァアーーーン……」というリバーブが加わって聴こえる。

(SNAP の[3]は消えるけど、Reverb の [A] は黄色く光ったままなのに注目……)

 ここで「個別のトラックすべて」を書き出すと、CLAP, SNAP, A Reverb, Master の4トラックが書き出される。
 CLAP のファイルを聴いてみると、ソロ再生の時とは異なり「パ!」だけが聴こえる。
 Reverb のファイルを聴いてみると「ァアーーーン……」と、スナップから送ってた分の「ィイーーーン……」が混ざって、残響の合計だけが聴こえる。

 理屈はわかるよね。実際 CLAP, SNAP, A Reverb, Master の4トラックがあるんだから、4トラックのファイルが書き出されるだけだ。

 でもこれが嫌なときもある。パラデータ書き出して Mixdown やり直すとき、あとでクラップの音量だけ下げるかもしれないのに、A Reverb ファイルにおける「ァアーーーン……」と「ィイーーーン……」の音量バランスはもう変えられないからだ。
 (まあ「Mixdown 時に改めてリバーブかけろよ」とか、「積極的な音作りの範疇なら、センドじゃなくてインサートでリバーブかけろよ」とかありますが……)

 クラップ、スナップそれぞれをソロ再生したときと同じように、「パァアーーーン」と「キィイーーーン」として書き出してほしい……
 そんな時はまたまた登場、「リターン/マスターエフェクトを含める」をオンにすればOK。


「リターン/マスターエフェクトを含める」で原則を回避 / その正体と落とし穴

 さて、ずっと登場してきた「リターン/マスターエフェクトを含める」とはなんなのか。

用途

 書いてきたとおり、「個別のトラックを書き出すうえで、Send や Master、Group や Bus の音作りまで含めて "そのトラック" として扱って」くれるものだ。
 もっと言えば、「書き出しファイルが、そのトラックをソロ再生するときと一致する」と思ってもらえれば良い。


書き出されるファイル

 オフのまま「個別のトラックすべて」を書き出すと、全トラック……つまりSend も Master も個別のファイルとして書き出される。
 オンだと、Send と Master のファイルは書き出されない。その他のトラックと、Group は書き出される。
 ま、細かいことっすね。


中でどういう処理が起きている?

 たとえば、6トラックの曲の1〜64小節を、「個別のトラックすべて」書き出すとしよう。

 オフだと、1小節目を6トラックすべて一気にファイル化して、次は2小節目目……64小節目 と同時に書き出されている (ように見える。多分)。

 こうすると、信号の受け渡し……バス入出力やサイドチェインなど、一周で終わらせることができる。多分。

***

 オンだと、まず1トラック目のソロを1〜64小節書き出す。終わったら2トラック目を……そして6トラック目を書き出して完成。

 こうしないと、Bus や Send エフェクトを正しく処理することができない。たとえば本来 Master エフェクトは、6トラック混ぜ終わったあとの信号に一回かければ OK だった。しかし個々のトラックに "マスターエフェクトを含める" ためには、6トラック混ぜる前の個別の音に Master エフェクトをかけなくてはいけない。
 オフなら1回で済む処理が、オンでは6回計算する必要があるのだ。ゆえに書き出し速度も遅くなる。


どんなデメリットがあるか

 メリットは今まで書いてきた ("原則" がイヤなときに解決できる) ので、最後にデメリットをまとめる。

 まず最も大事なことは、非線形処理を正しく処理できないことだ。
 非線形処理とは、f(x+y) ≠ f(x) + f(y) なものだ。具体的には歪みやコンプ類はすべてそう。「音を混ぜてから全体に効果をかける」と「個々に効果をかけてから音を混ぜる」が一致しない処理を言う。

 Compressor って、Threshold よりも大きな信号が入ってきた時に効くものだ。つまり「キックだけ・クラップだけ鳴らした時には Threshold 未満だけど、両方同時に鳴らしたら Threshold を超える」ことがある。
 そんなコンプを Master に置いて、「リターン/マスターエフェクトを含め」てトラック別に書き出したら、キックもクラップもコンプを通るのに音が変化しない。
 「混ぜて (同時に鳴らして) から→コンプを通して書き出したもの」はコンプの効果があるのに、「(個々に) コンプを通して書き出してから→混ぜたもの」 はコンプの効果がない。つまり、制作時の意図と書き出しファイルが一致しないのだ。

 コンプぐらいならまだいいが、音作りにも関わる強烈なシェイピング……OTT や Saturator, Amp Simulator などでは音色もガッツリ変わりかねない。Group や Master にはかけず、個別トラック内でのみ使うぶんには大丈夫だが。
 他にも、アナログシミュレーション要素のあるエフェクトは隠し味のようにサチュレーションが挟まっていたりもするので注意。

 逆に、線形処理って何かというと、単純な EQ なら「2つのトラックを混ぜてからローカットし」ても、「2つのトラックをローカットしてから混ぜ」ても同じことだ。
 遅延器で作るエフェクトは大体線形。フィルターやディレイ、コーラスにフェイザー。単純なやつはね。


 また、うっすら小さくノイズを垂れ流し続けることで実機感出してるテープエコーなんかも危険。
 Send に置いてあるだけでも、6トラックそれぞれにエコー1個分のノイズが乗り、トータルで見ればエコー6個分のノイズが発生する。うっすらノイズのつもりが6倍の音量になる。これが6でなく100トラックの曲だったら……?


 アナログといえばランダム要素もそうだ。
 ランダムにタイミングをズラす M4L で生成する MIDI ノートを複数の Insturment に送るなんて場合、オフなら全トラックが1周で書き出されるのでそれらのタイミングは揃う。しかしオンだと6周するわけなので、1周目と2周目のランダム結果は当然変わってくる。

 ランダムでなくてもフリーラン LFO もあやうい。
 たとえば3つのシンセパッド音を Group 化してまとめて Auto Pan をかける。3つのシンセの左右の位置はつねに同じになるはずだ。
 で、Rate がテンポシンクしてる時は毎回結果が一緒なのでいいのだが、Hz 表示のときは結果が一致しない。ゆえに6周かけて書き出すと、1周目と2周目でもう左右の位置が異なるので、3つのシンセはバラバラに広がってしまう。
 近年のフィル作りで見る「Auto Pan を Phase 0 かつ Sync off でトレモロにして、Group にかけて、Rate にオートメーション書いて減速させる」的なやつは、減速しきった時に Group 内の波打ち位相がバラバラになりかねない。パラ化前にバウンスしておくこと。

 ていうか大きく結果の変わりうる不定・ランダム要素は、「リターン/マスターエフェクトを含める」とか関係なく、書き出し前にフリーズしといたほうがいいよ。


 以上のように、「リターン/マスターエフェクトを含める」は便利な反面、トータルで見れば Ableton 上とは異なる結果が書き出されうる。
 これは不具合とかバグじゃなくて、そもそもムチャを言ってるから仕方ないんだ。一度混ぜたコーヒー牛乳を、あとから完全にコーヒーと牛乳に分離することはできない。

 とはいえやっぱ便利な場面もある。せっかくオンとオフ選べるようにしてもらってるので、デメリットが問題なさそうな場面ならガンガン活用していきたいね。


投げ銭いただけたら、執筆頻度が上がるかもしれません