日記221121 (理想実現欲のコントロール)

 手頃なトレーが欲しいだけなんです。コーヒーサーバとソーサーが乗る程度、あるいは小皿がもう一つ乗るくらい。えーとだから17×25くらいのイメージか。30あってもいいな。大きすぎても邪魔だが、短辺15はほしい。楕円や多角形はうれしく、長方形でもまあいいが、正円/正方形は邪魔だ。素材は木を考えている。フェルトや布など重みで曲がってはダメで、物を運べる方がよい。紙は腐る。金属は家具を傷つける。じゃあまあ木製かな、となる。色はウォルナットぐらい濃く深いと良い。そして塗装合板だと表面と断面の色が違ってキモい。単色がいい。見える位置にロゴがあるのは勘弁してほしい。フチは川原の土手みたいな形状というか、引っ張ったS字というか、音楽でいうなら Knee のある非線形歪み (Soft Clip) みたいな形状というか、あの、面レベルと辺レベルがゆるやかに繋がれてるタイプのフチがどうにも嫌で、断面に微分不可能な折れ点を作っていただくか(垂直壁でもいい)、辺レベルまで上がってきた時に水平になろうとしないでもらうか、もはや盆型でなく板でもいいのかもしれない。

 それだけ、それだけなんだ。ワガママ言っているか!? そんなもの、そこらに無限にあるんじゃないのか? これが全然無いわけだ。あっちの雑貨屋、こっちの量販店にはなく、Amazon や楽天の写真に期待をかけられない。ああ大手にないならばどこかリサイクルショップなどで無名なブランドのユーズドを多少のキズ込みで拾えないかしら……


 ひとつひとつは強い要望じゃなくても、こんなにチェックポイントが多ければかなり厳しいこだわりになる。これがワガママでなくてなんなんだ。しかし機能のための買い物ならともかく、トレーなんてなくてもさして不便なく生活できる。少なくともルックへのこだわりはいらない。

 それでも自分だけの生活空間に、自分がしっくりきてない物品を自分が導入して生活するのはキモい。すべてのインストールに納得とフィットを伴いたい。わざわざトレーを欲しがるなら。ユニクロ以外の服を欲しがるなら。1000円カットでない美容院に行くなら。コンビニ飯以外のカロリーを、完全食以外の栄養を……

 "必要"に対する余剰のコントロール・自主性って幸せじゃないっすか。音楽なんて聴かなくても死にませんよ。そのプラスアルファが、余裕が、豊かさが、ゆとりが、ていねいさがさあ。"ていねいな暮らし"は粗雑な生き方を見下してんじゃないっすよ。フェミニストを全員ミサンドリストだと思ったり、環境活動家を全員絵画汚し屋さんだと思ったりする"定義"は個々人レベルでは可能だけど、そう血気立ってどうするのよ (血気立たないと自分の生活や大切なものをクリティカルに守れない状況の人が少数いることも理解しています)。


 自己弁護が過ぎたな。では、脳内に存在する"理想のウォルナットのトレー"が見つからない間、おれはコーヒーを淹れながら、「あーあ、コーヒーサーバもコースターも気にいるものが見つけられたのにどうしても最後の一ピースが足りないのよな」と、得たものよりも足りないものに思いを馳せてしまう。それは不幸だ。果てしない欲だ。足るを知らなければならない。目の前に提示される不足、これへの解釈をひん曲げなくてはいけない。

対策はいくつかある。

  1. 現状を最高に肯定すること

  2. 理想を求めてひたすら彷徨うこと

  3. 理想を他者に求めず自ら実現してしまうこと

  4. 理想に匹敵する別アイデアを考案すること

 1がもっともローコストだが、難度はあるし、それができて得られる気持ちって予想がついてしまう。負を零に寄せられるが、正を期待しづらい。

 それで、2ばかりをやってしまう。これはいたずらに時間と体力を消耗する、暇人にしかとれない択で、現実には「2を諦めて、うやむやのうちに1になったつもりでいるけど、じつは納得には至ってない」シチュエーションが多くなってくる。
 ただ、2は運良くブチ当てた時の脳内麻薬がヤバいのでクセになってしまう。欲求の具体性にもよるが、モノによってはそんなに難度高くもなかったりするのがまたいやらしくおれを惹きつける。

 「そうまでして、理想を実現したいなら、自分で作ったり、発注しちゃえよ」が3。YouTuber とか見てて自分の着たい服のブランドをローンチ!みたいの見るとわりと素直にカッケーな、と思うのであった。インフルエンサーが若者騙して儲けるためにやってる価格帯じゃねーだろこれ、みたいのあるじゃん。目的に対する行動がまっすぐじゃん。ブランド化して第三者に売る必要は無いっちゃないけど、また別の話としてそれやったほうが全体善につながるんでやっぱカッケーな、と思うのであった。
 ちなみにおれが音楽作ってるのはこれである。規模は屁みたいなもんだけど。で、やっぱそこに全知識と経験傾けるぞ!って意気込みがあるからできるんであって、逆に多分野に展開できるほどの体力が無いってことなんだけど、じゃあトレーを作るにはどうしたらいいか、知識なのか、金なのか、人脈なのか。いろんなルートがあるが、少なくとも今どれも手にしていないので、労を想像して日和っている。これが一番カッケーくないところだ。やれよ。そこまでほしいならよ。

 で、4は一番バランスが良い。凝り固まった"理想"と別の角度を模索して、素直に肯定できるといいよねってことだ。納得領域を拡張するって意味では1と同じだが、自分と向き合って心を入れ替えないといけない1と違い、4はまた別の外部刺激による心変わりを期待するので、また別の運を伴うぶん心理障壁は低い。なんとかなりそう。「思ってたのと違うけど、これもいいよね」だ。
 ある意味では妥協だが、何のサゲも無く代替が見つかってテンションキープ、むしろテンアゲすることは全然ありうる。この感覚はより広い知見だったりセンスを要する。このサーバーとコースターとコーヒーカップに合うのはこういうトレーだろう、という解①にたどりついたおれに対して、別解②、③を導くのはハイレベルな話になる。

 つうことで、街をふらついては2を続行しつつ、4をひらめくためにpinterest とか見てるわけです。おれは。


 しかし4は元から持っている知見やセンスによってもそうだけど、ピンとくるアイデアに"遭遇する"ことでも実現できる。入った雑貨屋に"理想のウォルナットのトレー"がなくても、いや、むしろ全然違うんだけど、手持ちのアイテムと合わせることを想像してみたらなるほどこれはこれでイケるぞ、という発想が、それそのものと遭遇することで生まれることがある。そうしたらあとは買って帰るだけだ。

 で、やっとトレーの話終わって音楽の話に入るんすけど、おれが音楽つくんの遅いのはめっっっちゃめちゃ2野郎だからなんですね。たとえば「ドラムが組めた。コード敷いた。リフを乗せた。この3つに合うベースの音色ってどれだ……?」で一生迷う。何を選んでもどれかとそぐわない気がしてしまう。それでず〜〜っとプリセットをめぐっている。または「曲がもう9.5割できた!あとは細かいところの不足感を補って……」から0.5に合うピースが一生見つからなくて完成しない。20万個の wav が入ったフォルダを開いてどれを置いてもフィット感がない。

 「すべてを決め打つのではなく、偶然生まれたフレーズや音色をどんどん活用していこう!じゃないと脳内をそのまま抽出するだけなんて作業としてつまんないでしょ?」っていう人の存在もわかる。おれも曲の主軸を決める時にソレはできるんだ。でも後半になるにしたがってそういう4タイプの納得は見つけにくくなっていく。3割できたところに足すピース選択の難度と、9割できたところに足すピースの難度は、バランスを取らなきゃいけない相手が3倍に増えているので、難度3乗ではないか。なりたくて頑固なんじゃないんだけどな。むずいし、全部不正解に思えてくる。


 えーと、何の話だっけ……? まあいいや。トレーも見つかんないし、部屋の照明もしっくりこなくて通販とクーリングオフを繰り返しまくってるし、掛け布団カバーの色すらも毎日「しっくりこねえなあ」って言ってる。まあそうやって満足を求めて、欲を原動力に行動したりしなかったりするのが生活なんじゃないですかあ? 知らんけど。ただその不満の量も適度にコントロールできるよう、項目数が増えてきたら適宜解消できるような手段を用意しましょう。ってあたりが着地になるか。

 これなんの話してる記事なんだ??? ただの日記でした。

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