日記231217 (奇数・偶数性)

 クラブミュージックの奇数・偶数性のことをよく考える。特に裏取り検証などしてない、アカデミックに先行研究があるのかもまったく見てない、きわめて個人的なフィーリングの話に終始するのでとりあえず日記として書いてる。

 めちゃめちゃ単純なところを取り上げれば、ループミュージックにおいては、反復とは「もう一度繰り返す」だ。つまり2回。2x2で4回。2^nで基本構成ができる。3回は2^nで作ることができず、足し算か引き算を必要とする。
 ある単位のbeatを2^2回反復すると、4beatすなわち4つ打ちとなる。これを1barとして、1barから見れば4分割(2^-2倍)が1beatとなる。2分割して位相を180度(基本単位の2^-1倍分)ずらすとバックビートであり、クラップなどを置く。

 全体構造からドラムピースごとのパターンまで、2^N要素だけでフラクタルに構造展開していけば非常にミニマルな基本構造……おそらくは単純で面白みのないものが出来上がる (音響始点のアプローチは一旦おいておくとして)。
 2^Nルールに基づいてすべてのon/offを配置していくだけでは物足りず、もっと自由に好きな位置に音符や、音符の終わりや、パートの抜き差しなどを含めることができる。3回の反復は、2^1 + 1とも2^2 - 1とも捉えられて、その±1の存在が2^Nにもう一歩の深さを足してくれる。これをおれは奇数的な要素、奇数のフィールとしている。

 さらに音程なら12平均律のデジタルな扱いだけに絞ってももっと幅があるし、なだらかなエクスプレッションやマイクロタイミングを盛り込むことはスイッチ的に解釈できる概念とは次元が異なる。

 2^Nではない要素を盛り込んでいくときに、それらがどう2^Nを裏切る力を持っているかは異なる。たとえば、付点8分のリフフレージングや、16分のシンコペーションは、楽譜的なパターンの大枠を維持しながらも、2^Nに対しては比較的強めに逆行することができる (奇数のフィール)。ポップスのサビの終わりに一小節が追加挿入されるのを奇数的だと感じ、4x4 garageのドロップの1小節目にキックが無くてもドロップ全体が8n小節になっているならそこまで奇数的ではない。
 そういった大小さまざまな要素が、ひとつの楽曲のアレンジメントには沢山積み重なっていく。完成形を聴いたときに、総堆積量が大きいと、奇数性を感じる。

 2^Nか、それから遠ざかるかを奇数偶数で言うのって数学としてはキモイんだけど他にしっくりくる言葉がないのでとりあえずそう言っている。3/8 = 6/16であるように、単位の取り方によって2^±1倍することの可換性が感覚上はある。「素因数に奇数を持つ」の省略だと思ってほしい。

 一方、デジタルな格子点外の要素 (マイクロタイミング然りピッチの訛り然り) が沢山堆積すると「有機的」だな、と感じる。あるパートを5msトラックディレイさせることは音符的な世界観とは異なるエッセンスを加えてくれるが、単体ではそう大きな変化を感じさせるものでもない。これも完全な2^N構造とは距離を持ちうる要素ではあるんだが、評価軸としてはまた別に感じている。すなわち、有機的偶数性や無機的奇数性も感じることは多々ある。ので今はあまり考えない。

 そういう感覚があるんだよな〜 という話がこの日記の前半。

 で、後半ではより実体験の話をちょぼちょぼとして終わるが、ミドルテンポ4つ打ちのクラブミュージックのクラシカルな形としては付点8分による程よい奇数性がバランスを取っているものが印象深い。リフパターンにせよディレイタイムにせよ。
 16分がイーブンでなく表裏の時間差が微妙にある時 (打ち込みで言うところのスウィング値のような)、付点8分はより有機的な複雑性をもつ。それはおれにとっては心地よい安定感であるため、安定して気持ちよくなったりするし、これを裏切る曲を刺激的でかっこよく感じたり、あるいは不快に感じたりする。

 一意に良し悪しで語れないのは、純粋な好き嫌いが要素に対してもあるからであって、「フェイクドロップは好きだけど、合計小節数の安定感まで奪われる2小節以下の挿入系は好きくない」「コードの切り替わりがシンコペーションするのは好きだけど、ドラムとかまで全体で同じ食い方で追従してくのはダサがち」とか、でもそれが逆に嬉しく感じる曲も時々あったりする。

 この話を考え始めたきっかけに Silvanian Families - What Do You Want がある。これはおれが同MALTINEから初めてEPを出す3ヶ月くらい前のリリースで、おれはクラブミュージックのことほぼ何もわかっていないながらも「コードスタブの付点8分パターンに4つ打ちのループを足せばなんかよくあるやつっぽくなるのか……?」と手探りしていたときに、この曲の最初の15秒の偶数性に衝撃を受けた。16秒からは付点8分のボイスチョップループが乗ってくるが、わりと全体通して偶数的な骨組を感じるし、何よりツカミの15秒で今に至る構造の捉え方が拡張された。

 全然話が変わるが最近UKG、特に2stepを色々聴いていて、比較したり自分でも作り試してみたりしている。過去にも書いたが「キックは身体を下に引く引力」ととらえていて、この配置が4つ打ちよりも不規則寄りにも関わらず、ミドルテンポのダンスミュージックとしてポピュラーに受け入れられている。スタート地点が1拍目表と3拍目裏だとして、2小節目でも1拍目表に置くのか?とか、3打/小節以上の細かい引力点を置くのか、しかも16分シンコペーションな位置に置いても良い。このリズムを奇数的にしていくアイデアは広げ放題である。
 それにかまけて不思議なリズムを強調していくのに突っ切る作品もおもしろいが、踊りやすさよりも「振り回される楽しさ」になりがちで、遊園地にいって常に絶叫系だけに乗り続けたいかというとそうでもない (富士急でひたすら平衡感覚をしばき続ける趣味の人が一定数いるのは知ってるけど)。一夜のパーティのDJプレイの一端を担うピースのひとつになるにはバランスの良さもまた美しい。

 ここでどう偶数性を奪還していくべき・調整余地のある要素や手法があるんだろう?と考えていて、ひとつの答えとして「きわめて機械的に裏打ちを続けるオープンハイハット」の存在はかなり踊りやすさをもたらしてくれる。
 でもそれだけじゃないよな……ドラムだけ聴くとかなり奇数性の高く、周期性の薄い振り切った作りになっているけど踊りやすい曲とか (先日ARKUDAから出たHitch.93氏のEPよかった)、測ればちゃんとハネてるドラム+裏打ちOHでシャキシャキした音像なのになんかベタベタして心が踊らない曲があって、なんなんだろうこれは……と考えるのが最近面白い。マイクロタイミングやキックディケイの長さによるグルーヴの話、よりも手前で、組み合わせるシンセ側のパターンの問題が結構強かったりするんじゃないか?あたりを今考え始めてる。


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