しょうもない日記210225-26
今日は「昨日のプロテインシェイカー爆発事件」「お片付け」「それを通して考えたこと2つ」を書きます。
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昨日こういうことがあったんすわ。
いやーひどいもんだった…… 早朝から出社して昼下がりには帰宅して、ちょっと腹を満たしてから喫茶店でも行って夜まで作業するか……っていう、体力管理とスケジュールが脳内でキマってた日だったのね。それがもう数時間片付けですよ……
正直、「うっかりミスで、プロテインシェイカー爆発」ってネタ性があまりにも高い(あと、プロテイン→筋トレ→脳筋→バカ な語の印象グループに属する)せいでしょ〜もない話の印象があるけど、原因から目をそらして被害だけ見ると……
この、右側の本を立ててた区画がですね(これは去年の写真で、昨日は本が2倍くらい並んでた)、
こうなり……
そして本が……
くっつきまくって……
後ろに見える『山になったオカダダ』とか、あと今入手難しいZINEなんかはけっこう無事でよかった。
あと服とラグがびしゃびしゃになり、健康器具なんかがイカれたと。
事故直後は数秒フリーズしたけど、当然自分のミス由来ということもあってそっから粛々と片付けが始まった。他人のせいだったらなんもかんも放り投げて寝てたかもしれない。行動したおれは偉い。
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服やクッション、ハンカチなどの布系
→洗剤を溶かした湯に叩き込んでおき、おちついたらもみ洗い
→翌日見てみたらほぼ綺麗になった
壁紙
→Twitterでぱうひろさんにアドバイスもらったとおり、重曹湯で湿らせたタオルでけっこうゴシゴシこすった
→事故以前よりキレイになり、また腕がめっちゃ疲れた
木の机や金属の家具
→まあ拭けばとれるでしょと思ったら、プロテインと豆乳の粘性なのか、意外と一筋縄ではいかない。
→力強く拭き、乾いてまだ跡が見えたら拭き直し、を繰り返す
玩具楽器
→木製玩具にがっつり跡が残った。あきらめ。
ラグ
→重曹湯のスプレー塗布からの水拭き
→跡は残るは毛並みはパリパリだわで、諦めて買い直した。もともと椅子のキャスターでぶっ潰れることを想定してうっすい安物にしてたので、大きな損害にはならず。
健康器具
→だいたい拭いてどうにかなったけど、ヨガマットなんかは拭く労力より注文したほうが総合的に得。
本
→これがつらい。まず雑誌のバックナンバーはこの機に廃棄を決めて、しかし新品で買った本たち、古本屋をめぐって集めた本たちが……まだ読んでないやつを本棚から出してここに並べてたのよ!
→シミはある程度とれるし、漂白剤を使ったケアも今後やっていこうと思ってるけど、ページ同士のくっつきを開くためにページ端が破れたりした。見開き裁ち落としで写真の広がるページの端が白く破れるの最悪じゃない?
(その後、古書店でバイトしてる某氏が助けに来てくれて、くっついたページを開くのにちゃんと薄い料理ナイフを使うこととか、乾かす時のたわみの回避方とか、非常に助かった。しかし当然、全く無傷というわけにはいかず、大半の本に取り返しのつかないダメージが残った。)
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で、この事件を経て気づいたことが2つあって、
まず、生活をビルドする上での柔軟性ね……丁寧にシステムと工夫を積み上げまくるほど、それが不完全になった時のショックがデカいという。デスク周りを自分の理想に近づける、それは見栄えであったり、ケーブルの取り回しなり、デッドスペースを消すなり、そういう自己満足をじっくり積み重ねていく性格の打たれ弱さをあらためて実感したな。
よく「Apple製品は箱から出した瞬間が完全体であるデザインコンセプトに見え、あとは傷なりで劣化していくばかり。だからプロダクトを所有することへの欲望としては、箱から出したくない笑」みたいな考え方がある。おれはMBPもiPhoneも意匠通りのカタチを保ってほしい欲望が低くて、ノーケース・傷上等!と思っていたんだけど……生活とともにある部屋だって日々変化していくものなのに、どうしてショックなんだろう?
自分で工夫して構築した、っていう思い入れの加点があるのかなー。正解を導き出せた快感を何度も咀嚼したいっていうか。これは、「自分の作った曲を自分で聴くか」の話にもつながる(おれはメチャメチャ聴くし、過去の自分の日記とかメチャメチャ読む。無駄すぎる)。
だから、津波とか豪雨浸水とかの災害で住居に多大な損害を受ける方がいらっしゃるけど、おれはそんなことになったらショック死するかもしんない。災害はプロテイン(笑)と違って周りからもシリアスに心配してもらえるだろうけどそんなこと以上に……「酷すぎていっそ諦めがつく」まで行けない気がするなー
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もう1つの気づいたことは、フィジカルの本への愛について。
あんまり愛書家ではない自覚……家の本棚・収納も小さいし、一年で何時間読書に費やしてるだろう?と思うと人並みより短いと思う。
だからこそなのか知らんが、電子じゃなくフィジカルで本を買う時は高い基準を設けていて、ただ情報の入ったメディアを入手する以上に、本が部屋にあるとはどういうことなのか、生活の中で目に入る・手に取れる・自室にあると意識されることによる正のフィードバックとは……みたいなイメージをする。
「本は本棚にあるだけで意味がある」は積読を正当化するジョークだけにとどまらない、って結構真剣に思ってるってことね。近視的実用性ばかり重視してる人にはこういうのって"オシャレ"として軽視されてるけど、まあそれぞれの価値観ってことで……
で、そうすると、本が汚れるってことに結構我慢がならなくて、さっきのApple製品の話の感覚が、おれは本に対してある。「部屋にあるものとしてのふさわしさ」が不完全さによって毀損される感覚が強い。古本の経年劣化は自然だけど、ミスによる大きな劣化は許せないというか。
これは本にインテリア的役割を求めているってのもそう(単純に本ってカッコよくね? こだわって作られたものは特に)なんだけど、それとは別に、焚書的タブー観の話もあって、本を大事にしないのって生理的に無理な感覚がある。
本を踏む、敷居を踏む、これらって損得勘定だけでいえばそんなに大した問題じゃないけど、なんらかの信仰的な抵抗がある。ゆえに、本が汚れてもう捨てるしかなかったり、たくさんの本の端に破れが残ってしまったことによる精神的ダメージがデカかった。
もう1つ、フィジカルの本が特別かなと思うのは古本文化で、自分も40年前に発行された古本を買って読んで人生に役立てたりしているわけだが、これは40年前の本を保管してきた人々がいるからだよね。なので、自分の今読んでいる本もいつか誰かの役に立つ可能性があって、社会の共有財産とも考えられる。今たまたまおれが金を払って家に置いているだけで。
なので、本を大きく劣化させるってことは、社会の財産を損なっている、未来の誰かが得るべき価値をサゲているって感じちゃうのだ。これがさらに精神的ダメージとして乗ってくる。
……という感じで、おれは汚れた本を前に予想以上にダメージを受け、これまで自覚していたより本のことを大切に思っていたんだなあーと認識を改めることが出来た。これはおれが、装丁やモノ感がわりと重視されるカテゴリである、絵本のコレクションをしているからより一層感じられたことかもしれない(今回の事故で絵本は無事でよかったね)。
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みんなは、プロテインシェイカーを振ることの危険性によく注意しようね。
注意一秒ケガ一生。以上です。
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