コーヒー独学ストラグル

 家でウマイ珈琲を飲みてぇ〜(いや、しかし……)の長くつまらんメモ

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 コーヒーが好きなので、自宅でも淹れて飲んでいる。
 毎日飲むものだから、味は可能な限り良く安定させたい。

 「コーヒー淹れよっと!→淹れて口に運ぶ」までの行動を最適化する。手間がかかりすぎる操作や運の要素はさておき、簡単にコントロールできる操作の組み合わせはベストを目指したい。

 が、それは意外と難しい。
 主に2つの問題がある。

①「淹れ方にチェックポイント(要素)がそもそも多い」
②「自分が"うまい"と判断し満足する基準が定量的でない」

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 コカ・コーラを買ってきて飲むなら大体「いつもの味」だ。でも、自分で淹れるコーヒーは手順が多くて味が安定しないということ。
 また例えば料理……ハンバーグの塩加減とソースの味をキメるよりは、コーヒーはいささか繊細といえるだろう。
(ハンバーグソースだって繊細な味なのだが、技術的な再現安定性や操作手順の分岐選択肢数を思うと、比較的粗いんじゃ?ということ。いや、自宅レベルの話でね……)

 自ら選択する要素が多いと、味がイマイチだった時「何が悪かったんだろう?」と自分へのガッカリが大きい。なのでより慎重に……という気持ちが、最終的な味の判別をも慎重にさせている気がする。

 「要素が多くても、1つずつクリアしていこ〜」と思うも、他の全要素を条件制御して比較するのは、単純にテクニック的に難しい。マジで比較をやるなら2杯を同時に淹れる必要があるし、独り身が日常で2杯同時に淹れるのはモッタイナイと思っちゃうからだ。

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②は、趣向品ならなんにでも言えることかもしれない。

 まず、"うまい"には色々なタイプがあるので、そのうまさに分析的に向き合えないと、淹れ方の安定化に還元できない。
 そして、その日の体調・気分・状況で、知覚と認識のコネクションはおおいに波打つ。

 「楽器屋や電器屋でイヤホンを試聴して、これはいいぞと買って日常使いしたらイマイチしっくりこない……」とか、「寝起きにいつもの好きな曲聴いたら、なんだかやたらテンポ速く聴こえる」経験ないだろうか。
 舌も、全くおんなじもの食べたとしても、その前後に食べたものや、脳と身体の覚醒具合や、鼻づまり……などで感覚はけっこう変わる。

 なので、「今日は味があんまりだな」と思った時に、淹れ方を改善すれば良いのか、淹れ方よりもずっと体調変動量が大きかったのか、切り分けしにくい。

 音の例えに戻れば、「高品質USBケーブルで音質向上」が理論的に証明されてたとしても、その変化量が、人間の感覚のファジーさに埋没しないだけの大きさを持たなければブラインドテストで判別できない。
 また逆に、ブラインドでわからないからといってオカルトでは無いのだ。有意に小さいオーダでも、かならず向上すると証明されてたとすればね。

 音ならエンジニア、舌ならソムリエ的な人は、経験と熟練でそのファジーさを手懐けられるということなのだろう。
 おれはそこがてんでダメで、昨日作った曲を今日全く同じ環境で再生しても、ミックスバランスが激変して聴こえることがしょっちゅうだ。味もわりとそう。

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 では①のチェックポイントを列挙してみる。
 目指すは、これらすべての最善解を見つけ出すことだ。

 体調や環境によるゆらぎはコントロール外なので(せいぜい、よく寝ようってぐらい)、平均的な状態に対する最善解を目指す。
 もちろん、TPOによって最善もゆれるのであれば、複数の解を見つけるのがアドバンストな目標である。

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【豆の状態】
どの品種・産地の豆を買うのか? 
煎り具合はどうか?
鮮度はどうか?
挽き方はどうか?

 おれは自家焙煎はせず、煎られた豆の状態で購入するのだが、コーヒー屋の主人に「昨日焙煎したばっかだから2,3日置くと落ち着く」と言われたことがある。ワインバーの主人が「カルディの豆なんて山と積まれていつから放置されてんのかわからんし、買うわけない」とdisってたことがある。豆の容器を開けたら抜けてしまったガスがプシュッと言うのはよくある。
 なので、「鮮度がどれくらいのスケールで味を左右するのか」がよくわからない。何日経過で"おれ基準でアウト"に入ってくるのか。保存方法によってまた変わるか。密閉保存して、豆から炭酸ガスが漏れる量を抑制したとしても、開封→挽く→淹れるのプロセスを経たら単純な新鮮さにはかなわないだろうし、その差はどのくらいなのか。

 豆の品種は振れ幅がめちゃ大きいことがわかってる。が、どれでもまずい時はまずい。それは淹れ方に失敗してるのか体調変動のせいかはわからない。

 挽くのは淹れる直前にしているが、手間減を優先し電動ミルを使う。ペーパードリップゆえ影響は低いと思うが、粉塵が多いと言われがちだ。これはさっさと手動ミル"も"導入して長期的に比較していくべき。

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【スタイル】
どの淹れ方をするのか(以下、ペーパーで進める)
ドリッパー・ペーパーは何か

 あまりに選択肢が増えるので、とりあえずベーシックなペーパードリップをずっと続けている。ドリッパーひとつとっても、ハリオ円錐型とカリタ台形3つ穴型では浸透時間が違う。ここは全然比較できてない。

 さておき、「どうしても、お店のあの味と全然違うんだよなー」というように方向性自体をガラッと変えたい時は根っこからやり方を変えてみるべきで、プレス系も手元でできるようにしておくのはあり。
 浸漬式ドリッパーも気になる(技術に左右されにくい安定性があるらしいので)。

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【淹れ方】
一度に何mL作るのか
湯温はどうか
豆:湯の重量比はどうするか
器具を湿らせるか
どう注ぐか ドームを作るのか浸し気味でいくのか
蒸らしをするかしないか
最後まで落とし切るのか 差し湯をするのか

 「豆:湯を重量比1:13、13gの豆に170mLの湯を注いで、155mLほど抽出されたものを1杯分とする」のが、いま日常使いしている豆での仮基準だ。
 一度に沢山つくって冷める前に飲み切る / 温め直す は生活に合わなかったので、都度1杯分作るようにした。

 湯温は沸いた直後にステンレスポットに移して93度付近を基準にしているが、毎度測ってないので適当。もっと定量的にやるべきだろう。
 ペーパーの湿らせはあまり効果がないといわれてる(自分でも有意差が感じられない)一方、器具を温める意義はあるとのことだが、金属ドリッパーじゃないし……とスキップしている。

 湯の注ぎ方のスタイルは、他人の動画などで見ていてもかなり人による。ドーム形状を保とうとする人と、粉全体が湯面下にあり続けるようにする人に分かれる。
 おれは、最初の蒸らしのときに上から見て乾燥している部分が無いようにわりと浸し、中央が重力で凹む前に注ぎを開始して、ペースキープして中央だけに注ぐのが良いのかなと思っている。注ぎすぎて上面から外周に湯がつたってしまうと、ドリッパーの円錐側面を通る湯の流れは粉の中を透過する湯とは味が変わってくる気がする
 最終的な結果をみても、ここが実際大きく味の変わるポイントでは、感じている。他の"淹れ方"の条件を整えられた時でも、味が全く違う……ことが多く、であれば疑惑が向くのは、体調・環境面のブレでなければ淹れ方だから。

 注ぐペースも大事で、できれば時計を使って、この湯量を何十秒で注ぎ切るかをコントロールするのが正確である。ドリッパーの水位が上下しすぎないようにキープするだけでも抽出時間はある程度安定するものの、どの高さをキープするかによって実時間は変わる。水位が高い方が重力影響が大きいので抽出は早い。

 あと、そもそも蒸らしをやるのか。また、一滴も落ちなくなるまで抽出を続けるのか。ここも選択の余地がある。豆や求める味によって使い分けられると良いのだが……
 特に後者は、雑味が落ちてくる前に抽出をやめて、差し湯で味を整えるやり方があり一時期試していたが、そのクリーンさは雑味どうこうよりも湯で薄めたからでは?と混乱したので一旦やめた。

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【飲み方】
グラス・マグは何か
グラス・マグを温めておくか
何分かけて飲み切るのか
季節・室温はどうか

 容器の、口に触れるフチの厚みは味にかなり影響すると感じる。ふだん、小ぶりで薄めの耐熱グラスを使っているが、喫茶店で厚いマグで飲むとコーヒーの内容以上の印象差を受けることがある。これもTPOに応じて選択していくべきだが、個人的にはほとんど薄いほうが好みである。

 容器が薄いと冷めるのも早く、冷めたコーヒーは別の飲み物だ。レンジで温めてもどうにも酸化・劣化した印象になる。このごろ寒くなってきて、十数分かけてちびちび飲みたいのなら、口に触れる厚みによる味の好みを捨ててでも厚い保温性を取るべきかも。厚いマグか保温タンブラーを事前に温めて使うのが良いだろう。

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 かように、コーヒーの淹れ方を複雑に感じているのであった。

 小学校理科の、「音の高さ」の実験を思い出す。
 弦の片側を固定して横にピンと張り、逆側におもりを付けて机から垂らす。弦を弾いた時の音の高さは、「弦の長さ・弦の太さ・おもりの重さ」で決まるのだった。

 弦が長いほど低い音が出ることを知っている。低すぎたな、と思えば短くすればいい。弦が太いほど低い音が出ることも知っているので、短くする代わりに細くしてもよい。具体的にどのくらい調整するか計算できなくても、操作の方向さえわかっていれば、あとは耳で狙っていける。

 条件制御が困難なら、ひとつひとつの操作要素の方向を知ることが鍵な気がしてきた。湯量が多ければ薄くなる。抽出が早いと苦味が強まる。雑味とはどこから漏れてくる?

 音の高さは定量的で1次元だが、味は感覚的で多次元だ。せいぜいこうして"濃さ"や"酸味/苦味"なんて尺度に切り出しているけどそれだって組み合わせで化ける。「なんも尺度がないよりマシ」程度で、これらをヒントに自分なりの最高にたどり着かなくちゃいけん。

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 冒頭の「家でウマイ珈琲を飲みてぇ〜(いや、しかし……)」とボンヤリ考え始めて5年。1日2杯淹れる日もあるけど、家にいなくて淹れない日もあり、年間300回くらい淹れてるのだろうか? じゃあ5年を掛けて1500回だ。

 いくら比較実験が難しくても、そんなに試行回数を重ねていたら正解が確立できてそうなもんだ。それはおれがボンヤリと生きてきたというのもあるが、やっぱり「毎回ウマイものを飲みたい」のが足を引っ張っている。未来の成功のために今の1杯を犠牲に極端な調整を施して、「やっぱマズかったね」となりたくないわけ。コーヒーを職業にしていくならそういう修行も受け入れられるけど……

 そんなわけで結論としては、「目の前のリスクを取らずに、体験の単調増加だけを願っていると、進歩は亀の歩み」ってことです。さようなら。

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