低木の音楽 砂利の音楽

おれが勝手に言ってるワード編

音楽には雰囲気・コンテクスト・目的と用途・世界観などなど様々な深みがあるけども、ただただ"編曲上の構造分類"のみで楽曲を評する・指す言葉として、「低木」とか「砂利」とかしっくり来るんだけど誰にも通じないだろうし、人に広める気もないんだけど、オレバナの一環としてメモる。

***

低木の音楽:

サウンドの構造を、樹木に喩える。

「主旋律などの主役群」と「それを効果的に演出するためのパート」のように、役割や誘導演出が明確であるとき、それを単幹と枝葉に喩える。幹という拠り所が存在する。これは中高木の音楽といえる。

逆に、「アンサンブルそのものの状態を主役と捉える」ようなときに、樹幹のない低木といえる。

中高木のほうが一般に「りっぱな木」でありつつ、しかし定量的に比較するもんでもないキャラクタの違いがあり、おれは低木的な面白みをよく好む。一方中高木も、その分類の中でのバリエーションが豊かで面白い。

(この比喩で草本のことを考えると、個人的には群・平面的な広がりが想起されてしまって、単位作品を評する時にあまりふさわしくない。いや、草花だって立体的な構造ではあるんだけども……)

***

砂利の音楽:

音楽の要素を岩〜砂粒、作品を壺に喩える。

1曲に強いパートばかり詰め込んで同時に鳴らしても、聞き手の注目は分散してしまうように、大きさに限りのある壺に大きい岩ばかりは入らない。音数を絞った曲であれば大きな岩のように響くパートでも、曲全体がてんこ盛りすぎると聞き手は石ぐらいの印象で聴くことになる。

そこで、総体的な要素数・単位体積・密度のことを計画しながらアレンジを考えていく。ほとんどの音楽家が無意識にでもやっていることであろう。

岩1つで行く独奏もあるし、スリーピースバンドであれば大きめの石4つとかだろう。手頃な石20個くらいまでにおさまるのが器楽的な音楽。より実験的な試み、あるいは電子音楽はより細かい範疇まで行ける。

のように、粒ひとつひとつの差異がわからない細かさまでいくと、クリックエレクトロニカのようなテクスチャの音楽になっていく。1 hitごとの音色に性質傾向はあるが独立した個性はない。粒でカウントするというよりは砂1杯、のように捉えるようになる。

あるいはアンビエントのようなテクスチャの音楽を粘土のように想像する。粒がもはや目視出来ず、全体で1つの連続した物質と捉えざるを得ない。むしろ岩1つと類似してくるかもしれない。

砂利は細かい側であるが、粒ごとの差異をぎりぎり識別可能なラインにはある。一粒一粒は些細でしょうもないものではあるが、たとえばばらばらに塗装して並べたり詰めたりすることで、そのモザイクの鑑賞がなんだか愉快だし、一粒にズームインすることもできる。レゴのバケツにも類似する。

おれがマイクロサンプリング、あるいはトイミュージック(キュートポップやファンタジー系という意味ではなく実際に多くの玩具を録るもの)、あるいはブレイクコア(とくに破壊性よりも複雑性を指向しているもの)を好きなのは、その砂利らしさにおいて共通している。


(より最新の先進的な音楽のことを考えていくと、この比喩のように単純化できないことも多い。要素を分離して粒ごとに数えるのがふさわしくないこともある。見た目的には岩と石という別物がくっついているように見えるのに、それを引き外してみると接合面は溶けているような、個別に扱われるべきでないような……

そしてこの比喩では時間方向の変化を捉えにくいという問題もある。)

投げ銭いただけたら、執筆頻度が上がるかもしれません