不規則な編曲・歌からの脱走

日記です。

流れとしては、

ビートやアレンジが複雑なものを好むおれが、
→「歌から逃げきる」ことについて考えていて、
→では「歌がないとできないこと」は何か考えたら、あるっぽいぞ
→それを裏付けるような面白い歌ものが丁度色々見つかる
→同じ面白さをインストで出せないのかなあ?

という感じで行きます。

おれも音楽を作る側に回ることもありますが、それは一旦忘れて聴き手目線として読んでみてください。

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前提

不規則なビートは……おもろい!(主観)

規則的なビートも、おもろい。

「不規則っつっても限度があるよね〜ちょうどいいところで止めるといいよね」という声もわかる。

一方で、限度突破して規則性から完全脱走してるやつもおもろい。

また、そんな区切りとは別に、つまらんもんはつまらん。


↑ さあ反吐が出るような一般化をしました!!!

ここでは、不規則なビートやアレンジを楽しく味わうために周辺環境がどうあるとベターなのか、考えていきます。

規則性って何よ?については、なんか「楽曲構成の一部が1,2小節でループっぽく感じられる」或いは「拍の位置をリスナーにわかりやすく提示する」ぐらいのふわっとした定義でいきます。

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例たち 不規則な音楽 AtomTMのばあい

不規則感がいい味を出してると感じる曲を貼ります。

何でもいいんですけど、おれが好きなので、打ち込みの曲にしてみました。ジャズのエレクトロニカカバーですね。Coppé氏のボーカルと、AtomTMによる編曲です。かっこいいですね。


次に、同作者による、ボーカルなし、インストの曲です。

かっこいい。でもさっきの曲よりシンプルに感じられますね。拍の位置はわかりにくいですが、ビートが2小節ループになっていることはすぐにわかります。揺れてるだけっちゃ、だけ。なにかランダムな信号というよりは"ビート"として受け止められる気がします(主観)。


もういっちょ、同じ人の曲。
ここまでいくと規則性とかは薄まって「ビートってなんなんだったっけ?」という気持ちになってきます。これもかっこいいっすね。(これはアルバム通して聴くのがオススメです)


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楽譜に起こせる音楽

さて話は少し飛んで、オレバナに少々おつきあいください。

今や歌ものだろうがインストだろうが色々聴いて、全部面白いので毎日ゲラゲラ楽しく生きているわたくしですが、10歳くらいまで音楽に興味ありませんでした。

当時のおれ曰く、「ギター、ピアノ、ドラム、バイオリン。TVの歌番組のバンドを見ても、どれも触ったことないし、違う世界の人たちの楽しみなのかなあ〜」(こんな言語化できてなかったけど)。


そんな中、TVに現れたHiphop(2002年ごろの話です)。

KTCC『マルシェ』やSteady & Co.『春夏秋冬』はラップフック(サビにメロディがない)で、KTCC『アンバランス』のカットアップはどうにも楽器を演奏している姿が想像つかない
「音楽はそうやって楽しんでも良いのか!」というのがわたくしを主体的な楽しみ方に向けていきました。踏み出してみれば、いつの時代も世界にはいろんな音楽がありました(めでたし!)。


時を飛ばして2010s前半。

そのころ現れて人気だった電子音楽といえば……
楽譜では表現しづらいだろうあからさまに複雑なビート感(FlyLoやLow End Theoryあたりを端緒とした電子音楽とかね)や、音色のバリエーション(ComplextroやBrostep、あんな"面白サウンドカタログ"みたいな音楽が覇権取ってたの凄い時代でしたね)に凝ってるものが、最新!って感じで人気でした。
「よくわからんが、よくわからんままでもスゲー!ってなる」楽しみ方がオッケーだった? 今やちょっと懐かしいの貼るね。


反動もあってか10s後半は、歌・演奏・譜面性の強さが一気に復権したと思います、全体的に。

EDMは盛り上がりの構造的核をシンプルに捉えつつ歌を聴かせる。Trap以降のHiphop/Popsはビート構造や808をテンプレ化しつつ(脱音色)、「彼/彼女が歌っている」ことが非常に大事。FutureBassはKawaiiの波もあってオブリガートの大事さを増し、VGMライクなメロディラインが前面に来始める。

数年前までインディペンデントな電子音楽家が"サウンド"で幅をきかせていた領域にも、R&Bものや室内Funk的バンドなどの「歌唱や楽器の実演奏の魅力」の波が押し寄せて来たなあ〜という感触が。
(おれが興味視点を変えちゃってるだけの可能性もあるけどね。)
"サウンド"のトピックは、演奏・楽譜要素の強さを支える役としての「ドライなミックス」や「空白の使い方」、「生きたグルーヴ」あたりに収まったと思います。


……だもんで最近好みに合う音楽をさがしていて「本当にイカレた人でてきたなあ!」と思う時は、自ら歌う人か、ピアノロール・ハックとも言えるような譜面生成力の高い人が多い気がしてます(おれだけか?)。

まあ、数の多い少ないの話でしかないんで、掘りさえすればなんでも見つかるんだけど!
たとえばダンスミュージックならスタイルに大きな変動のないジャンルもいっぱいあるし、「Xfer SerumによるNeuro Bass sound design」みたくサウンド主役の10s後半トピックもありましたし。

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「主旋律から逃げる」

古今、日本の音楽でメジャーなものだとやはり歌があったり、人気になるインストもメロディの強さが軸だったり。
そんな中で、"楽譜の外側の音楽"が入り口だったわたくしとしては、「歌や主旋律が主役にならない音楽もいいよな!」の気持ちを胸に、それってポップスで成立するのかなあ?みたいなことを考えます。

……なんでいきなりポップスの話をしてるかというと、気まぐれでしかないんですが、「ビートスキーム等の表面的な規律が少ない」「身体性さえあればとりま十分!ってわけではない」「その上でニッチな魅力以上の訴求力が求められる」、攻略難度の高いフィールドだからです。

昨今、「J-POPでも今や、AメロBメロサビって形式に従わなくてもいいんじゃない?」なんて声が散見されて可能性が広がろうとしてる時に、どさくさに紛れて同じノリで、主旋律との距離感も再定義できないかな?とか考えたわけです。


するとやっぱり難しい。主旋律へのこだわりをリズムの面白さに全振りするとか、歌と同じくらい個性的なサウンドを主役に立てるみたいなアプローチになってきます。

例示も難しいんですが、誰もが知るオーバーグラウンドではないにせよ、HIFANA『WAMONO』は個性的な音色がメロディに取ってかわった例といえます(他のHIFANAの曲も大好きだけど、クラブミュージック的な領域なので。WAMONOはキャズム超えした感じがある)。


もっと広まったのだと、「ドロップで歌わない」という距離の取り方もありましたね。ポップス内の発明というよりは、EDMの構造をわりとそのまま拝借した話だし、歌わない代わりに別楽器のリフが主旋律をとる曲も多い。とはいえポップスの枠内で「歌って当然」ではないのが自然に受け入れられるレベルにはなったかと思います。



さてやっと、「不規則な音楽」に戻ってみます。

最初に、不規則なリズムや構成を楽しむ上で主旋律はあってもなくてもかっこよくあれることを示しましたが(かっこいいでしょう?)、上記のようにポップスを楽しむ上では主旋律があったほうが可能性が広い。

ここで、不規則な音楽においてもいろんな楽しみ方をしたかったら、やっぱ主旋律から逃げない方が可能性が広いんじゃないか?という仮説にわたくしはたどり着きました。
理屈づけるならば、歌旋律のような安定度の高い軸があると、不規則さをぐんと高めた時にも音楽が発散しない範囲の楽しさを拡張できるのではないか?

文字にすると そりゃそうじゃね という感じですが、ぼんやり考えてたときに、これを裏付けるような面白い音楽と出会いました。

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例たち 歌の裏で自由になるオケ

最初にそれを意識したのは君島大空『散瞳』でした。

かっこいい! とくにサビの背後のアレンジとリズムの複雑さがとっても好みなんですが、歌旋律がその上に常にいることで、伸び伸び自由なオケが一本に紡がれているように聴こえます。
もしInstrumentalで聴いたらパッチワーク感が過度に強調されるんじゃないかな、と予想します(おれはそれでも大好物に違いないですが……)。


そしておととい、Tomgggがポコラジで紹介していた以下の2曲を聴いてスッゲ〜〜!!とひっくり返りました。

かっこいい! ほんと、いい時代ですワ……

千紗子と純太『めっちゃII』は、ギューンと唸るシンセがどのタイミングで入ってくるかかなり予想がつかないんですが、その予想外さ単体で楽しむときと、歌旋律の安定感との引き合いで楽しむときを比べるときっと、後者のほうがスリリングで面白い気がするんす。

ぎゅうにゅうとたましい『なんも』は、シンセノートとビートの粒が縦横無尽に配置されていて、イントロを聴くとそのハチャメチャさに大興奮します。でも、もしインストのまま3分とかやったら途中で刺激に慣れるような気もして、歌という拠り所があるとジタバタするオケの鮮度が一曲通して味わえる気がする。

おれはこれを聴いてEero Johannesを連想したんすけど(似ているかはまた別)、かれについて、ビートもメロディもどっしりしっかりしていたソロ名義よりも、Teki Latexを迎えて歌を入れた時がいちばん躁っぽくなってるな〜と感じ、これと同じことだと思いました。


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インストにしたくば

Instの打ち込み音楽でこう、主旋律を安定させることでその他の部分との引き合いを作って不規則さをよりスリリングに楽しむ、つうことはできるのでしょうか?

「人の歌を打ち込みで代替する」目線だと、Chopped Voxのトランスポーズが主旋律を取る、はFuture Bass以降にありますし、カットアップボイスでそれを代替しよう!ってのはもっと前からDÉ DÉ MOUSEやin the blue shirtがやっています。
広く言えばVocaloidだってそうですが、あれはもうバーチャル・シンガーとして人の歌と同じカウントとしたいな。

複雑なビートにVoxトランスポーズ……ほとんどクワイア的な使い方だけど、をあわせてる例としてLars, Lucy, 8legions『Madretsma』をあげてみます。


じゃあ、人らしさ、から離れるとどうか? おれがちょっと聴いた限りの主観話になるんですが、これはシンセリードには荷が重い。

チェーンの飯屋とか百均で、カラオケ音源のようになったJ-POPが流れてることがありますが、とくに工夫無くシンセ音で歌メロを弾くとダサなる現象ないすかね。特に同音連打がキビシいがち。歌なら動きすぎない主旋律によって安定感をつくれたけど、シンセだと装飾音やベンド、フィルターアクションを使いつつ更にメロディライン自体を大胆にする必要があるとおれは感じます。
つまりは、楽器ごとに合うフレーズがあり、"拠り所力"の低まる方向にチューニングする必要が出て来がちじゃないかなー。

例外としては、たとえばこれはChiptuneだ!とわかっていると、メロディが元波形でもそういう意匠ね!と納得できます。あと国産のハードコアテクノなどでも素直にシンセリードがゆったりペンタだな、というのに出会うと、あ、こんなこまけーこと気にしてんのおれだけかな?とも少し感じます。

シンセ以外の楽器……たとえばJazzでSaxが主旋律をとる〜などはいくらでもありそうだけど、「複雑さとの引き合い」の目線でうまくいってるやつあるかなあ?

うーん、旋律を取る、以外のアプローチでもいいんだけどな〜 他になんかないものか。

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拠り所としてのアルペジオ

で昨日、Seihoさんのライブをちょっとぶりに見てきたんですけど、アナログっぽいシンセ音色による8分等間隔のアルペジオに対して、速いビートはぐいぐいとシンコペーションや不規則な組み方をされていたので、
「あっ、これかあ答え」
って思ったんですよ。ライブの曲なんでここに貼れないんですけど……

不規則を映えさせるための規則的な拠り所。考えてみりゃ単純なこっちゃ。

でもどんな規則性でもこのおいしさを引き出せるわけではない。
たとえば「ビートが複雑だけど、2,4拍のクラップだけは固定」や「ビート周りは複雑だけど、コードシンセは毎小節アタマで切り替わる」の規則性だと、そっちの安定性の支配率のほうがあがってしまいがちなんですね。
それはそれでイイ塩梅だったりするんだけど、もうちょっと不規則サイドが勝つバランスがほしくなったりもする。

「カタチの先の予想がつく、または急変しないだろう、という存在感のある単音フレーズ」という共通項でもって、シンプルな歌メロとシンセアルペジオは同じ役割を果たしうるのかもなー ということを思ったのでした。
単体ではどんどん発散してハイコンテクストになってしまうようなビートやアレンジに対して、押さえ込まずにうま〜くつなぎとめる。


ただ当然、上に貼ったおもろい歌ものたちの歌を全てアルペジオに互換できるわけじゃあないので、けっきょく異ジャンルの話だろ!?って言われたらそうなんですけどね。
あと、Seihoさんがそのへんのバランスべらぼうに上手いだけで、誰でもそういう効果が期待できるわけではない可能性もあり。

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脱線の番外編:W主旋律

楽曲レビューとかで「この曲は、ボーカルをあくまで楽器のひとつとして扱うように〜」みたいな表現を見たことはあるでしょうか?  おれはあるぜ。それがどういうことなのかはいまいち判然としなかったが……

これは裏返せば、「ボーカルという主役を特別視して、オケは歌を効果的に届けるための手段として存在する。それは言い過ぎとしても、歌を届けることが筆頭目標のひとつである」という仮想メジャー歌ものへのカウンターなわけです。

それが果たして結果的に良い曲になるのかはTPOや実装次第。
ただやっぱり、「個性的な登場人物がぼちぼち出てくる群像劇」はしっかり話を練らないと、「ひとりのすばらしい主演女優のために脇役と大道具が設定された舞台」より地味になっちゃうこともあるよなー。


この比喩を引き継ぐと、じゃあ「W主演」を歌でやるとどうなる?
対旋律ではなく、2本の主旋律(どちらか1本で成立するもの)をわざわざ並走させる歌ものって面白いねっつう思いつきです。つまり、ひとつの歌が背負う主軸としての役割が、単純計算で半減するわけです。

真っ先に思い浮かぶのは運動会の歌『ゴーゴーゴー』です。1番と2番のメロディラインが違って、3番ではそれが並走し、敵チームよりデカい声出すぞという紅白歌合戦になります。


ころんば『ヤツメ穴』(オフィシャルな音源がもうないので、海賊投稿にリンクを貼ってしまいますね……)は、歌詞ストーリーと歌構成が噛み合っています。1番では1人の登場人物が1つの旋律を歌いますが、2番では2人の登場人物がそれぞれ違う目線の歌詞・旋律で、1つの状況を同時に描写します。

ほかにもそんな構造の歌、あるでしょうか? ご存知だったら教えて下さい!(これが言いたかっただけ) 


W主演の究極的な形としてはバッハの2声のインヴェンションとかになるのかな……なんか違うな……


おわり

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