日記220222 (非・編集音楽マインド)

今から一気に書き始めるがこの日記はおそらく終始オレバナだろう。


音楽への興味の入り口がJ-POPよりもラップだったのは(2004)、歌に対してラップが"ソリッドである"という点が間違いなくあった。フロウについて追求し始めるときりがないけど、基本的にはラップは、パーカッシブな打点と五十音のアサインで記譜できる。
歌だって五線譜には起こせるけど、ピッチグライド(しゃくり)やノイズミックス、エクスプレッションの持つ役割が比較的大きいと感じていた。それらは無限連続値の世界からバイナリーにコンバートできない要素だと。むろん、当時にそんな語彙はなく、あくまで振り返って言語化しているだけだけど……

つまり、組んだレゴブロック と 絵の具の混ざった絵画 をそれぞれ鑑賞することの話だろう。
レゴは、構成要素であるときに、単体時と形状は変わらない。完成体の分解・解釈も容易だ。混ざった絵の具は単体とは異なる色をして、重ね方、筆運びなどによって変質して一個全体となる。これを解するには多少の絵画の知識、あるいは丹念な観察と興味が要る。


次に興味を持ったクラブミュージックも、およそビートとリズム、そしてパートレイヤーの抜き差しといったソリッドな構造を主役としている。もちろんこれもグルーヴを追求するときりがないんだけど、シーケンスという題材の上で練る身体性と、バンドサウンドやオーケストレーションのような非同期音楽のそれは趣が異なる。

つまり、「知ろうとしなければわからない」「知らなくても良い」のバランスだ。
この曲のシンセスタブはVCFのカットオフにEnvをかけることで鳴るのを知らない時と、あの曲のエレキギターはオーバードライブとアンプとキャビネットを直列接続してピックで弦をはじくことで鳴るのを知らない時、どうハードルを感じるか?
自分の場合、シンセの扱いなんか知らなくてもクラブミュージックは楽しめる気がしたし、ギターの仕組みは知らなきゃいけない気がした。知ったら、もっと知らないと先へ行けない予感もしていた。
「なんか止まない金属音あるよな」と思っていてから初めてオープンハイハットというものの理屈を知った時の感心は忘れられない。

両方「別に知らなくてもいーじゃん」と思えないくらい、自分のなかで"知る"は大きかったのだ、良くも悪くも。かならず解釈が要請されているわけではないのに。


で、次はエレクトロニカなりリスニング寄りの電子音楽にはまるわけだが、そこにはフォーテットやヘリオスみたいな空気の道と、マシーンドラムやスクエアプッシャーみたいな技術の道があって(前者に技、後者に気が無いって意味じゃなくてね)、前者のことをよくわからなかった。
「たぶんおれは若いせいで、深みのある音楽がわからない、軽薄で刺激的なものに反応しているのだろう。"ガキは速くて情報量多いのが好き"ってツイッターで煽ってる奴もいるし」と当時は納得していた。
またオウテカぐらい複雑だと逆に難しかった。石・砂利・砂も細かくしていけば泥まで行き、一体になるって話は前に書いたな。それはレゴではなく絵の具になる。

わからないから、わからなさを嫌っているから、わかるほうを選択していたのだろうか? いま「わからないことも面白い」と素直に思うけど当時は違ったっけ?
いや、ソリッドな音楽だって全然わかってなかった。わかんねーなと思いながら聴いてたけど、自分なりの予想や想像の余地と、詳しくてわからない技術の果てのバランスがあって、どんどん深みにはまっていけた。
興味が推進力だと言えるだろうが、それはたんに個人的にKID 606に興味があってリンキンパークに興味がなかったとかそれだけの話なんだろうか?

もちろん個人的な趣味に過ぎないのは当然として("おれみたいなやつ"は一般的ではない)、しかし興味を獲得するまでの感じ方が違うと思う。
A君がコールドプレイを好きになるように、B君がプレフューズ73を好きになるケースは想像できるが、おれがプレフューズ73を好きになったように、C君がコールドプレイを好きになるケースはありえないのではないか。



ここ4年くらいのIDMは、打ち込みの冷たい感じや正確で強いビートを保ちつつも、グラニュライザーやニューロベースのオートメーションでテクスチャを操作して、曲が一つの異形生物のように感じられる物が多い。組み換えではなく変質(モーフ)であり、レゴを粘土で包み込んだような、あるいはAKIRAの鉄雄のラストのような。ソリッドではないのだがこれはこれとして超かっこいい。
そして自分には作れないなあ〜と思う。その感性がない。全部かっけえなあ〜で終わってしまう。もちろん解釈が要請されているわけではない。ただ、良し悪しの"悪し"を判定する足掛かりがないと、チュートリアルを見ようが自分には劣化再生産しかできない予感がして、手をつけられない。ソリッドなものの価値判断には自信があるぶん。

この「わからなそうだから手が伸びない」感じは、初めて曲を作ろうと思ったときにもあった。HIFANAが効果音のサンプリングxリズムのみで音楽を作っていたのに憧れて音楽制作をやってみたくなったことと、学校の音楽好きがバンドを組み始めた時にジョインしなかったこととだ。
妄想にすぎないが、今アマチュアでも激かっこいいハイテクな音楽を作る若者の多くは「よくわかんねーけど、かっこいいし、やってみよ!」が始点なんじゃないか? 最初からめちゃ完成度高いパターンも大いにありつつ、やってみることで色々わかり、より磨かれていく。「あーあーすげーわかるわかる。だからやってみよ!」は少数派じゃないかな。
知る/知らない がそれぞれに人をモチベートするとき、知らない で強くエンジンのかかる人を美しいと思う。自分にあまりないから。

ちなみに「理屈派 vs 感性派」みたいに、その人の価値観全てを一つの属性で説明できるように大衆を二分する考え方はしないぜ。曲作りに関してだって、両方ができる人はめちゃめちゃいると思うし。
こう分離して考えているのは、おれにたまたま片方しか無いから考えてみてるだけであって、そもそも分離して考える必要がある人がどんだけいるかも疑わしい。



Understandというパズルゲームをやっている。某氏が配信でやってて、おもろそう!自力でやろ!と買って、ある程度進めてから配信アーカイブを見たりしていた。
これは、マスに線を引くだけのゲームなのだが、「どう引いたらクリアになるのか?」が明かされていない。手探りで色々試しながら、クリア条件のランプが点く条件を推測して、全ランプが点いたらクリアというわけだ。
手探りで試していると、よくわからんうちにランプが点いたり、よくわからんうちにクリアしてしまったりする。しかし、わからんまま進むと、同じ面の次のフェーズに太刀打ちできなかったりする。なので、「さっきなんでOKだったのか?」を戻って色々試して推測することになる。
クリア・正答の状態から、ランプ一つ一つの条件が何だったかを分解していく。完成品を解釈して、単要素の実態を掴む。ソリッドな構造を理解できた時に、その面はもう全てクリアできることになる。

配信に戻ってチャットコメントなどを読んでいると、分解せずにクリアしようとする向きを感じた。
たとえば4つの条件のうち3つを満たす線が引けた時に、「あと1つは何が条件なんだろう?」「どういうルールを踏まえたら4つ点くのだろう?」と考える向きはあっても、「ここまで点いた3つって、それぞれどういう条件だったのだろう?」へ行かない向き(皆無ではないけどね)。
それがわからないと、4つめが点いても3つめが消えたりするので、ことこのゲームにおいては一つずつ見極めたほうがプレイしやすい。

ただ、気持ちはめっちゃわかるなー、っていうか、ポピュラーな気持ちの動きだよね。と感じた。その考え方は、歌や絵の具やバンドを「おれはこっち」と無意識に選んできた人のそれ ととても似たスタイルなんじゃないか?

その類型にアアアーって思って、日記にしました。

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