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”ふるさと”を聴いて、なにを想う

あなたは、童謡の”ふるさと”を聴いて、なにを想いますか?

山?川?空?

先日、ハーブティーを愛用いただく常連さんからチェロのコンサートのご案内をいただきました。


とても素敵な演奏会でした。クラシックやチェロのことが素人なボクにもたのしめる内容でした。うつくしい調べ、活動を通じたエピソード、楽曲や編曲のこと。そして、演奏自体を素直に受け入れて耳を傾けられる時間と空間。

そんな演奏会のなかで、童謡”ふるさと”が披露されました。いままで生きてきた人生の中で、もっともうつくしいと感じられる演奏でした。

そこでふと、思ったのです。

ボクの故郷ってどこなんだろう?って。

演奏を聴いているときにイメージされた情景は、父方の実家でした。幼い頃に、祖父(じいさん)と妹と白い犬のペロと、野山を駆け回った頃の記憶です。道路なども整備されておらず、土の道、田んぼの小川、雑木林、湧水、などが思い浮かんだのです。

ここで童謡”ふるさと”の概要を共有させていただきますね。

◯ 誕生
1914年(大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用(第5曲)で発表された。
長らく作詞作曲者不明だったが、昭和40年代に高野、岡野と同定され、1992年(平成4年)からは音楽の教科書に両者の名前が明記されている。
高野の出身地である長野県中野市と、岡野の出身地鳥取県鳥取市に歌碑がある。
◯ 歌詞
兎うさぎ追おひし彼かの山やま
小鮒こぶな釣つりし彼かの川かは
夢ゆめは今いまも巡めぐりて
忘わすれ難がたき故郷ふるさと

如何いかにいます父母ちちはは
恙無つつがなしや友ともがき
雨あめに風かぜにつけても
思おもひ出いづる故郷ふるさと

志こころざしを果はたして
いつの日ひにか歸かえらむ
山やまは青あおき故郷ふるさと
水みずは清きよき故郷

◯ 解釈
子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で、生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人の心情を歌っている。歌詞に述べられている「かの山」は高野の故郷にある「熊坂山」や「大平山」、また「かの川」は「斑川」であるとする説がある[2]。野兎を追ったあの山や、小鮒を釣ったあの川よ。今なお夢に思い、心巡る忘れられない故郷よ。父や母はどうしておいでだろうか(「います」は「居る」の丁寧形ではなく、古語の尊敬語「坐す」なので、「ゐます」とはしない)、友人たちは変わりなく平穏に暮らしているだろうか。風雨(艱難辛苦の比喩とも)のたびに、思い出す故郷よ。自分の夢を叶えて目標を成就させたら、いつの日にか故郷へ帰ろう。山青く水清らかな故郷へ。

wikipediaより一部抜粋


引用させていただいた解説のように、ボク自身もこのような解釈をなんとなくしていたので、童謡”ふるさと”に対するイメージは間違っていないのだろうなと、調べてみて少しほっとしました。

さて、ここからが本題なのですが、冒頭の問いかけに戻ります。

「あなたは、童謡の”ふるさと”を聴いて、なにを想いますか?」

うさぎを追う姿?小鮒を釣った川?

はて、そんなものいまの日本のどこにあるのでしょうか。

東京?京都?博多?沖縄?

ビルに囲まれて生まれ育ち、デパートやスーパーの鮮魚コーナーの切り身の魚ならまだしも、コンビニでボイルか焼かれたのか真空パックになっているサバやほっけをイメージする。

現代人の故郷ってどこにあるんだろうか。

周りに自然もなく、自由に遊ぶ場もなく、レンジでチンしてご飯を食べ、SNSや動画をみて過ごす1日。

いまの若い子達に、童謡”ふるさと”を聞かせて思い浮かぶものはなんなのか。そもそも聞いたことがあるのか。そして故郷はどこなのかと、Z世代の子達に尋ねたら、どんな答えが返ってくるのだろうか。

演奏会を聴きながら、ほかにもたくさんのことを思い、感動し、思考が整理され、心がたくさん動いた時間を過ごさせていただきました。

お金のことや、人間関係のことを考えることも大切だけれど、こうやって自分を見つめ直したり、振り返ってみたり、自分とは違う世代の子はどんな時代を生きているのだろうかと、思いを馳せ、思索をする時間もまた、大切なのだと最近思うのでした。


すっかり寒くなってまいりました。ハーブティーで身も心も温まりませんか?

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それではまた、お元気で。

追記

童謡”ふるさと”を調べていたら、かの村上春樹さんは

「『村上かるた うさぎおいしーフランス人』」

などという著作物をリリースされておられると言うことです。

年上世代や同世代へのアイロニーなのでしょうか、スノッブなのでしょうか、ニヒリズムなのでしょうか、小馬鹿にしているのでしょうか、エスプリの効いたジョークなのでしょうか、あたらしい視点を提示してくださっているのでしょうか、そんな気分だったのでしょうか、敬意を込めて”やれやれ”と思うことにします。

日々の活動の一部に使用させていただきます。